デジタル広告こそ「ファン起点」で考えるべき理由
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選択しているユーザー
KPIは、人に極端な行動を促すときがあります。
悪いKPIなら、人に悪い行動を
曖昧なKPIなら、人に狡猾な行動を 促します。
その様に悪いKPIで育てられた広告が
ネット空間に満ちています。
今やネット広告の印象は、単に「ウザイ」
AIやIoTなど情報技術が発達し、リアルタイムに需要把握出来る様になってきてます。 それでも 次のものが無いと役立ずのままです。
ネクストアクション
心地よく需要を喚起してネクストアクションに魂を吹き込む手段のひとつが広告だとすると、
まさに、この記事で注目している様に
ファン起点で、広告そのものをも大切にする理由は満ちています。
これ以上広告に悪い印象を与えない様に。
ファンと共に 広告が育ちますように。
MaaSは次の3つが一体になって発展する事でしょう。
- 正確な「需要」把握
- 全体最適でジャストインタイムな「移動手段」
- 需要喚起してこの二つを結びつける好い「広告系」
発展した世界は、こうなるでしょう。
・ワクワク期待を高める広告
・ストレスフリーな移動
・期待以上のパフォーマンス
・リーズナブルな移動
・愛する人々との良いひととき
・快適で安全な帰宅
・心地好い余韻と 次への期待を高める広告
注目のコメント
いわゆる「刈り取り型」ではない、ブランドとファンの関係性を築くデジタル広告は実現できるのか?をテーマに、佐藤尚之さんとLINE広告の宮本さんに対談いただきました。
仕事柄、広告の動向には興味を持っているため、デジタルでも「ロジック」と「感情」の使い分けが大事…という話は認識していたのですが、では、それをどう実現するのか?という部分で、非常に勉強になりました。
個人的な感想ですが、「ユーザーに有益な情報を届ける」精度が今後限りなく上がっていくとしたら、それは単なる「広告」ではなく、何か別の名前を冠するコミュニケーション媒体になるのかも、と思いました。八百屋さんのたとえばまさに。
声を出していないことも多いし、気づかないうちに声がけが「買え」になっていることも。
「小さな積み重ねが「共感」や「愛着」といった感情を作っていく、と認識することが重要です。そうやってできる関係性は、決して一朝一夕にでき上がるものではありません」最近のデジタル広告が
「ユーザーに『嫌われにいっている』ように感じる」
という表現はめちゃくちゃ感じる所。
一方で「それでもいいんだよ」という広告主の声も聞こえてくる。
個人的に思うのは
①デジタル広告がマス広告に比べて安い
②「全員に好かれる必要はないが、ファンになってくれる人との接点て認知促進は必須」という流れ
の2点からユーザーは時として同じデジタル広告を何度も見せられるのではないかと。
さらに、何度も見てるからと言って不快とは限らないから難しい。(単純接触効果もあるしね)
TikTokは爆発的に認知度を伸ばした裏で一部のユーザーから激しく嫌われていたりする一方、
最近自分の元にしょっちゅう流れてくる某恋愛アプリのYoutube広告はウザさもありつつ「いい加減インストールしてみようかな」という気にさせてくる。
広告主が上記の理由により、同じデジタル広告を何度も見せることを躊躇わないのであれば、プラットフォーム側が「プラットフォーム上での体験価値の改善」として考えるしかない気がする。