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アトランタ五輪の時だったか、ブラジル代表の強力なサイドバックを、何を勘違いしたのか「ピエカルのフリーキックすごいよな」と評してた人がいて、???となったのを思い出した。
それはともかく、ライセンス品が氾濫してたせいでディスカウントして見られるが、本物?の方はとてもエレガント。
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初めて既製服を世に出し、初めてライセンスビジネスを始め、初めてメンズスーツをデザインし、初めて共産圏でショーをするなど、数々の前例を作った革新者です。

初めてのパリで道を聞いた人が実は運命を導く人だったとか、マキシムに入店を断られたので後に買収してリベンジしたとか、ジャンヌ・モローと恋愛関係にあったけど男性の恋人を選んだとか、大物エピソードにも事欠かないチャームとカリスマを備えています。

大回顧展がおこなわれ、その人生とキャリアを「カラフルに」総括する映画が世界で公開されて人生をまとめあげ、注目が再び集まっているタイミングでの大往生。みごとなエンディングです。神に愛され、神からのギフトを活かしきった稀有な人だと思います。R.I.P.
15年ほど前に、ある会社を買収したのですが、その会社がピエール・カルダン氏からライセンスを受けていた関係で、株主変更に同氏の承認が必要なことがありました。
その時点で「まだ存命なのか!」と驚きましたが、秘書?の方もなかなか同氏をつかまえることが出来ず、取引前日の深夜に承諾書がファックスで届き、安心した記憶があります。しかもそのファックスには、あのブランドロゴにもなっているサインそのものが! ちょっと感動モノでした。

ご冥福をお祈りいたします。
後輩のサンローランや、カール・ラガーフェルドが亡くなっている中、まだ生きてらしたのか、まあ98歳で、とおどろき。
トイレのカバーまでライセンスビジネスしてると、その先駆けとしてとしてすごいと思う反面、ブランドイメージを下げる行為としか思っていなかったのですが、それが「僕のブランドを金持ちだけのものにさせたくない」という一貫した信条によるものと知り感服。
日本人のモデル(松本弘子さん)を初めて起用したのも彼だったのか。
ファッションの既成服の原点をつくった方。ただしここからはカスタマイズアパレルが隆盛してきますが。
一時代…というには足らない、大き過ぎる存在です。世界速報のプッシュ通知がすごい勢いで来ます。存在の大きさを改めて感じます。
ご冥福をお祈りいたします。一気にブランドを作り、見事にキャッシュアウトしたピエール・カルダン氏は、ブランドの価値がいかに金銭的に大きいか、そしてキャッシュアウトしたあとどうなるかを知らしめた人だと思っており、授業なしでもよく取り上げて来た人だった。
ピエトロ・コンスタンテ・カルディンとしてイタリアに生まれ、ファシスト政権を嫌った両親と共に、1930年代にフランスへ移住しました。
 文化の中心としてイタリアがあり、芸術家などが大国フランスへ移住して活躍し、文化に大きな影響を与える、というのは、ヨーロッパの歴史を通して見られたことです。
 しかし、カルダンが注目したのは、アメリカ合衆国でした。NASAへの訪問、宇宙と未来のイメージの強調、それらは同時に、アメリカ的な大衆文化に未来のデザインを手の届くものとして売り込むためのキャンペーンでした。
 未来的なデザイン、というのは、1920年代のイタリアの未来派に見られるように、前衛芸術の中にありました。カルダンは、未来的なデザインを、既製服として、大衆の手に届くところに売り出したことで、急速に大きくなりました。
ピエール・カルダンのHPによると、ピエール・カルダンは『「モードの民主化」と呼ばれたプレタポルテを誰よりも先駆けて始め、デザイナーで初めてライセンスビジネスを興し、インテリアから車、ジェット機まであらゆるライフスタイルに関わる商品をデザインし、中国で、ロシアで初めてファッションショーを開いた男。』とのこと。
デザイナーとして初めてライセンスビジネスをというところにイノベーターとしての存在感を感じます。
フランスのファッションデザイナー、ピエール・カルダン氏がお亡くなりになったとAFP通信が報じています。ご冥福をお祈りいたします
French fashion designer Pierre Cardin dies aged 98: family
https://twitter.com/AFP/status/1343891070564917248