2021/3/5

【爆誕】3100万人の巨大市場を攻略せよ。「デスクレスSaaS」という新潮流の圧倒的ポテンシャル

NewsPicks Brand Design editor

現場は手つかずのまま残されている

 スタートアップ企業の登竜門として知られるピッチコンテスト『LAUNCHPAD』。2020年12月にはSaaSに特化した『IVS LAUNCHPAD SaaS』が開催されたが、そこで優勝したのが2016年創業のデスクレスSaaS=『カミナシ』だ。
 創業まもないスタートアップが大きな注目を集めることはもはや珍しいことではないが、カミナシの場合は少し事情が違う。
 カミナシは、2016年の創業から3年間食品業界向けバーティカルSaaS(ある業界に特化した専門的なソフトウェア)に取り組んだが、有り体に言えば、失敗。
 2019年から「デスクレス」という巨大市場向けのホリゾンタルSaaS(業界を絞らずに水平展開できるサービス)へピボットしたことで、起死回生を遂げたのだ。
 ノンデスクワーカーとは、一言でいえば「オフィス以外の現場で働く人」だ。
 国内のデスクワーカーは約3400万人、一方のノンデスクワーカーは、約3100万人。働く人々の約半数は、いまだにPCやスマホを使わない、紙への依存度が高い「現場」にいる。
 カミナシはその名のとおり、現場のペーパーレス化を目指しているが、ペーパーレスはあくまで目標のひとつ。志向しているのは「現場で働いているノンデスクワーカーすべての人たちが使え、さらに働き方を変える現場改善プラットフォーム」だ。
「ノンデスクワーカーがいる現場で使われるツールのなかで最も多いのは“紙”で、いまだにWindows以上の独占率です。紙に書かれたマニュアルを見ながら作業し、作業の結果を紙に書き込む。必要があれば紙からエクセルに転記し、場合によってはそれがまた紙に印刷され、ほかの人の手に渡る。
 起点が紙であるがゆえに後工程まで非効率がどんどん連鎖していく。だから現場の紙をデジタルに置き換えるだけで、インパクトは現場以外にも及ぶんです」
1984年生まれ。2009年慶應大学経済学部卒業。リクルートスタッフィングに入社し営業職を担当。2012年に家業であるワールドエンタプライズ株式会社に入社。エアアジア・ジャパン予約センターの立ち上げ、機内食工場、ホテル客室清掃、バスポーター事業、空港業務など、ブルーカラーの現場業務を運営。その原体験から、2016年12月に株式会社カミナシ(旧社名:ユリシーズ株式会社)を創業し、ノンデスクワーカーの業務を効率化する現場改善プラットフォーム「カミナシ」を開発。
 こう話すのは、カミナシの創業者である諸岡裕人社長だ。ピボットに不安がなかったわけではないと言うが、2020年6月のローンチから半年強で、工場、飲食チェーン、警備業、製薬会社、介護施設、商社、コンサルなど、すでに14業界、約70社に採用されている。『LAUNCHPAD』での優勝も相まって、ひっきりなしに問い合わせが来ている状態だ。
「僕たちが最初に取り組んだ『食品業界』とは比べ物にならないほど市場規模が大きいのが、デスクレス領域です。
 僕自身、従業員の97.5%が現場作業者という環境で、現場管理者として働いていた経験があります。それで『絶対にニーズがある(はず)』と勝負をかけましたが、反響を見て『予想は間違っていなかった』と自信に変わっていきました」
 ここ数年、日本でも盛んにDX(デジタルトランスフォーメーション)の必要性が指摘されるようになった。ただし、それを支えるSaaSは、デスクワーカーを対象にしたものがほとんど。
 コミュニケーションツールやHRテックなど、ここ10年ほどでデスクワーカーはDXによる恩恵を受けてきたのに対し、ノンデスクワーカーはいまだに非効率な環境に置かれているのだ。

デスクレス領域に眠るブルーオーシャン

 セールスフォースなどのSaaSプロバイダは、シリコンバレーで生まれ、力をつけてから日本に上陸することが多い。最近ではHRテックも同様だ。
 アメリカではすでに2017年頃から、「次に来るのはデスクレス系のSaaSでは」という話がちらほら出ていた。しかし、まだアメリカでもその領域における動きは鈍い。その理由のひとつとして考えられるのが、開発側とユーザーの「距離」だ。
 シリコンバレーでは、「自分がユーザーとして使いたいサービス」を皆がやりたがる傾向があるとされる。いわば究極のデスクワーカーであるシリコンバレーの人々にとって、現場は遠い存在なのだ。
「実際、オフィス内でしか働かない人が、ノンデクスワーカーの存在を意識することはほとんどないはず。でも、ちょっと気をつけて街を歩けば、紙のマニュアルを見たり、作業内容を紙に書いたりと、紙を手に作業しているノンデスクワーカーはいくらでも見つけられます」
 現場と言われて、建設工事現場を真っ先に思い浮かべる人は多いだろう。しかし、飲食や農業、介護などでも、現場が紙に依存していることは変わらない。
 そもそも、日本におけるノンデスクワーカーの割合は約半数だが、世界全体で見ると、労働人口のうち80%にあたる27億人がノンデスクワーカーとして働いている。ところが、VCなどによるソフトウェアへの投資のうち、2018年時点で、この領域に投下されている資本は1%程度(Emergence Capital調べ)。
 そのギャップに加え、生活者としてのITリテラシーは年々高まっていく。
「初代iPhoneが発売されて、今年で14年。ミレニアル世代が労働力の大部分を占めるようになり、60歳くらいの人でもスマホを持つのが当たり前になってきました。
 要は、現場で働くほとんどの人が、プライベートではITを使いこなしているのに、人生の大部分を過ごす仕事場では紙とペンを使っている。こんな不条理なことはないですよ」
 それに気づいた人々は、使命感に燃え、あるいはビジネスチャンスを見出し、デスクレス業界へと切り込み始めている。投資家たちの視線も熱い。現にカミナシも、シリーズAで大型調達を実施した。
「去年の8月、社員には『2021年6月までに10億円以上の資金調達をしよう』と号令をかけたのですが、半年で内定をもらったため、かなり前倒しで目標を達成しました。
 僕たちは、作業者が毎日使う紙を置き換えようとしています。現場で最も日常的に使われるタッチポイントを押さえることで、プラットフォームとしての可能性も期待されています。Appleの『App Store』でアプリを選ぶように、他社製のものも含めて、カミナシに搭載したい機能を選ぶようなイメージです」
 現状ではAIやIoTを現場に持ち込もうとしても、一筋縄ではいかない。最新の技術を現場に落とし込むためには、多額の費用や大きな労力が必要だからだ。具体的には、基幹システムとの連携に数千万円〜数億円規模の投資をする前に断念するケースや一部だけ自動化した結果、大量の紙が手つかずに残ってしまうケースが存在する。
 まずは「現場の紙をすべてデジタル化する」ことが重要となる。その上で、人が手入力しているデータに優先順位をつけて、「センサーで自動化」したり、「AIで分析」していく。
 カミナシを最初のプラットフォームとして、さまざまな最新技術を導入していけば、よりスムーズに現場の効率化が図れる。
 デスクレス領域のおもしろさは、APIを通じて「物理世界とつなげられる」点にある。これは、パソコンとインターネットで完結するデスクワーカー向け領域ではありえないことだ。
 たとえば、人が行くには危険な場所にドローンを飛ばしてカミナシ上で記録をつけたり、装着したスマートグラスにカミナシ上の作業マニュアルを表示することで、ハンズフリーで作業ができるようになる。
photo: Natnan Srisuwan | istockphoto
 少し前には夢のような話だったが、5G通信が工場や現場にも導入されつつあり、無人化できる部分はどんどん増えている。
「実現するのはもう少し先の未来ですが、昨年にはIoT温度計の開発企業と業務提携を行うなど着々と準備を進めています。近い将来には、カミナシのAPI公開なども予定しています」
 現場で活躍するSaaSが、いつ爆発的に普及してもおかしくない状況ができあがりつつあるということだ。

新卒入社の9割が3年で辞めていく厳しい現実

 そもそもカミナシが食品工場向けのSaaSから出発したのは、諸岡氏の原体験とも言うべき、前職でのキツい体験が理由だ。
 諸岡氏の父親は空港、ホテル総合管理、ビル清掃メンテナンス、ケータリングなどを手掛ける会社の創業社長。諸岡氏は新卒で入社した会社で営業を担当したのち、家業に入社した。
 先述したとおり、従業員の97.5%は現場の作業者で、諸岡氏もデスクワークのかたわら現場のオペレーションを回し、人手が足りないときには自身も作業員として働いた。
諸岡氏の父の現場である工場にて
「現場で働きながら新規事業を生み出せ、と父から言われていましたが、現場に行っても、正直、何も思いつきませんでした(苦笑)。ゴキブリがビッシリ貼り付いたゴミ箱を洗ったことも何度もあります。汚いし、きついし、かつ管理監督もしなきゃいけない。
 でも、一番こたえたのは、目をかけていた若手がすぐに辞めてしまうこと。パートの人たちはある意味『仕事』と割り切って頑張ってくれますが、新卒採用者は非効率さに意義を見出せずに3年で9割辞めていきます。しかも、優秀な人ほど、早く見切りをつけてしまう」
 父親と同じように32歳で起業することを決めていた、と諸岡氏。2016年の起業直前のタイミングではこの業界から「逃げたい」と思っていたが、「もう一度業界と向き合おう」と考え直したそうだ。何が心を変えさせたのか。
「起業に向けて具体的に行動している人や、すごいエンジニアたちとの会合で、まだ道を決められずにいる僕は何も話せることがなかった。それで、自分のいる業界がいかに厳しい環境かという話をしたんです。すると、『めっちゃアツいじゃない!』と言われて(笑)」
 諸岡氏の話に「アンセクシー!」と声がかかる。声の主は当時500 Startups Japanのマネージングパートナーを務めていた澤山陽平氏(現Coral Capital)だった。
 SNSをはじめ、すでにバズっているような「セクシー」な業界は競争も激しい。これからチャンスがあるのは「アンセクシー」な業界だ。澤山氏の話を聞いて、諸岡氏は自身の置かれた特殊な境遇に気づいたのだ。
「世間一般、社会の他のコミュニティの人に話すと、『なんすかその世界!?』『知らなかった!』とめちゃくちゃおもしろがられる。確かにIT業界にいる人は、そんな『現場』と接点がないわけです。自分の見ていたものに実はすごい価値があるんじゃないかと思い、やっと道が定まりました」
 そうしてカミナシが最初のプロダクトに選んだのは、食品工場のバーティカルSaaSだ。それから3年間、IT企業として食品メーカーと向き合うなかで、ひとつ気づいたことがあった。
 それは、現場に立つノンデスクワーカーたちのポテンシャルだ。IT業界では、会う人会う人、みな優秀だった。しかし、彼らにはGoogle Analyticsがあり、HubSpotがあり、Salesforceがある。デスクワーカーは、ITツールによっていわゆる「ゲタ」を履かされた状態なのだ。
「現場の人たちには使えるツールもなく、昭和と同じやり方。それでもミスなく、決められたことをちゃんとやっている彼らにはすごいポテンシャルがあるんじゃないか。
 そのとき思い浮かんだのは、前職で早々に辞めていった人たちの顔です。仕事が嫌になって辞めていった彼らのような人を減らしたい。現場の人々のポテンシャルを解放し、IT業界の人たちと同じように能力を最大限に生かせる世界にしたい、そこに人生を懸けてやろうと

カミナシは現場に繰り出し、現場を変える

 食品工場からより広く、ノンデスクワーカーへと狙いを変えたのは、もうひとつ理由がある。
 業界を絞って事業成長しようとすると顧客数は限られる。大きなビジネスを作ろうとすれば、1社から多くの売上を上げなければならない。サービス単価を上げると、解決すべき課題の難易度も上がる。結果として課題解決が困難すぎて、自社の体力と見合わないと判断したためだ。
「食品工場に限ってビジネスを続けていく場合、相手企業の基幹システムと完璧に連携できるようなレベルが求められます。最初からそこを目標にしていたならば、大型調達して走り出すという選択肢もあったでしょうが、当時、僕たちはたった4名のシードスタートアップですからね。
 調達した資金があと10ヶ月で尽きるという2019年末にピボットを決意しましたが、ノンデスクワーカーのポテンシャルを解放したいという思いと、『ここで目標を切り替えなければ続かない』という危機感の両方がありました」
 その結果、完成したカミナシに対する反響はすでに述べたとおりだ。幅広く受け入れられ、食品工場への導入も当時の3倍以上に増加している。それほどに反応がいいのはなぜなのか。
 差別化の一番のポイントは、自由度の高さ。カミナシで用意したパーツを、現場にいる担当者が自らレゴブロックのように各現場にあわせて組み立て、一社一社のやり方に寄り添った業務アプリにできる。いわゆる「ノーコードツール」なのだ。
「ただし、とにかくいろいろなパーツを用意すればいいかというと、それは違います。
  たとえばパーツが1000個あったら、自分たちに必要なものがどれなのかもわからなくなる。だから、どの業界でも使えるように設計したり、『これはもっと抽象化しよう』『これとこれはセットにしよう』という調整が必要です」
 この調整こそが、カミナシのキモだ。そして、その調整を可能にするのが徹底した「現場ドリブン」志向
 企業には、それぞれの業務内容に応じた帳票とチェックリストと、それにまつわる業務フローが存在する。それらは、いかに業界特化したバーティカルSaaSでも拾いきれない。
 実際、基幹業務をバーティカルSaaSが担当し、そこからこぼれ落ちていた部分をカミナシが補完するかたちで運用されるケースが多いのだが、それを可能にするのは、業界ごとに複数の現場に足繁く通い、実際の帳票を確認して業務フローを理解し、プロダクトに反映していく、ある種の泥臭さだ。
 集めてきた帳票は1000を超えたが、「もう十分だろう」と現場と距離を置くことはない。カミナシのメンバーたちは自分の知らない現場に触れるたび、知られざる現場の無駄を発見できること、それを自分たちで改善できることにおもしろさややりがいを見出しているからだ。
「先日、メンマを作る工場でカミナシを導入していただいたのですが、カスタマーサクセス担当のメンバーは先方とやり取りするうちに、メンマにめちゃくちゃくわしくなっていました。スタートアップ界隈のカスタマーサクセスで、メンマの作り方を一から十まで知っているのはただひとりでしょう(笑)」
 この開発側と現場との距離の近さこそが、カミナシを唯一無二の「デスクレスSaaS」たらしめているのだ。
 そんなカミナシには、VC関係者からも驚かれるほどの優秀な人材が集まっている。
「同じフェーズの企業と比べても採用できている人材のレベルが高い、とよく褒められます。最近では、成長中のSaaSスタートアップでCXOや事業責任者を担っていたような方が次々に入社を決めてくれていますが、うちの特異性ゆえかもしれません。
 オフィスで働いて、カミナシ以上に収益を上げられるビジネスはたくさんあるかもしれない。でも、デスクワークをしていたら出会えないような活気のある現場をあちこち見ることができて、150万社が対象になるような仕事はそうはありません。
 50年間変わらなかった現場を、次の5年で変える。そんな挑戦に胸を熱くする、好奇心旺盛な人とともに、未来を切り拓いていきたいですね」