群馬県で松下電器産業の系列店から事業を始め、日本最大の家電量販チェーンを築いた。大塚家具を買収し、住宅事業など暮らしにかかわる製品・サービスを提供する準備が整った。ここまで勝ち抜いた秘訣とこれからを聞いた。

(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)

(写真=山下 裕之)
(写真=山下 裕之)
PROFILE

山田 昇[やまだ・のぼる]氏
ヤマダホールディングス会長。1943年、宮崎県生まれ。日本ビクター(現JVCケンウッド)入社、73年に群馬県前橋市でヤマダ電化サービスを創業。74年有限会社ヤマダ電機設立、83年に株式会社化。「前橋南店」を開設し、本格的にチェーン展開を開始。全国への出店に加えダイクマやキムラヤセレクトなどの買収で事業を広げた。2008年、おいの一宮忠男氏に社長を譲り会長兼最高経営責任者(CEO)に。13年社長兼CEOに復帰。16年会長。

群馬県前橋市で個人経営の電器店から始め、日本最大の家電量販に成長しました。なぜ勝ち抜けたのでしょうか。

 私はよく人と時と地の利と話すのですが、それが大きいと思います。小売業は地域の小さい店からスタートして、流通を育て、地域量販になり、全国規模の量販店ができるという発展の過程がある。例えばダイエーさんもそうでした。私が独立したときは、たまたま地域店の全盛時代。そこから大店法が変わったり、商品も変わったりして、売り場面積が増えてきました。

 北関東という地方なので(過激な安売り競争を避ける量販店の業界団体の)日本電気大型店協会(2005年に解散)に加盟しておらず、自由に競争をして成長できました。それが地の利です。

学校を出て最初に日本ビクターに入社したんですよね。その後独立されましたが、どんな経緯があったんでしょうか。

 ビクターに入ったのは電気の技術に関心があったということかもしれません。当時、電器店が独立する一つの道はのれん分けでした。私のように脱サラして独立するのは珍しかった。勤めをしたことで技術を知り、マネジメントの経験がありました。品質管理をちょっとかじっていたので。それで経営を始めました。当時の電器店はメーカーが主導した系列店でしたね。

家電量販モデルを切り開いた

最初は松下電器産業(現パナソニック)の系列店を経営していました。なぜビクターではなかったのですか。

 独立する時にどこの系列がいいかという選択肢があるわけじゃないですか。その時ちょうど結婚したばかりで、おなかに子供がいてね。まずは生活です。食っていかなきゃいけない。ビクターの音響だけだと食っていけないなと。

 そうするとやっぱり多くの製品がある総合メーカーです。日立、東芝とある中、シェアが一番高いのは松下さんで経営もしっかりしていた。系列店への支援体制も細かくて、これだったらいけるかなと判断して選択したんです。

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