2021/2/26

【知的資産経営】硬直する組織の壁を突破し、新事業を創出せよ

編集ライター (NewsPicks Brand Design 特約エディター)
 大企業において新規事業の創出を考えるとき、切っても切り離せないのが「知的資産」の整理と活用だ。
 知的資産とは、人材や技術、ノウハウ、人脈など財務諸表には表れにくい資産を指し、コロナ禍では知的資産を可視化して活用する「知的資産経営」がより注目されている。
 しかし、知的資産が豊富にあれば新規事業を創出できるわけではない。大企業が新規事業を創出しようとすると、いくつもの壁が立ちはだかるのは周知の事実だろう。
 では、どのように知的資産を活用して新規事業を生み出せばいいのだろうか。
 リコーで15年以上新規事業開発を続け、新世代の360度カメラ「RICOH THETA」を生み出した、リコー執行役員・Smart Vision事業本部長の大谷渉氏と、組織開発のプロフェッショナルであるピョートル・フェリクス・グジバチ氏の対談から、大企業が新規事業を創出するにあたって露呈する組織課題と、その解決方法を探る。

第一関門、機能組織の壁

──大谷さんは、新世代360度カメラ「THETA」をはじめ、複数の新規事業を開発されています。大企業が新規事業に取り組もうとしたとき、最初に突破すべき壁は何でしょうか。
大谷 大企業が新規事業に取り組む際、最初に越えないといけないのは「機能組織の壁」です。
 企業は規模が大きくなればなるほど、機能と責任が高度に分担されます。
 これは悪いことではなく、大企業がプロフェッショナルを機能として配置し、機能を受け渡しながら仕事を回すのは、必然の仕組みです。
1985年リコーに入社。研究開発、技術企画部門を経て、2012年から新規事業開発担当として、全社の事業開発プロジェクトの運営と投資判断の責任者。提案~実行プロセスの設計および日本、USとインドの事業開発拠点の運営を行ってきた。2017年からは自ら立ち上げた事業テーマの事業本部長として運営中。企業内の事業開発プロセス全般の経験を持ち、価値創出にフォーカスする。
 でも、新規事業で価値を創出しようと思ったら、提供価値やビジネスモデル、社会へのインパクトなどを、スタートアップのように一気通貫で考える必要があります。
 このカルチャーギャップをどう越えるかが最初のテーマだと思います。僕の場合はリコーが持つ知的資産を読み解きながら、その壁を乗り越えてきました。
──大企業の機能組織は、具体的にどんな影響をもたらすのかを教えてください。
大谷 機能組織は、戦略とチーム作りを阻害します。
「大企業に入社する=機能組織に入る」ということなので、大企業で働く人は最初から与えられた役割以外に責任を持つ必要がありません。
 だから新規事業の開発時も、全体を見るという発想が出てこない。
 たとえば、スタートアップは全員が事業成長にコミットしますが、大企業はそういう経験がないので、新規事業のチームを作ると「品質保証は誰?」「知的財産を管理するのは誰?」という話になりがちなんですね。
 僕はそれに対して「君がやるんだよ」と言ってきたわけですが(笑)。
 結果として大企業で起こりがちなのは、既存事業でそれぞれの役割に就いている人を集めて、50人100人規模のチームを作ってしまうこと。
 物事を機能単位で考えていたのでは、新規事業は立ち上がらないし、イノベーションは起こりません。
 自分が当事者となってやりたいことを自ら選び、目的を共有した“冒険チーム”を組んで、未踏の山を登っていく。このマインドセットに変える必要があるのです。

ハッカー文化で、作り手のエネルギー量を活用

──機能組織の壁を壊すために、どんな工夫をされたのでしょうか。
大谷 僕が新規事業チームを作るときに必要だと思うのは、「自己選択の掟」「自由と規律」の2つのルールを徹底することです。
規律を守っていれば、自分で自由に選択して行動できる。なるべくルールを作らない代わりに、倫理に反したらダメだよ、と。
ピョートル シリコンバレーの考え方ですね。規律を守らないとアウトだけど、自由がある。
連続企業家、投資家、経営コンサルタント、執筆者。モルガン・スタンレーを経て、Googleで人材開発、組織改革、リーダーシップマネジメントに従事。2015年に独立し、未来創造企業のプロノイア・グループを設立。2016年にHRテクノロジー企業モティファイを共同創業し、2020年にエグジット。2019年に起業家教育事業のTimeLeapを共同創業。ベストセラー『NEW ELITE』他、『PLAY WORK』、『PARADIGMSHIFT』など著書多数。新著に『パラダイムシフト 新しい世界をつくる本質的な問いを議論しよう』。ポーランド出身。
大谷 まさにそうです。僕が新規事業を始めた2005年は、日本でGoogleマップやiTunesがリリースされ、FacebookやTwitterなどが誕生した頃。
 当時、シリコンバレーのコンサルタントから聞いたのは「Googleは、ハッカー文化を初めて経営に取り入れた会社だ」という話でした。
 新しいものや価値を作りたいなら、作り手のエネルギーを活用しないといけない。そのためにハッカー文化は必要不可欠だ、と。
 たしかに、オープンソース活動やコミュニティ活動に取り組んでいるエンジニアは、誰かに言われたからやっているわけではないですよね。
 「楽しいから」「世の中の役に立ちたいから」自己選択として取り組んでいるわけで、このエネルギー量と、“上司に言われた仕事”をやるときのエネルギー量は、比較になりません

市場資本主義がティンカリングを抑制?

──今では日本でも、作り手のエネルギー量を活用した新規事業開発が当たり前になりました。それでも、大企業の新規事業がなかなかうまくいかない理由は何でしょうか。
ピョートル エンジニアは「個人起点」と「原体験」をベースに、「ここをいじったら良くなるかもしれない」という職人気質で新しいものを作ります。
「Tinker(いじる)」という言葉がありますが、作り手は朝まででもティンカリングしたい、つまりいじくりまわしたいんですね。
 GoogleもFacebookも、それが大発明につながることがわかっているから、エネルギーが湧いたときに集中できる環境を整備しています。労働時間を問わない働き方や、仮眠室、カフェテリアがあるのはそうした理由からです。
 一方、日本の大企業はピラミッド型の軍隊的構造になっているので、プロダクトを簡単にいじれません。
大谷 いじると怒られますからね(笑)。
ピョートル そうそう。その要因を作っている根本は、市場資本主義だと思っていて。企業はIPOをすれば膨大なリソースを得てスケールアップできる一方で、株主の存在が大きくなります。
 すると、企業にとって誰がお客様で何が価値なのかが複雑になりますよね。株主を満足させるために短期間で売り上げを出そうと思えば、ティンカリングはできない。
 だから作り手の「楽しいからやる」エネルギーは湧きづらいのです。
大谷 デジタル化の罠もありますね。デジタル化によってすべてが数字で見えるようになると、管理者は一生懸命に管理するようになります。
 それ自体は悪いことではないのですが、管理すればするほど“遊び”がなくなっていく
 イノベーションには、遊びや冗長性が必要だけど、デジタルは冗長性をクリアにしてしまう側面を持つから、悪気なくその罠にハマっている大企業は少なくないと思うんです。
 遊びの部分と、機能組織の中に戦略やチームを作るためのノウハウや哲学が、セットで抜けているように感じています。

言葉を変えると見え方も変わる

──「機能組織」と「自由と規律」は相反するものだと思いますが、機能組織の中でも自由と規律を実現するための秘訣はありますか?
大谷 身も蓋もない回答かもしれませんが(笑)、小さくてもいいからまずは「結果」を出すことだと思っています。
 というのも、スタートアップは結果に対して強烈にコミットしますが、大企業の新規事業は「新規」という言葉が免罪符になっていると思うんですね。結果が出るのは時間がかかるし、結果が出ないかもしれない、と。
 そうではなくて、小さくても結果にコミットするのが大切だと思っています。
 頭に「新規」がついているうちは事業ではないから、「事業」になるために、結果にどうつなげていくかが大事です。
──結果を出すための工夫は何かありますか?
ピョートル 自分たちが普段使っている「言葉」を変えてみる
 社員を「品質管理」「マーケティング」と役割で見るのではなく、全員が同じパーパスの下で社会貢献のための役割を担っていると捉えれば、見方が変わってきます。
大谷 言葉を変えるのはすごく重要ですよね。チームでアイデア出しをする際、事業の目的や手法などを1.5ひねりした違う言葉に置き換えてもらっています。
 すると、同じ社内リソースでも見え方が変わり、「知的資産」の中に見えていなかったチャンスが見えてくるんですね。
 たとえば、「パノラマ」を「バーチャルツアー」に変えると使い方を広げられましたし、「ポータルによる集客」を「営業活動のワークフロー」に変えたことで、集客の考えからワークフローを作るという変化が生まれました。
 ほかにも「顧客接点」を「カスタマーエンゲージメント」に、「顧客価値」を「10xの顧客価値」などに置き換えて、イノベーションの起爆剤にしてきました。
 それが、ヒエラルキーが強固な大企業の知的資産を有効化するための、大切なプロセスだと思っています。

ハイコンテクストな文化は弱みではない

──知的資産を違う言葉で読み替えて、新しい価値を見いだすのが大事なのですね。
ピョートル そうです。知的資産は形がないもの、つまり会社の伝統や歴史、失敗などのすべてが入ると思います。
 たとえば、僕が生まれ育ったポーランドと日本では、現在に至るまで歩んできた歴史がまったく違うから、それぞれの国民は違う潜在意識を持っています。
 同じように、大企業で何十年も働いた人は、そこで見た世界や得た情報、フィードバックなどのすべてが、潜在意識になっているんですね。
 それは、個人だけでなく、部署や企業も同じです。
 この潜在意識は、とてもハイコンテクストな言語化されていない知的資産
 日本はハイコンテクストな文化が弱みだと思いがちですが、潜在意識をストーリーとして落とし込んで言語化すれば、強みにもなるんです。
 たとえば、GoogleにはGoogleらしさを表現する「Googleyness」という言葉があるのですが、僕が働いていた当時、Googleynessには唯一の定義がなく、全員が共通して認識できるような簡単な言語化もされていませんでした。
 だから、みんながGoogleynessを理解しようとして、「僕が困っているときにAさんが助けてくれた、まさにGoogleynessだ」と語り合い、自分たちのGoogleynessのストーリーを作って納得して、隅々まで浸透させていました。
大谷 こういった、ハイコンテクストな知的資産を言語化していかに残すかを考えないと、デジタル化で透明度が上がれば上がるほど、強みが殺されてしまう可能性もありますね。

情報を管理し、自由なアクセスを可能にする

──あらためて、硬直しかけた大企業が新規事業に取り組むためには、何が必要だと思いますか?
ピョートル 優秀な“人”を管理するのではなく、顧客データや社内情報を管理して、自由にアクセスできるようにすることです。
 しかも、名刺などの顧客データは最新の情報を正しく管理する必要があるので、属人化しないようテクノロジーの活用が不可欠です。
 たとえば、クラウド名刺管理サービスだとSansanは、各社員の人脈を可視化・共有し有効活用できる機能を備えています。
ニューズピックスはかなり自由に社内のデータベースを活用して、人や情報にアクセスしていますよね。
──そうですね(笑)。
ピョートル 僕が最初に名刺を交換したのは、元編集長の佐々木さんです。その後、部署や事業を越えてニューズピックスに属する人たちが僕にアクセスするようになりました。
 今回の対談もそうですが、人や情報に自由にアクセスできるようになると、新しい出会いや発想、価値創出につながるんです。
大谷 情報にアクセスしやすくするのは、すごく大事なことですよね。人づてにバイラルが起きると、結果につながる確度は高まっていきますから。
ピョートル それから、コロナ禍で物理的に会うのが難しくなって、「リモートでは機会損失になる」などと捉えている会社は少なくないと思います。
出典:Sansan株式会社「企業の商談・人脈・顧客データに関する意識・実態調査(2020年)」
 だけど、そういったネガティブな側面がある一方で、テクノロジーを活用して新しいチャンスを手にする人は、日本でもたくさん生まれていますよね。
 対面営業ができなくても、名刺情報でコンタクトを取るのはもちろん、ZoomやTeams、TwitterやFacebook、Clubhouseでつながってもいいのだから、むしろ営業はしやすくなっているはず。
 個人としてはテクノロジーで世界とつながるのが当たり前なのに、「会社員」になると途端にできなくなるのは、行動パターンを切り離しているからです。
 このマインドセットを企業も働く人も変えていけば、一人一人がもっと価値を出せる社会になると思っています。
大谷 そうですね。リモートが浸透したことで、「あなたはどんな価値を出せるのか」をより問われる世界になったと思います。
 プロセスではなく、価値を生むことにフォーカスされた世界は素敵ですし、企業のDXはその世界に向かうための入り口だと思うんですね。
 特に大企業で働いている人は、今まで自分がどんな価値を生むかを考える必要がなかったので、個人を生かすチャンスになると思っています。
 今は世界中とデジタルでつながっていますし、個人のエネルギーを生かせる時代です。
 だから企業は、デジタル化やDXを新しいチャンスだと捉え、知的資産を読み解いて組み替えながら、個人のエネルギーを生かせるように変えていく。
 そういった世の中になれば、人はもっとポジティブに生きられると思っています。