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戦後日本は「非核3原則」を宣言してそれを守る努力をしてきた。国際政治の力学を前に、一部あいまいな部分が残っているけれど。非核3原則という「核兵器を持たない、作らない、持ち込ませない」という原則は、核兵器禁止条約の理念と一部分通じ合う部分がある。1945年8月、広島と長崎の人々が経験した悲劇を思うと核兵器のない世界になってほしいし、この条約に真っ向から反対する必要はない。しかし、複数の国が「核弾頭つきの弾道ミサイルは日本を向いている」と公言して、実際に核兵器を配備しているのだから、日本は米国の核の傘の保護に依存するしか防衛手段がないではないか。核兵器禁止条約の発効を称賛するだけではなくて、核拡散防止条約(NPT)の実効性を高めるために国際原子力機構(IAEA)に日本が人員と予算の両面で多大の貢献をしてきたことを称賛したい。
三菱UFJ銀行が昨年、融資指針を改定し、核兵器を含む非人道製造への融資を禁止しました。核兵器を禁止する国際規範の存在は、確実に影響を広げています。核保有国が参加していない事実をもってこの条約の意味を否定してしまうのはもったいないことです。核保有国が加わっているNPTも決して核保有国に既得権益を認めるものではなく、将来的な目標が核廃絶であることを明確にうたっています。どちらも目指す未来は同じです。
『大半の締約国で発効』、『核保有五大国は核廃絶を迫る条約には縛られないとの立場で参加を否定。米の「核の傘」に依存する日本政府も不参加』という表現を見ると、米国に追従する日本以外、非核保有国は基本的にすべて署名していると受け取る人がたぶん多いでしょう。
しかし、署名しているのは核兵器の脅威に現実的な意味で晒されることの少なそうな“弱小国”が大半で、 “民主的な先進国”で署名しているのはオーストリアくらいです。現実的にどこかの核の傘に入らざるを得ない主要な非核保有国は、どこも署名していません。
我が国の周辺には中国、北朝鮮といった核保有国があり、北朝鮮が核弾頭の小型化を実現していることは、2019年の防衛白書の認めるところ。日本に友好的とは思えない北朝鮮が、日本に届く核ミサイルを既に持っているわけです。いざとなれば日本に照準をあわせた中国の核も脅威になりますし、北朝鮮の核ミサイルも当時以上に進んでいるでしょう。尖閣諸島もそうですが、豊かな非核保有国が持つ何らかの利益を求めて中露北朝鮮など政治体制の異なる核保有国が脅しにかかったとき、民主的な同盟国の核の傘が無ければ守れないのが現実です。だからこそ、主要な非核保有国は署名しないのです。 
核兵器の根絶は誰しも願うところでしょうが、核兵器禁止条約への賛否は様々かと思います。それだけに、報道にあたっては、日本以外でどういう国々が署名していないのか、誤解を招かぬ形で客観的に事実を伝える必要があるように感じます。そうでないと、それを知ったとき、こうした報道が、何らかの意図を持って世論誘導を図っていると感じる人が出て来るんじゃないのかな・・・ (・・;
核不拡散条約(NPT)が「核保有国」と定める米国、ロシア、英国、フランス、中国はこの条約に明確に反対。その流れの中で被爆国として核兵器の惨禍を体験的に知る日本が、日米同盟のもとで「核の傘」に依存しているために、背を向けることになっている現実には、むなしさを禁じ得ません。しかし、この核兵器禁止条約が、核兵器が使われないようにする「抑止力」としての役割を果たすことを期待します。
核兵器禁止条約が発効しても、核保有国は署名交渉も始めていないため、実効性は乏しい。遠い将来に向けての第一歩とは言えるが、このまま死文化してしまう恐れもある。核保有国と核の傘の下にある国を動かすことが起きる必要があるだろう。
核兵器の管理と拡散防止については、もともと、きちんと管理できる国だけがもってもよい、それが抑止になる、という保有国側の理屈があります。が、そうでない(であろう)国も保有しているのが現実です。ものすごく簡略化していってしまうと、えいやと廃絶ができない理由は、えいやといったときに、やっぱりうちは捨てない、という国があるのではないか、という囚人のジレンマのような状態があるからです。

確かに、本条約には核保有国が入っていませんし、今、核廃絶がすぐできるわけではありませんし、日本の安全保障を考えると素直に廃絶に賛成しますと言ってみたところ、逆に非常に危険な状態にさらされるリスクもあります。ただ、それをもって本条約が意味がないわけではありません。やらなければ全く進みません。核兵器が人類にもたらした災禍は、広島・長崎の事例を再論するまでもなく、言葉を失うものです。パーソナルヒストリーとして、核の被害を経験した方やその家族は、もう思い出したくないでしょうし、廃絶してほしいと願うでしょう。一方で、ネイションステートの現実がある。(ということを経験していない私が言うことも安易にはしたくないのですが)それでもなお、一筋の光を持ち続け、小さな一歩を積み重ね、いつかくるその日に向かうことは重要なことだと思われます。

現代の核兵器の能力を考えれば、実質的に使えない兵器、使ってはいけない兵器です。使わせないために持つという、かねてから核抑止論のなか、持つ続けている状態が続いています。誰も核兵器の使用は望んでいないし、核を使い、それに対する応酬を行った瞬間に全人類が吹き飛ぶレベルです。
色々な意見があるテーマですが、報道を目にするたび、日本を代表する国際政治学者であった高坂正堯の「国際政治においては、対立の真の原因を求め、除去しようとしても、それははてしない議論を生むだけで、肝心の対立を解決することにはならないのである。それよりは対立の現象を力の闘争として、あえてきわめて皮相的に捉えて、それに対処していくほうが賢明なのである」という言葉を思い出します。
被爆国の日本は参加するかどうか、注目するが、いずれ核兵器の傘の中にいたいので、最終的に参加しないのではないかと思う。