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【高原豪久】裸の王様にならないための「自己観照」

NewsPicks編集部
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  • PIVOT エグゼクティブ・エディター

    ユニ・チャーム社長・高原豪久さんの連載第3回です。
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    2001年に39歳で社長に就任。当初はその経営手腕を不安視されるも、圧倒的な実績で外野の雑音を跳ね返したユニ・チャームの高原豪久社長。

    生理用品や紙おむつなど国内の事業基盤を強化するとともに、新興国を中心とする海外展開を加速。80を超える国や地域に進出して現地ニーズを掘り起こし、社長就任時に約1割だった海外売上高比率を約6割に、売上高を3倍にするなど、同社を大きく躍進させた。

    なぜ創業者である父のカリスマ経営から、社員が自立的に動く全員経営へと転換できたのか。海外戦略、急成長を支えた人づくりなど、社長人生20年で培われた経営の要諦を語る。(全7回)

    ■第1回 ユニ・チャーム海外展開で売上高3倍、時価総額11倍
    ■第2回 言葉ではなく、行動で人を評価する
    ■第3回 裸の王様にならないための「自己観照」
    ■第4回 人は育てられない。育つか育たないかは本人次第
    ■第5回 1の努力、10の努力、100の努力
    ■第6回 人間の能力に差はない。誰でも成功できる
    ■第7回 健全な危機感をいかに持ち続けるか


注目のコメント

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    慶應ビジネススクール 教授

    高原社長の「一次情報」、ダイキン井上会長の「泥水情報」の重要性は、トップが普段考えたことの蓄積に「ぴんとくる」からなんだと思います。「トップが現場に行かなくてはならないなら、中間管理職の価値は何だ?」と今も思っていますが、当事者意識、考える量が圧倒的に違うということなんでしょう。考えていないトップが現場に行っても何の意味もないということでもあります。


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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    入社された1991年は、日本にとっても大きな転機の年であったでしょう。バブル崩壊による景気後退が始まった年です。
    また、日本の出生率は1984年以降は下がり続けるばかりでした。同じ頃に、日本の市場に飽和感、もはや伸びる限界に達したことが感じられていた産業は多かったのではないでしょう。市場が拡大しようがなければ、企業努力の成果も、限界があります。ユニ・チャームは、1989年後半には、各種の生理用ナプキンから各種のオムツ、大人用オムツまで、今知られているような製品は開発され尽くしていました。多くのメーカーが、日本の限られた市場の中で、既存の商品に新機能を開発して付け加えていましたが、それで上がる収益は限られていました。
     一方中国では1989年に天安門事件がありました。しかし、1992年には鄧小平の南巡講話、いわゆる改革開放の大号令が発せられました。
     ユニ・チャームが上海に合弁会社をつくったのが1995年です。1990年代前半は、同社にとって、アジア各国に進出していく、俄然、新しい取り組みが求められる時期となりました。


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    ヴィジョナリーブランド株式会社 代表取締役社長

    「現場に足を運ぶ」、非常に共感します。現場は、まさしくビジネスを伸ばすアイデアの宝庫です。私自身も現場主義で、現場へなるべく足を運ぶようにしています。現場の声はワクワクします。

    特に小売業の場合、お客様に一番近い店舗スタッフの声をいかに多く聴くかが、成功の鍵です。現場スタッフは自分たちの話を聞いてくれると感じ、お互いWin Winになります。

    そして、心に響いたのは、「人は自分を過大評価しがち。順調な時ほど自己観照が必要」。日々の鍛錬があるからこそのずっしりとした言葉ですね。年齢とともに「奢らず、感謝の気持ち」は深まりますが、「常に俯瞰的に自己を見つめる」は、日々の鍛錬が必要な気がします。


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