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はじめに 生命原則を理解すれば、どんな困難にも立ち向かえる

多様性・意志・感情・寿命・時間… 「生命の原則」を知れば、人生はもっと自由になるーー。
生命科学研究者であり、起業家でもある著者がたどりついた、一度きりの人生を迷いなく生きるための思考法!

発売後即重版が決定し、ゲノム研究者であり起業家でもある高橋祥子氏によるNewsPicksパブリッシングの新刊ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考の冒頭部分を抜粋し、お届けする。


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―すべての生物は、遺伝子を運ぶための生存機械だ― (リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』)

1976年に出版された『利己的な遺伝子』の中で、リチャード・ドーキンスは右のように記しました。なぜ世の中から争いはなくならないのか、なぜ男は浮気をするのかといった疑問を、すべての人間は「遺伝子の利己性」のため機械的に動いているに過ぎないという観点から解説し、世界中に大きな衝撃を与えました。

人類を含む多くの動物において見られる、自分を犠牲にしても他の個体を生存させようとする「利他的行動」も、その場面においてはその方が結果的に自分の遺伝子の生存の可能性を高める行為であり、つまるところすべての行動は利己的な性質を持つ遺伝子を運ぶための手段であるという見方です。
一方で彼は、「我々人間には遺伝子に反逆する力がある」と、我々が遺伝子の生存機械としての存在を超えうる可能性についても仄めかしています。

『利己的な遺伝子』が発表されてから40年以上が経ち、生物学には多くの進歩がありました。ヒトゲノム計画によって、ヒトのゲノム(全遺伝情報)は解読され、多様な遺伝子の機能や生命の仕組みも解明され生命科学は発展しました。研究が進んだことで、生物が持つ様々な機能の意味や解釈も進みました。
同時に、生命科学の視点は、研究だけではなく日常の様々な場面で活用できます。世間の出来事やニュースに目を向けてみると、たとえば政治家の汚職事件もTwitter上での際限ない論争なども、個人の人間関係の問題や組織経営で起こる課題もほぼすべては生命の原理原則に基づいて説明、解釈が可能です。しかし、すべての問題に密接に関わるはずの生命原則を踏まえずに、上辺の議論だけが先行している場面は多いものです。
そもそも我々ヒトは生命であるため、ヒトが起こす行動やその行動によって発生する問題を理解するためには、生命の仕組みを知って活かすことが助けとなります。たとえば感情のままに行動してしまうことや、欲望をコントロールできないことによって多くの問題が生まれ、個人、ときには組織的な争いにも発展していきますが、これらの場面においても、なぜ生物にはそのような感情や欲望が備わっているのかを知ることで行動を変えることができます。

人間が生命として持つ性質は様々な課題を引き起こしますが、ドーキンス氏も言及したように、生命の原理原則を理解した上で、この世界の困難に立ち向かうことができるのも人類の特徴です。生命原則を理解すれば、人類は単純に生物的な本能に支配されるよりもずっといい未来に進むことができると私は信じています。本書は、その方法をみなさんと共有するために書かれました。

私はこれまで、ゲノムや生命の仕組みについて研究する生命科学の研究者としての視点と、遺伝子解析サービスを提供する「ジーンクエスト」というスタートアップ企業の起業家・経営者としての視点の両方で、人や社会の課題と向き合ってきました。
東京大学の大学院在籍中にジーンクエストという会社を創業し、遺伝子の情報を調べてユーザーへフィードバックするサービス、またさまざまな研究機関と連携しながら遺伝子の機能を解明する研究を事業にしています。

起業をした経験の中で、私は多くの起業家と同じようにさまざまな困難を経験しました。自分の事業で成し遂げたいことが社会にうまく伝わらず批判されて思うように進めることができなかったり、組織面ではチームメンバーとの意思疎通がうまくいかなかったりなど、人と人、人と社会の間で葛藤し、いわゆる「人間らしい」出来事や悩みに多く直面しました。
これらの課題もまた、すべて生命に共通する原則をもとに説明できます。個人の抱える不安や怒りなど負の感情の多くは、「自身の生存が脅かされているのではないか」という生物的な危機意識に起因していると言い換えることができます。そして、チームや人間関係などの悩みが生じるのは、ヒトは集団生活を送ることで生存可能性を高めてきたヒトの遺伝子が、どのような人間関係を形成する機能を備えているのかという観点から説明できます。悩みや葛藤は、個体や集団の生存可能性を高めるという生命原則から捉えるとシンプルに理解できるのです。
私は自然と、自分のもう1つの顔である生命科学の研究者としての視点を起業家としての視点と融合させ、マクロに物事を捉えるようになりました。

生命科学の研究者としての私は、主に遺伝子の機能を調べることで生命の仕組みを解明しようとしています。
研究すればするほど様々な謎が解けるわけではなく、むしろ実際には謎が一つ解けるとまた謎が深まるようで、生命の仕組みはとても面白く、実に奥深いです。日本人の2人に1人という高い割合でがんになるのはどうしてなのか、なぜ人類の出産は危険で非効率な仕組みなのか、なぜ人類は個々がまったく異なる特有の遺伝子情報を持ちこんなにも多様なのか、多様性とは何か、病気とは何か、なぜ生命は老いるのか……中には完全に解明されていない謎も存在します。しかし、その背景には「個体として生き残り、種が繫栄するために行動する」という共通する生命原則が存在します。

研究者としての視点から生命の仕組みについて考えていくうちに、意外なことに、生命原則と、人生や経営には共通の仕組みが多いと感じるようになりました。そもそも博士号を意味する「Ph.D.」はDoctor of Philosophy(哲学博士)が語源となっており、論理学、自然物理学、生物学、倫理学、政治学など広い意味を含む哲学を意味することから、研究者には、「世の中のことを考える人」という意味があります。
私は、生命科学の研究者、そして経営者という二面的な経験から、生命の原理原則を知り応用すれば、ミクロな視点では個人の生き方のヒントの発見、もう少し大きい視点では組織運営における円滑なコミュニケーションや会社経営、さらにマクロな視点に立つと人類全体の課題解決に役立つと実感しています。

「生命の原理や原則を知る」と言うと「遺伝子に刻まれた運命に従うしかない」や「生物的な本能に支配されたまま生きる」など、行動すべてが遺伝子によって操られていて自由意志が存在する余地がないかのように誤解されるかもしれませんが、そうではありません。
私が本書を通じて伝えたいのは、「生命には原理や原則があることを客観的に理解した上で、それに抗うために主観的な意志を活かして行動できる」ということです。生命原則を客観的に理解し、視野を自在に切り替えて思考することで主観を見出し行動に移せば、自然の理に立脚しながらも希望に満ちた自由な生き方が可能となります。

「視野を自在に切り替えて思考をする」と書きましたが、そもそも思考というのは、生物学的には多くのエネルギーを消費する行為です。したがって、エネルギー効率を考えれば、生物は思考しなくてもよい環境であれば極力思考をしないことを無意識に選択します。「思考停止はよくない」と言われますが、思考停止は生物学的には効率的な行為であり、安易に責めることはできません。私たちが思考するためには、エネルギー効率を高めようとする生命の原則に意識的に抗う必要があります。これには大変な努力や覚悟が求められます。
しかし、思考という非効率的な行為こそが、人類にとって唯一の希望であると、私は考えています。人類はより多くの知恵を得て、賢くなり、飢餓や疫病から自らを守り、生命や宇宙の新たな可能性にも切り込んでいます。生命原則を受容した上で、主体的に思考して学習し前に進み続けることで、次々と現れる課題を解決できます。
ただし、一つの課題が解決できても、また別の新しい課題は生まれるため、課題のない世界は存在しません。そう考えると、そもそも課題解決に何の意味があるのか、と絶望する人もいるかもしれません。
そのような世界の中で絶望しないためにはどうすればいいか。それは、課題を解決し続ける状態を維持することです。次々に現れる課題に諦めず、思考して行動することで、人類は常に前進することができます。思考することは面倒だし、エネルギーも消費します。できることならやりたくない人が多いかもしれません。しかし、テクノロジーが発展して常に変容する世界において、思考し、行動し続けることこそ、人類の一つの希望です。そして、人類全体にとってだけでなく個人の人生にとっても、生物的な感情に無意識に流されることなく知性を発揮することで、一度きりの命を燃やして未来に描いた夢を実現していくことは有意義なことだと信じています。

そのために必要な生命原則を理解する方法、そして「生命原則を客観的に理解した上で主体的に行動に移す考え方」を本書では書いていきます。

まず第1章ではそもそも生命原則とは何か、についてお伝えします。私たちの日々の活動や起こる事柄を生命原則に則って理解することからはじめます。
第2章は、本書の中心となる主張です。第1章で説明した生命原則に無意識に流されるのではなく、それに主体的に抗う新たな視点を提示していきます。
第3章以降では、第2章の考え方をもとに個人の人生に関わること、第4章では組織や経営に関すること、第5章では社会のことについて、それぞれ考えていきます。本書を読み終えたときに、読者のみなさんが生命原則をもとにこれまでとは違う視野で世界を見渡すことができ、主観的な意志を活かして行動をすることができることを、私は望んでいます。

2020年10月 高橋祥子

(本書『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』へ続く)

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【目次】
第1章 生命に共通する原則とは何か ー客観的に捉えるー

第2章 生命原則に抗い、自由に生きる ー主観を活かすー
第3章 一度きりの人生をどう生きるか ー個人への応用ー
第4章 予測不能な未来へ向け組織を存続させるには ー経営・ビジネスへの応用ー
第5章 生命としての人類はどう未来を生きるのか