「頭の柔らかい人」がしている、当たり前を疑う習慣
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日本人は、真面目で勤勉家、一つのことに打ち込むことが得意だよね。だけど、面白くないことを生み出す天才だね…とひと昔前に、イタリア人の同僚に言われた際に、面白くないという意味を真剣に考えたのを思い出す。ムダやムラを徹底的に見つけ出し、極限まで無くしていく姿勢は職人気質を感じるが、大事なものまでも削ぎ落としている気がする。特に、ユーモアは、"必要なムダ"の中にあるものだと思う。敢えての余白、敢えての未完成、敢えての隙間などは、一見ムダに見えるかもしれないが、そこから創造的なアイデアが生まれる機会になる。"あれ?なんで??"という問い掛け、疑問が自然に生まれることを無くしてはいけない。
注目のコメント
つまり、子どものような思考なんでしょうね。
子どもって、当たり前が当たり前じゃなかったりしますよね。
質問の本質を突いているというか…。
頭が堅い柔らかいというよりも、ゼロベースで考える習慣も大切だなと思います。バンクシーの「風船と少女」を思い出しました。
当たり前は、日常に生じる凸凹を埋める便利な機能ですよね。この凸凹の存在を無理やり引っ張り出すのが、逆転などの思考法なのでしょう。
それにしても、シュレッダー名刺は凸凹を引き裂いて、天変地異を起こすレベルですね。