2021/3/5

【ゲイツ絶賛】知的財産権が「人類の進歩」を妨げるこれだけの理由

ビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグら世界のリーダーがこぞって賞賛し、Googleが何度も講演に招く人物がいる。イギリスを代表する科学経済思想家、マット・リドレーだ。その最新著作『人類とイノベーション』が本日刊行された。
世界的ベストセラーとなった著書『繁栄』から11年。「人類の進歩はどのようにして可能か」を追求し続けてきたリドレーは、「知的財産権」をどう見ているのか。本書の一部をお届けする。
3つのポイント
①「知財権」がなくても産業・イノベーションは大きく発展する
②「知財権ビジネス」がアイデアの普及を妨げる
③「特許争い」がイノベーションを阻害する

「知的財産権」がイノベーションを阻害する

「知的財産権」(特許と著作権)を正当とする理由は、投資とイノベーションをうながすために必要だからだとされる。これがなければ誰も新薬開発に投資したり本を書いたりしない――そうした主張のもと、アメリカを筆頭とする各国政府はこの数十年、知的財産権の範囲を拡大してきた。
だが知的財産権はイノベーションを阻止すると、証拠がはっきり示している。
(写真:tumsasedgars/iStock)

著作権はクリエイターの創作熱を上げない

著作権の場合、20世紀初めに権利期間が14年から28年に延長された。1976年、著者の死後50年まで引き延ばされ、98年には死後70年まで延長された(したがって、私の未来のひ孫は、もし売れればこの本で稼ぐことができる。いやはや)。さらに著作権は未発表の作品にまで拡大されたが、主張する必要はなくなったので、自動的に生じるようになった。
これで本の執筆や映画制作、音楽づくりが爆発的に増えたという兆候はほとんどない。たいていの人は、お金だけでなく影響力や名声を求めて、芸術作品をつくり出す。シェイクスピアは著作権を保護されず、彼の戯曲は海賊版が数多く出回ったが、それでも彼は書いた。
(写真:Trifonov_Evgeniy/iStock)
今日、知的財産の保護がない、あるいはゆるい世界——たとえば「海賊行為」がはびこる音楽業界——でも、クリエイターの熱意が衰えることはない。
1999年にナップスター社が初めて大規模なファイル共有を可能にして以降、アメリカ音楽業界の収入は、1998年から2012年までに75%も減少している。しかし新しい音楽アルバムの供給は、1999年からの12年で倍増した。
音楽業界におけるオンラインのファイル共有は、一時的な争いのあと、業界を消滅させることなく地位を確立している。アーティストたちはロイヤリティが転がり込むのをのんびり待つのではなく、稼ぐためにライブを行なうことに立ち返った。
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研究成果の普及を妨げる「学術誌ビジネス」

既存産業は、音楽ストリーミングだけでなく映画のビデオ撮りも含めて、芸術の世界に現われるあらゆるイノベーションに抵抗してきた。
その一方、科学においては納税者がほとんどの研究の費用を払っているが、公表される結果は、学術雑誌の高いペイウォール(有料の壁)の向こう側に隠されてしまう。
(写真:Fedor Kozyr/iStock)
牛耳っているのは高収益企業のエルゼビア、シュプリンガー、ワイリーの3社であり、彼らのビジネスモデルは、「資料の有料購読」というかたちで、納税者の投資の成果を納税者に売りもどすことだ。これによって大学が生み出す知識の普及は大幅に遅れており、イノベーションにとっての損失は明らかだ。
2019年、EUはオンライン著作権に関する指針を提案したが、そこには「何かをインターネットにアップロードする際、その許可を得ているかどうかを決定する責任を負うのは投稿者ではなく、インターネットプラットフォームだ」と定める部分がある。
ヴィント・サーフ、ティム・バーナーズ=リー、ジミー・ウェールズなど、大勢のインターネットの先駆者たちは、これはまちがいであり、定評のあるテクノロジー企業に費用を負担させて、小規模なスタートアップをたたくことになると主張した。
「第13条は、インターネットを共有とイノベーションのためのオープンなプラットフォームから、自動監視とユーザ統制のツールへと変えてしまう、前例のない1歩を踏み出すものだ」
WWWの考案者、ティム・バーナーズ=リー(写真:AP/アフロ)
特許について言えば、その目的は、発明の詳細を開示することを条件に、特許からの利益独占を一定期間認めることによって、人びとのイノベーションをうながすことである。財産でたとえると(「知的財産」という言葉でわかるように)自分の庭の周囲に塀がなければ、あなたはその手入れをしたり、価値を高めたりしないだろう。
しかしこのたとえには欠点がある。
新しいアイデアのそもそもの目的は、それを共有し、模倣されるのを認めることだ。物的財産とちがって、アイデアは2人以上が享受しても、なくなったり減ったりしない。
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経済学者のアレックス・タバロックは、アメリカの特許制度はイノベーションを促すどころか、いまでは阻んでいると言う。
タバロックいわく、ある時点をすぎると高い税率は歳入の減少を引き起こすことを示す有名な「ラッファー曲線」と同様に、ある時点をすぎると、強力な特許はイノベーションの低下を引き起こす。なぜなら、アイデアの共有を困難にし、参入障壁をつくり出すからだ。
1984年の半導体チップ保護法の結果、アメリカで特許は増えたがイノベーションは減った。半導体の会社が事実上、他社との争いに備えるために特許「軍資金」を蓄え始めたからだ。

「特許がイノベーションを守る」は嘘

本書『人類とイノベーション』では、イノベーターたちが特許争いのために、高くつくライバルとの係争で泥沼にはまった話をいくつか紹介している。ワット、モールス、マルコーニ、ライト兄弟、その他大勢が、人生最高の時期を、裁判所で自分の知的財産を守ることに費やした。
(写真:Pgiam/iStock)
同情に値する場合もある。多大な努力をつぎ込んだのに、自分の発明品から特許侵害者が利益を得るのを目のあたりにするのだ。
しかし、少なくとも称賛の一部には値するライバルとの、不毛な抗争を続けている例も同じくらい多い。
解決のために政府の介入が必要だった事例もある。第1次大戦の前、フランスの航空産業は順調に進歩したが、アメリカの航空産業は訴訟で行き詰まり、そのせいでイノベーションは中断してしまった。
1世紀後、「スマートフォン特許戦争」がライバルメーカーのあいだで勃発し、その結果、法律上の手続きが複雑になり、巨大テクノロジー企業以外は事実上締め出された。
(写真:ロイター/アフロ)
発明の詳細を公表する見返りとして、そこから上がる利益の一時的独占のようなものを発明者に与えるべきだという論拠は、妥当にも思える。
しかし、薬が販売可能と認められる前に長年にわたる高コストの試験が必要な、製薬業界のような特殊な場合を除いて、これがうまくいくという証拠は弱い。
まず「特許で守られていない分野にはイノベーションが少ない」という証拠はない。
企業内で生まれ、特許を取得されず、あちこちで模倣され、それでも熱心に考案された、さまざまな組織イノベーションは枚挙にいとまがない。複数事業部制の企業、研究開発部門、百貨店、チェーン店、フランチャイズ、統計的工程管理、ジャストインタイム方式の在庫管理、などなど。
同様に自動変速装置、パワーステアリング、ボールペン、セロファン、ジャイロコンパス、ジェットエンジン、磁気記録、安全カミソリ、ファスナーなどのテクノロジーはどれも、有効な方法では特許を認められていない。何かを発明することで、先行者利益が得られる。通常、それだけでかなりの報酬が手に入る。
(写真:oyaboya/iStock)

特許がなくても産業は発展してきた

もうひとつの問題は、「イノベーションの促進に特許が必要だ」という証拠はおろか、役立つことを示す証拠さえ、古今東西どこにもないことだ。
18世紀イギリスの時計と計器の製造業を例にとろう。発明力で有名な業界であり、ヨーロッパ中でうらやましがられ、着実に手ごろな値段になっていった高品質の時計だけでなく、顕微鏡、温度計、気圧計のような新しい精密な計器も生み出していた。
時計メーカーと眼鏡メーカーの会社は、特許を導入する議会の法律を無効化しようと大金を費やした。「技能の開発は職人どうしで自由にやり取りされる小さな改良にずっと依存しており」、特許のせいで「その技能を自由に発揮することができない」と主張したのだ。
オランダもスイスも、19世紀後半に特許制度はなかったが、どちらもイノベーションを育むことができた。
(写真:designer491/iStock)
ハーバード・ビジネススクールのジョシュ・ラーナーは、1世紀以上にわたる60カ国の特許政策強化にまつわる177件の事例を研究し、「こうした政策変更はイノベーションを促進しなかった」ことを明らかにしている。
日本では別の研究が、特許保護の強化は研究費もイノベーションも増やしていないことを示した。カナダの研究では、特許プロセスを集中的に利用する会社は、イノベーションを起こす可能性が高くないとわかった。

イノベーションは特許が「切れた後」に起こる

さらなる問題は、特許がまちがいなく商品のコストを上げることだ。これは肝心なところである。イノベーターが報酬を受け取るあいだ、競争が食い止められる。これでイノベーションの発展と普及が遅れる。
経済学者のジョーン・ロビンソンによると、「特許制度を正当とする理由は、技術的進歩の拡散を減速することによって、拡散すべき進歩を確実にさらに増やすことにある」。
しかしそうなるとは限らない。それどころか歴史を振り返ると、特許終了に続くイノベーション爆発の例はごまんとある。

特許は「発明」には有利

最後に、特許はイノベーションより「発明」に有利な傾向、つまり「最終的に装置を市場に適応させる段階」より「最初の原理発見の段階」に有利な傾向がある。
これが「特許交錯」と呼ばれるものの蔓延につながっている。知的財産権の境界があいまいなせいで、知的世界を進んで新製品を開発しようとしている人たちの歩みが止まってしまうのだ。
これはバイオテクノロジーでとくに問題になっている。イノベーターは研究のごく一部で使う必要がある分子について、他人が取得した特許をいつのまにか侵害してしまう。
スタートアップは、新しい分子経路にある分子のひとつの使用に関して、別の会社がすでにあいまいな特許を取得しているという不愉快な事実を知り、その経路をたどることができないと気づく。
(写真:janiecbros/iStock)
マイケル・ヘラーが2010年の著書『グリッドロック経済』(亜紀書房)で主張しているように、これは商人が市場につながるルートすべてで通行料を払わされるのに似ている。この慣行は価格を上げ、商売を抑圧する。

知財権がもたらす額の「4倍」が訴訟に回っている

こうした証拠にもかかわらず、業界——とくに法曹界——は近年、はるかに厳しい特許保護を求める主張をして成功している。
毎年アメリカ特許商標局が発行する特許証の数は、1983年から2013年の30万超まで5倍に増えたが、2013年には経済成長が減速した。したがって、特許が経済成長を助けたとは思えない。
信じられないことに、ある研究結果によると、化学業界と製薬業界を除いて、知的財産権をめぐる訴訟にはその知的財産権から得られる報酬の4倍のカネが費やされているという。
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実際ほとんどの訴訟は、製品を何もつくらず、ただ特許を買って、それを侵害する相手を訴えるビジネスをするだけの会社によって起こされている。
そうした会社はいわゆる「パテント(特許)トロール」であり、その活動にアメリカは2011年だけで290億ドルを費やしている。 カナダの携帯メール会社ブラックベリーは、そのようなトロールに絡まれて、ひどく高い代償を払うことになった。
ところがそのブラックベリー自身が近年、パテントトロールのようになっており、携帯によるメッセージ送信、携帯広告、そして「着メッセージの通知」のような、自明のものに対して財産権を主張し、フェイスブックやもっと最近ではツイッターを、その侵害で訴えているのだ。

ではどうすべきか?

タバロックは3段階特許制度を推奨している。特許権存続期間を2年、10年、20年とし、短期の特許はもっと迅速に、簡単に、安く付与するというのだ。
現在、新規かつ非自明のアイデアは、イノベーションのコストが10億ドルでも20ドルでも、20年の特許を付与される。
しかし特許が正当化される業界もあれば、そうでもない業界もあることをタバロックは認識している。
薬剤が最も明確な例だ。会社が薬をつくり、テストし、安全で効果的だと実証するために10年と10億ドルがかかるなら、他社がコピー製品で乱入できるのは不公平に思える。
(写真:bombuscreative/iStock)
しかしこの場合でも、現行の特許制度に反対する主張がある。
テクノロジー投資の成功者ビル・ガーリーは「製薬会社は独占の利益を、新製品の探求ではなく、マーケティングと独占そのものを守ることに使っている」と言う。製薬業界が、アルツハイマー病のような病気向けの効果的な新薬を見つけることにも、イノベーション全般のペースを維持することにさえも、散々に失敗していることは、知的財産制度に効力がほぼないことを証明している。
「薬剤に特許がない世界にいたら、私たちはどうなっているか想像しなくてはならない。誰もイノベーションに取り組まないだろうという考えはばかげていると思いますよ」とガーリーは私に語った。
(写真:Creativeye99/iStock)
全体として見れば、特許と著作権はイノベーションに必要であることも、役立つことも、はっきり示されていない。イノベーションには知的財産権による是正を待っている「市場の失敗」の兆候はまったくないが、特許と著作権が実際にイノベーションを抑制している証拠はたくさんある。
知的財産権はイノベーションと成長の足手まといであり、知的財産法が宣言している目的とは正反対の代物なのだ。
CATO通商政策研究所長のブリンク・リンゼイとスティーヴ・テレスはこう述べている――。
「知的財産保護が被っているヒツジの皮をはいだら、それがオオカミ、つまり景気低迷の主原因であり不当利益の道具であると考えるのは、まったくもって妥当である」