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セリエA 3年前

ACミランは「他の惑星からきたチーム」。史上最強だった画期的な戦法、2度の降格から欧州連覇へ【ACミランの黄金期(2)】

ACミランが今季は好調だ。120年以上の歴史を持ち、18度のセリエA優勝と7度の欧州制覇を誇るミランには、隆盛を極めた時代が何度もあった。ミランの黄金期を時代ごとに紹介する本連載の第2回は、2度の降格にあえぐクラブを大復活へと導いた80年代にフォーカスする。(文:西部謙司)

シリーズ:ACミランの黄金期 text by 西部謙司 photo by Getty Images

「トトネロ」で暗黒時代に突入

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【写真:Getty Images】

 1979年、スクデットを置き土産にジャンニ・リベラが引退した。クラブの象徴を失った1979/80シーズン、八百長スキャンダルが発覚し、ACミランは初のセリエB降格を経験している。

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 トト(サッカーくじ)がらみの買収事件に関与したのはセリエA8チーム、セリエB5チームという大規模スキャンダルで、「トトネロ」と呼ばれた。ミランはラツィオとともに最も重い処分を科され、フェリーチェ・コロンボ会長は追放、エンリコ・アルベルトシは4年間の出場停止となり、チームは降格処分となった。

 当時、ペルージャに所属していたパオロ・ロッシも3年間の出場停止を科されている。ロッシの出場停止期間はその後2年となり、ぎりぎりで間に合った1982年ワールドカップではイタリア代表優勝のヒーローとなった。この年のバロンドールも獲得している。

 不死鳥のように蘇ったのはミランも同じで、降格して1年でセリエB優勝、昇格を果たした。ただし、昇格した81/82シーズンはボトム3に低迷して二度目の降格。再度セリエBで優勝して昇格を果たすが、この数年は栄光に包まれた歴史の中の暗黒時代である。

 ただ、その後の大復活の種は撒かれていた。84年に就任したニリス・リードホルム監督の下、イタリアでは珍しいゾーンディフェンスが導入されている。これはアリゴ・サッキ監督による大改革の布石になったと考えられる。

サッカーのあり方を変えたミラン

 1986年、財政破綻に陥ったクラブを買収したシルヴィオ・ベルルスコーニ会長は、パルマの監督として評価を上げていたアリゴ・サッキを87/88シーズンに招聘。ルート・フリット、マルコ・ファンバステンを獲得すると、わずか2敗でスクデットを獲得する。

 サッキ監督が導入した画期的なゾーナル・プレッシングが猛威を振るった。

 FWからDFの距離を極端に狭めたコンパクトな陣形を維持し、相手のボールホルダーへ次々と襲い掛かるプレッシングを敢行。従来とは一線を画する強度の高い守備戦術に、対戦相手はなす術がなかった。

 ミランの快進撃は続き、88/89はフランク・ライカールトを加えてチャンピオンズカップ優勝。89/90もチャンピオンズカップ連覇を成し遂げた。

 この時期のミランを「史上最強」とする声は多い。クラブ史上ではなく、サッカー史上最強という評価だ。それほど、この3シーズンのミランは強烈な印象を残していた。

「良い旗手になる前に、良い馬である必要はない」(アリゴ・サッキ)

 前職が靴のセールスマンだったサッキに向けての懐疑に対しての回答である。名言だと思う。選手としての才能と監督のそれは別物だからだ。選手経験があるに越したことはないが、監督の才能はまた違う。

 サッキ監督が導入した戦法は、カテナッチョの対極といっていい。リベロを廃し、マンツーマンからゾーンに転換した。ミラン以前にヨーロッパでゾーナル・プレッシングがなかったわけではない。ただ、ミランほど目覚ましい成果をあげたチームはない。サッキの戦法はサッカーのあり方を変えたといっていい。

「他の惑星からきたチーム」

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【写真:Getty Images】

 サッキ監督は「私が発明したわけではない」と言っていた。

 1974年ワールドカップのオランダ代表は限定的に「ボール狩り」と呼ばれる高強度の守備を行っていた。オランダ以前にも、南米ウルグアイではバスケットボールのディフェンスを応用したゾーナル・プレッシングそのものといえる戦術があった。

 ただ、リカルド・デレオン監督が組み上げた戦術は先進的すぎて理解されず、80年代末にコロンビア代表のフランシスコ・マツラナ監督が復活させてようやく陽の目を見ている。ほかにも旧ユーゴスラビアのトミスラフ・イビッチ監督がプレッシングの先駆者として知られている。

 サッキ監督はそれらを組み込んでまとめ上げた。簡単にいえば、限定的だったオランダの「ボール狩り」に80年代最強だったリバプールのゾーンディフェンスを掛け合わせて、ほぼ90分間プレッシングの強度を保つことに成功している。絶え間なくプレッシャーをかけられ、逃げ場もない相手チームは、これまでとは違うゲームをプレーしているような感覚だったはずだ。

 歴史的なスーパーチームは、対戦相手から「他の惑星からきたチーム」と呼ばれてきたが、ACミランもその1つになっていた。

 フランコ・バレージ、マウロ・タソッティ、アレッサンドロ・コスタクルタ、パオロ・マルディーニの4バックは一糸乱れぬラインコントロールでコンパクトネスをキープし、ボールを奪えばロベルト・ドナドーニやカルロ・アンチェロッティが素早く展開。前線で圧倒的な速さ、強さ、高さを持つフリット、ファンバステンのコンビが相手ゴールを強襲した。

 サッキ監督はベルルスコーニ会長に頼み、「鳥かご」(ミニコート)を新設してもらっている。周囲をレンガの壁で囲んだクレーコートの中では、高強度のノンストップゲームが行われた。時間とスペースを限定されるゲームに対戦相手が面食らっている間に、ミランはその状態でのプレーに慣れていたわけだ。

 サッキ監督は選手の血液を採取してコンディションをチェックし、睡眠時間を確保しているかどうか探るなど私生活にも関与した。徹底した管理はインテルの黄金時代を築いたエレニオ・エレーラ監督の手法とよく似ている。

 監督もチームもハードワークだった。それがチャンピオンズカップ連覇につながる一方、サッキ監督下の4シーズンでリーグ優勝は最初のシーズンだけだった。90/91のチャンピオンズカップは準々決勝でマルセイユに敗れている。自らの強度に耐え切れなくなっていた。

(文:西部謙司)

【了】

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