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学歴偏重社会は世界を壊す、という傾向は米国で顕著です。エリートを絞るために大学の教育費がどんどん高くなり、大学を卒業するためには、学生ローンを利用しなければならないという状態になっています。

その結果、学生ローンの残高は2019年末で1.51兆ドル(160兆円)で、個人ローン残高でトップです。ちなみにオートローンが1.33兆ドル、クレジットカードが0.93兆ドル、その他が0.43兆ドル。学生ローンが全米世帯に重くのしかかっています。

高学歴を手に入れても、目的が高収入であっては、社会にその叡智は還元されず、破綻するだけです。
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フランスの高等教育進学率は、41%です。ただし、高等教育の95%は2年制の「技術大学」や専門学校、3年制の一般大学です。日本は、4年制の大学進学率だけで55%です。
 フランスでは、高等教育進学者の中の5%だけが進学するグランゼコールに、教育も研究も、リソースが圧倒的に集中されています。公務員や国営企業が強いフランスでは、それらの幹部ポストもグランゼコール出身者で独占されています。フランスで「エリート」というと、具体的にこのグランゼコール出身者のことを指します。まず、そういう制度や国のあり方の大きな違いがフランスと日本にはあるので、それを前提として読む必要があります。
 フランスについていえば、「エリート」が権力と富を独占しているというのは、王政の時代から今に至るまで変わらないことです。芸術、文学、音楽から食事にいたるまで、彼らは自分たちが世界の頂点にあるという圧倒的な自負があり、それらを身につけていない者を同じ人間とは見なしません。明らかに不平等なので、ブチ壊そうという運動は、繰り返されてきました。フランス革命もそうでしたが、すぐにナポレオンの帝政になり、新しい貴族をつくり、そして王政にもどりました。
 日本についていえば、そこまで絶対的に固定化したエリート層がそれほどいません。京都の貴族は権力も富もありませんでした。武士も幕府が倒れれば仕切り直しです。フランスに比べれば、民間企業が勃興する余地が大きく、実際、絶大な力を持った民間企業があります。
 問題は、「チャンスの国」米国です。フランス社会が分断しているのは当たり前のことで、模範にもなりませんが、米国には確かにかつて階級上昇のチャンスがあり、移民にすらチャンスがありました。それが1960年代以降、チャンスが無くなり、大学がそこに一役買った、さらに世界中でその真似をする国も出てきている、というのが問題です。(ただし、「教育がすべてを支配している」わけでは全然なく、大学・学校は、グローバル化する国家や経済界から要求され、踊らされているだけだと思います)
エリートって言葉に違和感があるのですが、どっちかというとnoblesse oblige(身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある)的な捉え方が出来ないのかと思っています。

エリートが身分が高いわけでは決してなくて、決定権を行使できる立場にいる、という意味で、それだけ社会を良くすることに責任がある、という感じで。
更に、高等教育を受けてこられた、ということは自分の力だけではない、環境や周りの人たちのおかげだ、という意識も含めて、です。

以下、是非読んでみて頂きたいのですが、平成31年度東京大学学部入学式の上野千鶴子教授の祝辞からの抜粋です。
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あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
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当社では、選考基準に大学名は入れてません。
大学名どころか、高卒の人も、短大卒の人もいます。

学歴自体は、少なくとも当社においては気にしたことないと言えます。
しかし、投資銀行時代に何千通と履歴書来ていて、大学名で大きくカットしていたことにも違和感はありません。一人一人にどうのということはありませんが、確率論として、勉強していることは大事。

問題を解決できる根源はどこにあるのでしょう?
高等教育が高額になってはいますが、それもローン組める。
高級住宅街にも安価なアパートはあり、小学校でみじめな気持ちを多少は味わうかもしれませんが、日本において生活できないことはなく、素行の良い地区の小中学校に入れることも可能です。

所得層の結果的な均一化は今は民主主義であるほど難しい気がします。
ガッツリ階層化して、強力かつ善良なリーダーを有する方が、案外全体としては気持ち良いのかもしれない。

哲学的でなんとも悩ましいですね。
一つ確かなことは、人類は、まだ未発展なのだと思っております。民主主義も資本主義も、まだまだ未成熟。
米国では辛酸を嘗めた象徴であるベトナム戦争が、エリート以外の層には支援されていたというのは知らなかった。映画でも描写されないのは、映画の制作と観劇対象がエリートだからでしょうか。

日本における「集団エリート」は誰に当たるんだろう。大学進学率は50%を超えている。暗黙の了解が染みている島国日本では、海外と比較して犯罪率も低く極悪人も少ないはずだ。

記事の通り、日本は諸外国ほど「エリート」と「大衆」の差がない。ただ、一見分かりにくいが日本では諸外国より出身や年齢、家族構成、その他その人自身の能力には関係ない事実への偏見があり、そちらの方が深刻のように感じる。
「皆と同じじゃないのは異質分子」という発想の転換が必要になってくると思います。
モチベーションなきエリートの危うさは痛感します。
高等教育で知恵をつけているので、手段に過ぎなかったことを目的化して、自分たちの存在意義を作り出し守ることにも長けることができます。

考えや行動の方向性を定めるために、目的やビジョンを持つことはとても重要ですが、一方で、社会が複雑化して価値観も多様化する中で、目的やビジョンを形成しにくい状況もあります。
全人類が共通して向き合うことが望まれるSDGsや気候変動問題などに関しても、社会全体で目的やビジョンを擦り合わせていくことが困難になっています。
エリートには、その困難に向き合う情熱をもって言葉や姿勢を持つことが必要だと考えますが、そこまでの強い意志を持った人が稀な存在になりつつあるとも感じています。
トッドさんの言うとおりかもしれません。

『モチベーションの大部分が「自分を守ること」にあるエリート層には、目的やビジョンがないのです』

トッドさんの本って、いつもとにかくわかりにくくて読みにくいんですが、新著「大分断」も読んでみよう。
一定割合は仕方ないとして最近目立ちませんかね「モチベーションの大部分が「自分を守ること」にあるエリート層には、目的やビジョンがないのです。そのことが、世界各地で混乱を生んでいるように感じられます」
ビジョンがあるエリートも分断をおこしがち。