「医療崩壊」を自ら招いた菅首相と厚労省、その知られざる「本当の失態」

医療現場からも不信感がつのる

異論を認めぬ日本人の特性

「いまのテレビ報道を見ていると戦時中の記憶がよみがえる。大阪の大空襲の中を母親と一緒に逃げ回ったことを今でも鮮明に覚えている。どこのチャンネルをひねっても、同じ顔ぶれの医者がでてきて医療崩壊だ、緊急事態宣言だせ、言うことをきかない奴は罰しろと叫んでいます。戦時中と一緒ですわ。異論が言える雰囲気ではない」

京都手描友禅を代表する染匠、藤井寛氏はコロナ禍の日本には戦時中と同じ空気が流れているという。1935年生まれ。小学校3年生の時に大阪大空襲の火の海を母親と逃げ惑った。皇后陛下(現上皇后)の訪問着や皇太子妃殿下(現皇后)の御振袖など数々の皇室の着物を手掛けてきた。染匠とは、意匠の考案から染めの仕上げまで、15前後に分かれた京都手描友禅の工程を統括する役割だ。工程のひとつひとつを仕上げる職人の技を統合し、完成された美へと導いていく目利きだ。85歳になったいまも現役で第一線にたっている。

「戦争体験を語れる人も少なくなったが、言論統制され国民がみな一方向に向かっている居心地の悪さをコロナの今、思い出す」

あれほど「多様性」の重要さを叫び続けてきたのに、いざとなると多様性どころか、異論はまったく認めないのは日本人の特性なのだろう。

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GoToトラベルに執着し、感染防止が後手にまわったことがコロナの感染爆発の元凶だとされる。政権発足時には70%と高かった内閣支持率も12月末には39%(朝日新聞)に急落したが、さらに菅首相自身が火に油を注いでしまった。「5人以上の会食はひかえてほしい」と国民に呼びかけたまさにその日の晩、銀座の高級ステーキ店で二階幹事長や芸能人等8人と会食したことが報道され、反省の弁を述べるところまで追い込まれた。以後、菅首相は夜の会食をすべて取りやめ、7時過ぎには赤坂の議員宿舎に帰宅している。民間人からの情報収集のために、夜の会食を2度することも珍しくない首相の行動パターンは官房長官時代に習慣化されたものだ。自らの失態をきっかけに情報収集源を絶つ羽目に陥ったことに忸怩たる思いをしているのではないか。

こうして菅人気は瞬く間に落ち、自民党内からは早くも「菅おろし」の声まで漏れてくる始末だ。1月8日には一都三県に緊急事態宣言を発出したものの、「飲食店への夜8時までの時短要請程度では、実効再生産数が1を下回るほどの効果は期待できない」とテレビ芸人のような専門家は繰り返す。ようはもっと私権制限をせよ叫んでいる。コロナの対応にかかわる医療関係者や、重症化リスクの高い高齢者施設の職員たちが懸命な努力を続けていることには最大限の敬意を抱いているが、コロナウイルスはそこまで恐れる必要があるのだろうか。また連日報道される医療崩壊の危機はどれほどリアリティがあるのだろうか。

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