【立川志の春 / 南直哉】異色の落語家とアウトサイダーな禅僧の“お金”論
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良い言葉です。ありがとうございます。
「口あれば糊(のり)あり、肩あれば衣あり。心配するな」
(以下、記事中から引用)
お金の心配をするより、自分の「やるべきこと」をやる
とはいえ、人が生きていく以上、経済的な問題からは逃れられません。「お金がなければ、何もできない」と考えるのもわかります。でも本当にそうでしょうか。
私が小さな寺に入ることになった時、ある老僧が手紙をくれました。「口あれば糊(のり)あり、肩あれば衣あり。心配するな」とだけ書かれていました。
口さえあれば誰かが食べ物をくれる。肩があれば衣をくれる。金の心配をせず、自分のやるべきことをやれ。そういう意味です。
これは、僧侶に限ったことではないと私は思います。腹を満たさなければ生きていけないし、やりたいこともできない。暮らせるだけのお金はなんとかしなければなりません。
ですから、「お金がなければ」と考えるのも理解できますが、しかし、生きていればこそのお金であって、人は、お金のために生きているわけではありません。
※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません
注目のコメント
昨年末に発売された『NewsPicks Brand Book ニューノーマル時代にお金を育てる』に掲載されたインタビューの一部を“チョイ見せ”いたします!
イェール大学卒業後、三井物産に就職したスーパーエリートから落語家へ身を投じた立川志の春さんと、大手百貨店に2年勤めた後、出家の道を選び、20年以上永平寺で修行した仏教界きっての論客、南直哉さん。
落語、仏教とビジネスパーソンの日常とはかけ離れた世界にいる両者のインタビューから「お金に振り回されず、お金で後悔しない生き方の極意」をひもときます。
本記事は一部抜粋ですので、続きはぜひ『NewsPicks Brand Book ニューノーマル時代にお金を育てる』でお楽しみください!
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ちなみに志の春さんは語学力を生かした「英語落語」でも高い評価をされており、今後も国内のみならず、グローバルな活躍をしていかれる方です。
南直哉さんは禅僧でありながら落語家さんもかくや!というような切れ味するどいトークで、その世界観や“南節”に熱狂的なファンが多いです。
ぜひ、おふたりの落語や講演など、機会があれば聴いてみてください!心に染み入るお話でした。
特に納得したのが、「自分の才能は、他人には決めさせない」というお話。テクノロジーの変化のスピードが速すぎて、人間自身も爆速の成長を求められている最近の世の中。常に即戦力が求められ、「下積み」や「修行」といった言葉も、あまり聞かなくなってきましたよね。そんな中でなかなか結果を出せないと、人からの評価や言葉が、どんどん気になってしまいます。
それでもどしっと腰を据えて、自分を信じて落語の道を歩み続けた立川志の春さん、かっこいいですよね。南さんの、お金に振り回されずに、やるべきことをせよというメッセージとも、近いのかもしれません。こんなご時世ですが、焦らずに目の前のことに向き合っていこうと、改めて思わせてくれた記事でした。禅僧である南氏が言う「お金は、正体は「皆で一緒に見ている夢」(幻想)なのです。」という感覚で、現実にある「お金」を捉える。自分のやりたいことややるべきことを、その手段のひとつであるお金よりもちゃんと心配して考えるというのに賛同します。「口あれば糊(のり)あり、肩あれば衣あり。」