2021/1/17

【立川志の春 / 南直哉】異色の落語家とアウトサイダーな禅僧の“お金”論

NewsPicks, Inc. Brand Design Senior Editor
NewsPicksのもう1つの編集部、NewsPicks Brand Designから『NewsPicks Brand Book ニューノーマル時代にお金を育てる』が発売された。
「ニューノーマル時代の経済は、私たちを幸せをするのか?」──そんな“壮大な謎解き”が始まった2021年。自分や社会を変えるため、お金を生かし、育てる方法のヒントが詰まった1冊だ。
イェール大学卒業後、三井物産から落語家へ──。スーパーエリートから、まったく新しい分野へ身を投じた落語家の立川志の春さんの生き方は、じつに鮮やかであり、軽やかだ。変化が求められる時代、経済的にも安定しながら、直感に従って、自分の新たな可能性を生きる秘訣、後悔しない人生の選び方とは?
また、大手百貨店に2年勤めた後、出家の道を選んだ禅僧の南直哉さんは、仏教界きっての論客。30年以上にわたる修行から見えてきた“お金の本質”とは何か。世代を問わず、多くの人の人生相談を受けてきた禅僧が語る、お金に振り回されない生き方の極意とは──。
『NewsPicks Brand Book ニューノーマル時代にお金を育てる』に掲載された各インタビューの一部を抜粋し、ここに掲載する。
落語家。1976年大阪府生まれ。幼少期の3年間をアメリカで過ごし帰国。イェール大学を卒業後、三井物産に入社。25歳で初めて聴いた立川志の輔の落語に感激し、2002年に入門。11年、二ツ目に昇進。20年4月、真打に昇進。古典や新作の他、英語落語でも注目を集める。著書に『自分を壊す勇気』『あなたのプレゼンに「まくら」はあるか?』がある。

落語家が語る、経済的に安定しながら後悔しない人生を選ぶコツ

「一流企業から落語家へ転身とは、思い切りましたね」とよく言われるんですが、自分では、思い切ったつもりはまったくないんです。
ただ、落語家になりたかった。理由はそれだけ。後先考えずに、突っ走った。それが正直なところです。
きっかけは突然でした。三井物産に入社して3年目。街で、たまたま落語会ののぼりが目に止まり、ふと入ってみました。それが今の師匠、立川志の輔の落語会でした。
当時の私は、落語など聴いたこともありません。「有名人だし当日券があるのなら」と軽い気持ちで入っただけ。でも衝撃を受けました。一人で右や左を向きながら話しているだけなのに、観客が腹を抱えて笑うんです。
もちろん私も大笑いしました。そのうち志の輔の姿が消えて、情景だけが目に浮かんできた。初めての経験でした。
それから落語に夢中になり、半年後には、落語家になると決心。落語会の1年後に退職し、志の輔一門に入門しました。
会社に不満があったわけではありません。でも迷いはなかった。お金の不安? あったら、落語家にはなっていませんよ(笑)。
経済的なことは、「なんとかなる」程度にしか思っていなかった。でも入門する時は、自分なりに試算して、月7万円で暮らすことを目標にしました。
入門後は「見習い」を経て「前座」になり、慣れてくれば、月2、3万の収入が入る。その後、経済的にメドが立つ「二ツ目」に昇進するまで平均5年。それまで、この金額でしのげるのではないかと考えたのです。
二ツ目昇進まで8年かかるという誤算はありましたが、経済面はなんとか計画どおり乗り切れました。

「俺を快適にしろ」のひと言に隠されていた真意とは

大変だったのは、お金よりも修行そのもの。もっというと、「師匠に仕えること」でした。立川流(立川談志を家元とする一門)の見習いや前座は、師匠の身の回りの世話をするのが最大の仕事。運転から買い物まで、何でもやります。
その任務をひと言で言うなら 「俺(師匠)を快適にしろ」です。
つまり、師匠を快適にできなくて、お客様を快適にできるかというわけ。ところが、これが一筋縄ではいきません。
「白を〝黒〞と言われたら、弟子は〝黒〞と言え」とよく言われますが、それではNG。その先を読んで、師匠は「紫」と言うに違いないと予測して行動するのが正解です。私にはそれが難しかった。
私は人に干渉しない代わりに、干渉されるのも嫌。気遣いをするタイプではありません。そんな個人主義の私は、とにかくしくじりました。何度、破門寸前にまでなったかわかりません。
何よりも大切な気働きができない私には、まだ問題がありました。怒られ慣れていなかったのです。
落語界では、弟子が師匠に口答えするなどあり得ません。
さすがに私も、それはわかっていました。でも、「なぜ、こうなった?」と聞かれたら、理由を説明しなければと思うし、「自分はこうだ」という思いが常にある。帰国子女だったこともあるかもしれません。理由はどうあれ、ついその思いが顔に出るわけです。それが師匠にも伝わり、よけい苛立たせてしまう。そんなことが続きました。
でも、今なら何が求められていたのか、わかります。
何をする時でも気を抜かず、「先の先」を読んで、気遣いをしなければならない。 即座に的確な判断をすることが、落語家として生き残れるかどうかを左右する。
逆に言えば、相手や状況をよく観察して、その先をイメージして動くこと。この教えが「俺を快適にしろ」のひと言に集約されていたのです。
これは、ビジネスにも通じるかもしれません。どんなに魅力的な企画や商品があったとしても、それを相手に届けるためのサービスの部分が重要でしょうから。

自分の才能は、他人には決めさせない

「だったら、そう教えればいいじゃないか」と思うかもしれませんね。
ところが、伝統芸能の世界は「見て学べ」が基本。稽古でも、手取り足取り教えてもらえるわけではありません。そして何を隠そう、私は、落語が下手くそでした。
師匠に「表を歩いている小学生を捕まえて落語やらせた方がうまく喋れる」と言われたほどですから本物です。「才能のない奴は無理だから、やめたほうがいい」とも言われ続けました。尊敬する人にそう言われたら、普通やめますよね(笑)。
でも、やめるという発想は私にはなかった。「たとえ師匠に言われても、自分の才能に結論を出すのは自分自身だ」と思っていたからです。自分でも下手さは身にしみて感じていたけれど、未来も同じとは限らない。そんな思いが強くありました。
禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、84年に曹洞宗で出家得度。曹洞宗大本山、永平寺で約20年の修行生活を送る。『禅僧が教える心がラクになる生き方』、『老師と少年』など著書多数。2008年、『超越と実存』で小林秀雄賞受賞。ブログ「恐山あれこれ日記」。

禅僧が語る、お金に振り回されない生き方の極意

大学卒業後、大手百貨店に勤めていた私は、25歳で出家しました。その時、思ったのは「これで野垂れ死んでも格好がつくな」ということです。袈裟を着て死んでいれば、「修行の身で倒れたんだな」と思われるかもしれない。そこそこ格好いいじゃないですか。
寺に生まれたわけでもない私が僧侶になろうと思ったのは、大げさではなく、「生きるか死ぬか」の抜き差しならない問題を抱えていたからです。生きてその問題に取り組むには、出家するしかない。それが僧侶の道を選んだ理由です。
そんな私が、お金に関心をもてるはずもありません。お金は、私の問題を解決するために何の役にも立たなかったのだから、当然です。
ですから、お金について語る資格があるかというと、心もとないことこの上ない。しかし、永平寺で20年修行し、青森にある恐山菩提寺で院代(住職代理)を10年以上務める中で、多くの方の相談に乗ってきました。
また、仏教という“ツール”を通して、ひたすら自身の問題に取り組んできました。
その中で見えてきたお金の本質は、読者の皆さんにとって、何らかのお役に立てるかもしれない。そんな思いで、話をさせていただければと思います。

お金というある種の「幻想」に皆、疲れている

最初にお話ししておくと、私の問題とは2つ。「自分とは何か」「なぜ人は生きねばならないのか」 ということです。
ビジネスの世界で日々しのぎを削っている方から見れば、「盛大にこじらせているな」と思うかもしれません。
しかし私にとって、これは切実な問題でした。重度のぜんそくで3歳から窒息寸前の発作を繰り返し、「生」よりも「死」がリアルだったという生い立ちも関係あります。「面倒なこと」をどうしても考えてしまうわけです。
その中で、釈迦の「諸行無常」という言葉に出会います。
中学3年生の時です。一般的には「世の中の全ては移りゆく」という意味ですが、私は 「人という存在には根拠がないのだ」と受け取りました。そして、仏教に興味をもち、今に至ります。
では、その立場で仏教がお金をどう捉えているか。ひと言で言えば、お金は「幻想」だということです。
これは考えずともわかります。誰が見たって、1万円札は「紙切れ1枚」に過ぎません。でも、それを巡って殺人が起きたり、自ら命を絶ったりする。おかしな話ですが、お金は、この社会にとって圧倒的な「現実」ですが、正体は「皆で一緒に見ている夢」なのです。
それがわかっていれば、お金に振り回されることもなければ、お金のために自身を犠牲にすることもなくなるでしょう。
ところが、現代のシステムは、その幻想を元に動いているわけですから、そこで生きている人間は四苦八苦せざるを得ない。
ちょうど1990年前後、バブル期頃だったと思います。印象的な変化がありました。当時、私は永平寺で参禅者の指導にあたっていました。この頃、30歳前後の参禅者の様子が少しずつ変わり始めた。皆いちように、呆然としているように見えだしたのです。
大きな力に巻き込まれて、どうしていいかわからず、立ち尽くしている。そんな印象でした。この世代がもっているその漠然とした不安は、今も続いているように思います。
もちろん、幻想の中で元気いっぱい前進できる人もいる。それで最後まで突き進めるなら、結構なことでしょう。しかし、貨幣経済、効率重視社会が発展する中で、少なからず疲弊している人が増えている。これもまた事実です。
といっても、私は資本主義社会を否定するわけでもなければ、お金を儲けることが悪いと言っているわけでもありません。ただ、これが「皆で一緒に見ている夢」であることだけは、忘れないほうがいいでしょう。

お金の心配をするより、自分の「やるべきこと」をやる

とはいえ、人が生きていく以上、経済的な問題からは逃れられません。「お金がなければ、何もできない」と考えるのもわかります。でも本当にそうでしょうか。
私が小さな寺に入ることになった時、ある老僧が手紙をくれました。「口あれば糊(のり)あり、肩あれば衣あり。心配するな」とだけ書かれていました。
口さえあれば誰かが食べ物をくれる。肩があれば衣をくれる。金の心配をせず、自分のやるべきことをやれ。そういう意味です。
これは、僧侶に限ったことではないと私は思います。腹を満たさなければ生きていけないし、やりたいこともできない。暮らせるだけのお金はなんとかしなければなりません。
ですから、「お金がなければ」と考えるのも理解できますが、しかし、生きていればこそのお金であって、人は、お金のために生きているわけではありません。