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【エマニュエル・トッド】「ビジョンなきエリート」が世界を壊す

NewsPicks編集部
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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    フランスの高等教育進学率は、41%です。ただし、高等教育の95%は2年制の「技術大学」や専門学校、3年制の一般大学です。日本は、4年制の大学進学率だけで55%です。
     フランスでは、高等教育進学者の中の5%だけが進学するグランゼコールに、教育も研究も、リソースが圧倒的に集中されています。公務員や国営企業が強いフランスでは、それらの幹部ポストもグランゼコール出身者で独占されています。フランスで「エリート」というと、具体的にこのグランゼコール出身者のことを指します。まず、そういう制度や国のあり方の大きな違いがフランスと日本にはあるので、それを前提として読む必要があります。
     フランスについていえば、「エリート」が権力と富を独占しているというのは、王政の時代から今に至るまで変わらないことです。芸術、文学、音楽から食事にいたるまで、彼らは自分たちが世界の頂点にあるという圧倒的な自負があり、それらを身につけていない者を同じ人間とは見なしません。明らかに不平等なので、ブチ壊そうという運動は、繰り返されてきました。フランス革命もそうでしたが、すぐにナポレオンの帝政になり、新しい貴族をつくり、そして王政にもどりました。
     日本についていえば、そこまで絶対的に固定化したエリート層がそれほどいません。京都の貴族は権力も富もありませんでした。武士も幕府が倒れれば仕切り直しです。フランスに比べれば、民間企業が勃興する余地が大きく、実際、絶大な力を持った民間企業があります。
     問題は、「チャンスの国」米国です。フランス社会が分断しているのは当たり前のことで、模範にもなりませんが、米国には確かにかつて階級上昇のチャンスがあり、移民にすらチャンスがありました。それが1960年代以降、チャンスが無くなり、大学がそこに一役買った、さらに世界中でその真似をする国も出てきている、というのが問題です。(ただし、「教育がすべてを支配している」わけでは全然なく、大学・学校は、グローバル化する国家や経済界から要求され、踊らされているだけだと思います)


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    デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社 パートナー / 京都大学経営管理大学院客員准教授

    エリートって言葉に違和感があるのですが、どっちかというとnoblesse oblige(身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある)的な捉え方が出来ないのかと思っています。

    エリートが身分が高いわけでは決してなくて、決定権を行使できる立場にいる、という意味で、それだけ社会を良くすることに責任がある、という感じで。
    更に、高等教育を受けてこられた、ということは自分の力だけではない、環境や周りの人たちのおかげだ、という意識も含めて、です。

    以下、是非読んでみて頂きたいのですが、平成31年度東京大学学部入学式の上野千鶴子教授の祝辞からの抜粋です。
    *******
    あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

    あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
    *********


  • 農業 理学

    この文章を読んで「学歴主義はやっぱり良くない。能力主義の世の中にしなくちゃ。」ということを言う人は、まだ少しズレている気がします。

    学歴主義にしても、能力主義・メリトクラシーにしても、どちらにしても結局、人と人との間の格差を正当化しようとするイデオロギーであるという点では余り違いはありません。
    そして結局、どうも人間というのは何らかの方法で格差を正当化しないと社会を営むことの出来ない動物です。
    学歴主義でも能力主義でも、必要悪的に何らかの「正義論」を取り入れる必要はあるでしょう。

    問題は、余りに教育にお金が掛かるようになってしまった為にその格差階級が生まれつきの要素によるものになってきつつあることと、格差そのものが大きくなり過ぎて人々を深く分断しつつあることだと思います。

    トッドさんが、「ユーモアが大事。大学を出ることなんて大したことじゃないよなと言えるようにならないと。」と言っているのは、
    学歴より能力を重視しろと言うよりも、大学を出ていることで自らを上流人種のように見做し、学歴の無い人たちよりもトビッキリに良い貴族的な暮らしを保障されなければならないと思ってしまうような考え方から離れるべきだということだと思います。
    それは、メリトクラシーにしてもある程度は同じでしょう。いくら能力があるからといって、どこまでの格差が正当化出来るものなのだろうか?と言うところです。

    どのような格差までが好ましいのか、というのは非常に難しい問題だと思いますが、とりあえず、現状の生まれつきな要素で教育環境が大きく異なってしまうような状況はもう少し改善されるべきなのだとは思います。


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