この連載について
ビジネスや働き方が多様化し、正解がない時代に、自分を信じて一心に仕事をする人たちがいる。そこにあるのは独自の「哲学」だ。仕事人のヒストリーをたどり、道標となった哲学を浮き彫りにしていく。
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記事中にもあるように、当時の興銀という組織は、今思い出してもとても素晴らしいところでした。私も入社3年目くらいで有数の大企業の立派な子会社を担当させてもらったりと、「年齢とか年次とか気にせず思い切って仕事しろ」的カルチャーでした。先輩たちも個性的(変人的?)なスーパースターがゴロゴロいて、若手としては刺激的な職場でした。
また、私は学生時代に伊丹敬之先生のゼミにいて、いつも「ものごとを大きく・広く捉えろ」と厳しく指導をしていただいたのですが、興銀もそういうところがあったと思います。細かいことは気にせず(銀行としてはずさん?)、大きく考えて国や産業、取引先のためになることだったらふんばって本部に案件を通せ、といった感じで上司や先輩にはっぱをかけられていた気がします。
もちろん、当時の長期信用銀行法という黙っていても?利益が出るという今ではあり得ない環境で、とても余裕があったから出来上がったカルチャーでもあると認識しています。
でも、制度的なサポートは必要条件であって、あのようなカルチャーの組織が出来上がるための十分条件ではないと思います。
完全なノスタルジーですが、ああいった組織があったらいいな、と今でも思います。
今は外野に居るので無責任発言ですが、今の環境こそ、銀行の皆さんには「とるべきリスクは積極的にとる」という前向きで攻撃的な姿勢でビジネスをやってほしいなと、強く期待しています。
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地域に点在する結婚相談所・仲人さんを組織化した「日本結婚相談所連盟」を設立し、ITとリアルを融合させた婚活事業を推進してきたIBJ。同社は婚活業界で初めて東証一部上場を果たし、業界第1位の会員数・成婚者数を誇る。
創業社長の石坂茂氏は日本興業銀行の出身で、「婚活」という言葉が存在しなかった2000年に日本初となる結婚相手のマッチングサイトを開設した。
金融業界から一転して新規事業を立ち上げ、婚活からライフデザイン領域にまでサービスを拡充している石坂氏に、独自のビジネスモデルや成婚メソッド、経営哲学を聞いた。(全7回)
■第1回 婚活、コロナ禍で活況。結婚は「不要不急」ではない
■第2回 東大経済卒・興銀マンがITビジネスで起業した理由
■第3回 結婚したい人たちに必要なのは、このサポート
■第4回 婚活ビジネスにかつての興銀「IBJ」の社名をつける
■第5回 成婚を実現する「3つの心得」
■第6回 今までなぜ、結婚しなかった・できなかったか
■第7回 婚活市場に韓国人男性を増やすという解決策