【岩佐文夫】本には「あなたへの答え」は書かれていない

2021/3/12
NewSchool第2期で講座満足度「9.8(10点満点中)」を記録した「アウトプット読書ゼミ」が帰ってきた──。
名著を読み、考え、議論することを通して「正解なき時代」の思考力を磨くアウトプット型プロジェクト。
開講に先立ち、編集者として長年「知の編集」に携わってきたナビゲーター・岩佐文夫氏の寄稿をお届けする。

本を読んだら賢く生きられるのか

本の編集をしていると、どうしたら読んでもらえるか、そればかり考える。
著者が執筆にかける迫力を目の当たりにし、そこから紡ぎ出されるコンテンツに魅了される。これを一人でも多くの読者に届けたい。では、どうすれば読んでもらえるのか、と。
ただし、本の読み手から見ると、本を読むことは目的でもなく、ゴールでもない。読んで良かった、という読後感に浸る。これさえも目的とは言えない。もっとも読書に目的などいらないという考えにも賛同できるが、そのプロセスは次の何につながるのだろうか。
突き詰めると、読書とは考える材料を集めることかもしれない。
仕事柄、多くの本を読んできた。社会人になってから、おそらく3000冊を超える本を読んできたと思う。あらためてその膨大な活字の量を思い起こすと、読んだ本の内容は、自分の中のどこに行ってしまったのだろうと思う。
もしも自分が読んできた本の内容を人生に生かしてきたら、きっと今頃物凄いインパクトのあるものを社会に生み出せていたはずである。しかし現実は、実に貧しい。
それでも僕は本を読んできたことで自分の人生が築かれてきたと実感できる。それは考える材料になっているからだと思えるからだ。
雑誌の編集長をしていた時代に、誌面の刷新について考えていたときに思い出したのは、ウォルト・ディズニーの伝記であり、インテル創業者の本であった。
「引き出し」という言葉では浅いが、目の前の課題に対し意思決定するための材料を頭の中から探してこなくてはならない。僕の場合、ガラクタが入った段ボールの中から引っ張り出してくるかのように、頭の中から材料を探し出してくる。その多くはこれまでに読んだ本から作られたものであるに違いない。
調べればわかることは、ネットで検索すればいい。この原稿も、使い方に自信のない漢字は、ネットで意味を確認しながら書いている。
しかし、自分の人生や仕事、そしてビジネスでの新しい挑戦などには正解はなく、自分で考えて決めるしかない。そのための材料は、本で読んだ内容そのものではない。そこから自分が考えたこと、そして自らの経験である。

本に答えが書いてあるのか

書籍は、「問い」と「答え」の組み合わせだと思う。
チャールズ・ダーウィンは、「生命体のそれぞれの種はどのようにして生まれたのか」という問いに対し、『種の起源』で進化の概念を提唱した。同様に「どのようにすれば新しいアイデアが生まれるのか」という問いに対し「新しいアイデア発想法」などの書名の書籍が存在する。
本は問いと答えのセットだが、その答えはあなたの答えとなりうるだろうか。
「自分の人生をどう歩むか」「誰と結婚するのがいいのか」「どんなキャリアを積むべきか」など、誰に聞いても正解は教えてくれない。自分で考えるしかない。
ビジネスも同様である。「新しい事業はどのようなものが成功するか」「どんなキャンペーンが顧客獲得につながるか」「ストレスを抱える社員にどう向き合うか」など、どれもが個別固有の出来事であり、具体の数だけ答えは異なる。
このような正解のない世界に、自ら答えを出しながら生きていくのが人の歩みである。
ましてやテクノロジーが急速に進展し、人類の知能や地球や環境の概念さえも再定義されうる時代に我々は生きている。正解がないのは当たり前である。
書籍で書かれた答えはあなたへの答えではなく、あなたが自分の問いに出すべき答えを考えるための素材に過ぎないのである。著者が挑む「問い」も、またひとつの考える材料だと言える。

なぜ読書がアウトプットなのか

本が答えを蓄えるためのものでないとすれば、何のために読むのだろうか。
逆説的だが、僕は自分の問いを立てるためだと思う。自分なりの答えを見つけるには、自分なりの問いを立てることではないか。自分の頭で考えることの本質は、自分で問いを立てることなのかもしれない。
読書を知識を得るインプットの手段として捉えるのは、あまりに狭く、もったいない。本を読むことで、考えるための素材が増えると同時に、自分の頭が揺さぶられる。異質な思考が頭に入る際の摩擦で、自分の思考が稼働する。
著者の考えを自分は考えたことがあるか。著者の言葉を自分の言葉で言い換えることができるか。このプロセスで鍛えられた思考力が、自ら考えるときの栄養素となるのだ。そして自分なりの答えを導くための、問いを自ら立てる力が養われるのだ。
そう、読書とはインプットではなく、自分の思考を更新させ、新たな問いを作るアウトプットにまでつながるものだ。
さて、今回、「アウトプット読書ゼミ」を開催することになった。この講座は昨年の秋に実施して以来、二度目となる。
【暦本純一】AIと人類の未来を問う最大の論考『LIFE3.0』を議論しよう
前回は宇宙物理学者であるマックス・テグマーグが書いた『LIFE3.0』という人工知能が発達した未来について書かれた本を課題図書にしたが、今回は小坂井敏晶さんが書かれた『社会心理学講座』を取り上げる。
小坂井さんの本は、本書以外、『責任という虚構』『答えのない世界を生きる』を読んだことがあるが、どれも読むことで頭がクリアになる本ではない。むしろ考えるべき無数の問いが浮き上がってくるような本である。
例えば「責任」という、一般的には人間の自由と自律性を象徴するこの概念について書かれた箇所では、この概念を支える自律的人間像がいかに脆弱かを示す。だからこそ社会が個人に課す「責任」が大いなる虚構であると説くのだが、僕らはこの一節だけでさえ、「自分の判断」という存在意義が揺らいでしまうほどだ。
まさに読むことで自分の思考が稼働し、思考力を総動員させられ、自らの問いを立てる力を培うのにうってつけの本と言える。
「アウトプット読書ゼミ」では、課題図書である『社会心理学講義』を、各自で毎週少しづつ読んでくることになる。当日の講座は、その理解度を確認するための時間ではなく、むしろ、読んで自分の思考がどのように更新されたかを共有し合う時間だ。
問いは一つ、答えはバラバラ。「正解不要」の自由な場とは
他者との思考の共有は、さらなる自分の思考の更新を促す。
そこには、自分で考えたことを発表する機会があり、他人の発表を聴く機会があり、さらに同じ本を読む仲間と一緒に同じ問いで議論する機会がある。
意見や考えに優越はなく、そこにあるのは相違点と共通点である。同じ本を読んで、なぜ考えが違うのか、なぜ意見が同じになるのか。そこから一人ひとりがさらに新しい気づきを得る機会を提供したいと思う。
今回の課題図書の著者である小坂井敏晶さんに、この講座の告知をかねてインタビューさせていただいた。
「自分の頭で考えろ」とみんないうけれど
僕は「自分の頭で考える」を世の中に広めたいと考えてきた。そのことを小坂井さんの言葉で語ってもらうとどうなるか。そんな期待をしていたら、小坂井さんには「なぜ自分の頭で考える必要があるのでしょうか」とのっけから問いを返された。
これは自分で考えことのない問いであった。頭が総動員して動き出した。この一言だけでも、僕はインタビューの恩恵を預かったと思う。自分の考えたことを更新する機会だったのだ。
そんな僕が講師を務めるこの講座では、講師から学ぶことは期待しないでほしい。書籍が何かを教えてくれるわけでもなく、講師も何かをみなさんに教えられるわけではない。
そのかわり、みなさんが自分で学びを見つける豊潤な土壌を十二分に用意するつもりである。誰もがここで限りない学びを得られる、そんな「場」をつくることをお約束したい。
教わることより、自ら気づくことの方が数段大きい財産になると信じているからだ。僕自身、この講座を通して、「自分の頭で考える」ことの意味を無心で考えたいと思っている。
小坂井さんの無限の問いが出てくる『社会心理学講義』と真摯に向き合いながら、そして、みなさんの意見や感想に素直に耳を傾けながら、そして答えのない問いを議論することに没頭しながら。
そんな機会をともに体験しようという人のご参加を心からお待ちしている。
「NewsPicks NewSchool」では、4月から「アウトプット読書ゼミ」を開講。

異色の研究者、小坂井敏晶氏が生み出した『社会心理学講義』を読み、プロジェクトリーダーの岩佐文夫氏とともに対話することで、自らの思考を深める体験を一緒にしてみませんか。

詳細は以下をご確認ください。
(編集:井上慎平、デザイン:九喜洋介)