【高原豪久】ユニ・チャーム海外展開で売上高3倍、時価総額11倍
生理用品や紙おむつなど国内の事業基盤を強化するとともに、新興国を中心とする海外展開を加速。80を超える国や地域に進出して現地ニーズを掘り起こし、社長就任時に約1割だった海外売上高比率を約6割に、売上高を3倍にするなど、同社を大きく躍進させた。
なぜ創業者である父のカリスマ経営から、社員が自立的に動く全員経営へと転換できたのか。海外戦略、急成長を支えた人づくりなど、社長人生20年で培われた経営の要諦を語る。(全7回)
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愛媛県は江戸時代から製紙業の盛んなところです。今の四国中央市があるあたりは、その本場です。私のような塩崎氏が多く住む県の中西部よりも高知の山側に近いところで、コウゾやミツマタといった和紙の材料がよくとれるところです。今でも、大王製紙などの本拠地があることで知られています。
ユニ・チャームも、もともとはそういった製紙会社の一つだったのですが、高原慶一郎氏の代の時に、1960年代から生理用ナプキン、1980年代から紙おむつの製造に乗り出し、大飛躍を遂げました。今や愛媛を代表する企業ですが、製紙業の伝統を発展させた企業ともいえます。
生理用ナプキンと紙オムツは、世界中で女性の人生を変えました。2年前、『パッドマン 5億人の女性を救った男』https://bd-dvd.sonypictures.jp/padman/というインド映画が日本でも上映されましたが、生理用ナプキンと紙オムツで、女性が自由にできる時間が増えました。女性の就業にも大きく関わっていることで、日本では1960年代からこの変化が起きました。
中国や東南アジアでも、20年前は、女性が毎日何枚もの布オムツを洗濯しては干す、というのを繰り返しているのが日常でした。ユニ・チャームや花王がこれらの国に進出したことは、東アジアの女性の生活に少なくない変化をもたらしています。
「せっかく(社長の息子という)下駄を履かせてもらえる立場に生まれたのだから、思い切り自分の力を試してみたかったのです。」とても潔い。2世、3世の社長だけでなく、サラリーマン社長にも「しがらみを気にするばかりでなく、自分のやってみたかったことをやったらどうですか」と思うときが多々あります。
後で出てくるかもしれませんが、「ユニ・チャーム語録」は複数の言語に訳されており、何ページの何行目というところまでそろえてあり、「ここを読め」といえば必ず同じだそう。「凡事徹底」の本質を見る思いです。
創業家のいる大企業では、「オーナーシップ」との付き合い方は非常に重要です。「私物化している」と思われれば人心は離れていきます。他方で、「この会社を愛している」という点が伝われば、求心力に変わります。いい創業家がいると、社内の派閥争いもなくなります。でも、そこまで行くのが大変です、
いいインタビューですね。第1回目で読者をつかみます。続きが楽しみです。
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