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東日本大地震から10年。
10年経って振りかえると、不安という名の心理が、いかに社会に大きな影響を与えたのかがよく理解できます。

当時あれほど騒がれた原発事故による放射能被害は、10年経って客観的事実だけ見ればほぼ死者0という結果で終わりました。
勿論だからといって原発が安全とか言うつもりもありませんし、放射能汚染は大した問題ではないなどというつもりはありません。
単に我々が不安に思っていたことは、結果として幸いなことに杞憂に終わり、よかったね、というだけのことです。

そして今、コロナに対しても同じような不安心理の中に私たちはいます。
将来それが10年前の福島原発事故と同じく、心配のし過ぎ、杞憂であったと振りかえることができる日が来たら、幸運なことなのだろうと思うのです。

【今日の歴史】
カラカラ帝暗殺後の混乱の中、カラカラ帝の母ユリア・マエサが息子のヘリオガバルスをカラカラの隠し子に仕立て上げて反乱を起こし、マクリヌスを倒し帝位につけた。
しかし皇帝となったヘリオガバルスは軒並み外れて常軌を逸した人物であった。
公の場でも女装を好んだだけでなく性的にも完全に倒錯しており、変態的、凄まじい淫乱でもあったとされる。

彼は政治をまったく顧みず、公然と性的な倒錯や怪しげな宗教儀式に耽り、ローマの風紀は地に堕ちた。流石に彼の即位を支持した軍部もヘリオガバルスを見限り、かくてローマ帝国史上最悪の皇帝とされるヘリオガバルスは222年の今日遂に親衛隊によって暗殺された。
スイフトスポーツ(ZC33S)試乗記7 完

5.総括
スイフトスポーツは以下の点で秀逸だった。
・上質なエンジンフィールと乗り味
・心地よい軽さと速さ

それっぽく書いているが、実の所ほんのチョイとしか乗ってない為、ほとんどわからなかった。

この軽さとエンジンフィールはなかなか無い。
速さは充分。車体が軽く、操作に対して素直に反応する全能感が心地良い。
昔のGC8インプレッサWRXを思い出した。

スイフトスポーツは速いが挙動を手の内に入れられる。
変なクセや余計な制御も無い。

そして、クルマ全体が上質に感じる。
エンジンの印象がそうさせてるのだろう。
アイドリングからスムーズに加速し、気難しさも安っぽい音もない。アクセル踏めばいつでも加速する。そんなクルマ全体のレスポンスの良さもある。

通常のセーフティサポート装着車にはブレーキサポートだけでなく、車線逸脱防止、ACCもブラインドスポットモニターも含めて安全装備はフル標準装備。

この内容で201万円少々か。確かにお得だ。

ちょっとバイヤーズガイド的でセコい話になるが、スイフトは今時な360°全方位モニター(前後左右カメラ)がメーカーオプションで用意されている。コレが唯一のメーカーオプションで5万円少々。

コレを生かすには本来ディーラーオプションの対応ナビが必要なのだが、裏技でサードパーティの変換ユニットを入れれば市販のナビに映像表示できる。

当方ナビなんてのはスマホでいいので、市販のディスプレイオーディオを付けたいのだが、そこに全方位モニターが付けられる。素晴らしい。

この全方位モニターは必須で、
後は自由にディーラー装着オプションを好きに選べば良い。ディーラーオプションは後からどうにでもなる。

2代目スイフトスポーツ以降、クルマ好きから高い評価を得てきた。
この4代目もその期待を裏切らない、いいクルマだと思う。

ヤリスも4WDターボのGRを出し評価が高いが、当方そこまでの性能を使い切る事は不可能。お買い得とは言え実際には450万円のクルマだ。
FFのGRもあるが、さほど冴えない1.5LにCVTのみで300万円だ。

ソレらに比べてスイフトスポーツのコスパは圧倒的だ。
人気車の為下取りも悪くない。

迷ってる方は一度乗ってみる事をお勧めする。

こんばんは.

本日,東日本大地震から10年を迎えました.
当時は冠婚葬祭の営業所長をしており,午後3時の終礼のために,営業所に戻る途中,ファミレスの駐車場で営業所員に連絡をし終わった瞬間にその時が訪れました.
駐車場近くの墓石屋の墓石が弾むように揺れ,次々と倒れていきました.
目の前の店のプロパンガス線が外れて,勢いよくガスが吹き出し,慌ててその場を離れました.

いつもなら15分で着く営業所まで1時間以上掛かって,やっとついたものの,ビルの壁面は崩れ,壁面に取り付けられた看板が駐車場に止めてある車2台に直撃し,ペシャンコになっていました.営業所員が中にいたらと思うと,ゾッとしました.
ビルの最上階はめちゃくちゃになっていて,ビル自体もかなり危険な状態でした.
先ずは営業所員の安否確認をしたいところでしたが,電話は全く繋がらず,一時避難場所として,グループ企業の結婚式場の駐車場へ移動しました.式場も最上階の会場の天板は全て落ちていて,集合してきた所員の顔からは恐怖と悲しみしかありませんでした.

あれから10年.先月の大きな地震もあり,まだまだ僕たちの心の中にはあの時の恐怖か残っています.復興もまだ道半ばでしょう.
しかし,必死に生きながらも,いずれ訪れるであろう完全復興,いやさらにその先にある素晴らしい未来を信じながら,たくさんの方々が日々を過ごしています.
僕たちの日常は,コロナよりもずっと前から,もう元には戻れないことに気づいています.
だからこそ,ひたむきに生きて,生きていることのありがたさを感じていきたいと思っています.

皆さん本日も素敵な1日をお過ごしくださいね!
おはようございます。

"ブルシットな仕事とは"

■取り巻きの仕事
だれかを偉そうにみせたり、だれかに偉そうな気分を味わわせるという、ただそれだけのために(あるいはそれを主な理由として)存在している仕事

■尻ぬぐい
明確な例は、目上の人間の不注意や無能さが惹き起こした損害を原状復帰させることが仕事であるような部下

会社のなかでも、どうでもよい指示や管理が山ほどあり、それらがなくなれば、もっとうまく問題も解決されているのではないかと思えることがたくさんあります。

自分の価値観を整理し、仕事の意味をもう一度見直し、自分自身も幸せになれ、本質的な価値を生む仕事とは何なのか、考えて行動したいと思います。
おはようございます。
震災から10年。

・震災の数年前に愛猫を亡くしたショックが大きすぎて二度と猫は飼わないと言っていた母が、震災のニュースを見て被災した保護猫を引き取る決心をしました。
はるばる東北から電車に揺られて、彼らが我が家に来てもうすぐ10年。
長生きしてほしい。

・震災当時は今の会社に入社したばかりだったのでまだ会社のカルチャーになじんでおらず、震災後の顧客対応、取引先対応のモーレツさに圧倒された記憶があります。震災そのものも大変だったがその後の怒涛の日々もすごかった。
詳しく書けませんが、ここまでやるか、と…

・震災ボランティアにも行きましたが、却って自分の無力さを思い知りました。現地の人もボランティアを歓迎する人もいればそうでない人もいて。ボランティア側も、ボランティア活動が生きがい、みたいになって受け手を見失ってしまってる人もいて。にんげんってそう単純にはいかないな、と思ったのでした。
東日本大震災は10年経ちました。

当時、東京で会議をしている最中に建物がどかんと大きく、長く揺れていました。大きな被害はなかったものの、落ちた時計の針は2時46分を指したままでした。
会議が中断し、テレビをつけてみんなで見ていました。まるでハリウッドの災難映画のような画面を見て、これが現実だと信じられなく、衝撃と悲しみで胸いっぱいでした。
当日の夜、オフィスで一夜を過ごし、翌日の昼過ぎにようやく帰宅できました。

東京には交通や物流が止まって、駅前、駅中、公衆電話機の前、バス停、コンビニ… いろんなところに帰宅者による長蛇の列ができていましたが、大きな混乱はありませんでした。
各国のメディアに東京の様子を大きく取り上げられて、日本人の冷静さと民度を称賛されていました。他の国でしたら大きな混乱になる可能性が高いと何となく想像できます。

10年が経ち、震災から何を学び、今後どのように活かしていくか、色々考える1日となるかと思います。

東北の復興を心より願っています。
おはようございます。

今日で東日本大地震から10年。
当時は運用会社で株式のトレーディングの真っ最中でした。地震直後、指値を入れてある銘柄が全部約定したのを覚えています。
電車が止まって会社に宿泊し、夜中にネットで被害の大きさを思い知らされました。
つい忘れがちですが、今でも福島では復旧作業が続いている訳で、現場で頑張っている人たちには感謝しなければいけないと、改めて思いました。

【教訓】
災害時は政治家も経営者も正常な判断ができなくなるということ。
・原発事故への対応
・計画停電
・公共交通機関の停止、間引き運転等
世界第2位のコロナ感染者数を出しているインドですが、海外からの旅行者に対する規制は、あくまで2週間の「セルフモニタリング」のみ。pcr陰性の証明書を持っていれば、行動の自由がありますが、風邪や熱などの症状が出た場合は、即座に自主隔離して下さい。という程度。マスクをしてない人は罰金を取られるくらいか。

最近マハラーシュトラや、ケラーラで感染者数が増えているので、その辺りで規制が出ているようですが、そのほかでは、外出でマスクをする程度の規制。レストランやバーなどのもだいぶ人が戻っています。

なんだかなーと思いますが、生活する側としては、隔離して楽しい事なんて一つもないから、楽ではあります。

本日も快晴です。
東日本大震災から10年。
あれがなければ独立してなかったでしょう。
最近、次の10年をどう生きるか、考えてます。
皆さま。こんにちは!

今日は某展示会のセミナーで講師をさせていただきました。わたしは人前に露出するのが苦手な無口で人見知りで無愛想で地味なおじさんなので緊張します。なんとセミナーにピッカーさんがお見えになっていてびっくり。世の中狭いですね。

このピッカーさんとは数年前に「三島鰻オフ会」でご一緒して以来です。三島の老舗の「桜家」さんでした。地元のピッカーさんも参加されて楽しい集まりでした。また三島に鰻を食べに行きたいなあ。もしも企画したら参加される方っていらっしゃいます?

震災から10年。当時は東京のビルの38階の部屋で仕事をしていていきなり部屋の中でロッカーが吹っ飛んで来て危うく大怪我をするところでした。肝を冷やしました。その後しばらく会社の対策本部に詰めて会社で暮らしました。被災地の従業員の安否が不明な状況が続き「助かった」という報告が入るたびに安堵で泣きそうになりました。

帰宅するとオーディオのサブシステムのB&Wのスピーカーが2本ともぶっ倒れて凹んでしまっていました。即買い直しました。

被災された方々に思いを致しつつ日々元気で暮らせていることに感謝して過ごしたいと思います。