「近所で遊ぶ子どもがうるさい」とネットに書き込む人は、ただの子ども嫌いではない
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コミュニティ自体が疎遠あるいはない中、他人の子供を叱るのは本当に難しい。
昔のように地域で子供を育てていた時代にはお互いに身分をわかって、キャラクターもわかって「隣のおじさんに叱られた」経験も社会の構成の中ではコミュニティ社会の仁義を学ぶ機会だったものです。
知らない他人に一方的に叱られ、叱った人もその子供に対してなんの影響も発揮しないとなるとやはり声をかけづらい。
これは地域コミュニティのあり方の課題ですね。誰にも迷惑かけないで大人になった人は1人もいません。
小さい頃は確かに私も道路族だったかな、笑。
公園の方が安全だよ、と声を掛けてみてはいかがでしょうか。
コミュニケーションが片方向な大人が多いことを憂慮しています。。昨今のネットで「道路族」の被害に大きな共感が集まっているのは、「子ども」が嫌いな人が幅を利かせる不寛容社会が到来しているからではなく、「子ども」という存在が持つ権力に怯えている人が増えているからこそである。
考えさせられる記事でした。
でも、心当たりもあり、かなり本質をついていると思いました。
騒音は、実際の音の物理的な大きさよりも、
当事者の心理的な状況が大きく反映する類の「公害」です。
だから、一旦嫌悪感を持ってしまうと、
いてもたってもいられなくなるんだと思います。
大学で教えているのですが、
大学が学生を腫れ物のように扱っていると感じることがあります。
昭和の大学生活と比較してはいけないと思いますが
大学は、もっと勝手に勉強するところだと思っていました。
今や、手取り足取りやらないと
お客様満足度の観点でサービス不足という考え方で。
人権が尊重されるようになったことの反作用として
子どもが厄介な弱者になってしまったことは否めません。
怒るのは愛だということが伝わらない社会。
もっと濃い関係の近くの誰か。
少数であっても、親戚みたいなおじさんおばさんがいる社会へ持って行く
時代に応じた手法が必要だと感じました。