【山本豊津】茶の湯・落語・アート…文化を「銀座」で学ぶと、未来が描ける

2021/1/2
2021年1月より、多彩なジャンルの文化発信を行ってきた東急プラザ銀座とBunkamuraが監修する文化芸術のフィルターを通した新プロジェクト「Creative GINZA」がNewsPicks NewSchoolで始動する。
【山田五郎】「茶の湯、落語、美術」から学ぶクリエイティブ思考

開講に先立ち、日本の美術発信における重要な拠点のひとつ「東京画廊」社長で、本講座の第三部ゲスト講師である山本豊津氏にお話を伺った。「銀座」で学ぶことの価値とは何か? 講座内で語られる「文化経済学から見る銀座」と「世界性を持つ街の戦略」の一部を紹介する。
山本 豊津
日本で最初の現代美術の企画画廊「東京画廊」の創始者である山本孝の長男。武蔵野美術大学建築学部卒業後、衆議院議員村山達雄氏の秘書を経て、1981年より東京画廊に参画、2000年より代表を務める。全銀座会催事委員会委員。アートフェア東京ボードメンバー。全国美術商連合会常務理事。日本現代美術商協会理事。武蔵野美術大学芸術文化学科特別講師。世界中のアートフェアへの参加や、展覧会や都市計画のコンサルティングも務める傍ら、日本の古典的表現の発掘・再発見や銀座の街づくり等、多くのプロジェクトを積極的に手がける。他、大学・セミナーなどで学生への講演等、アート活性に幅広い領域で活動。著書に『アートは資本主義の行方を予言する』『コレクションと資本主義』『教養としてのお金とアート
「銀座は『銀の座』。貨幣の鋳造をしていた場所なんです。徳川幕府が開かれるまで江戸では貨幣の鋳造はされておらず、技術もありませんでした。そこで、堺から職人を連れてきて鋳造が始まりました。堺といえば、侘茶を完成させた千利休を連想します。銀座で茶の湯や落語、アートの話をするというのは、とても良い組み合わせです。縁を感じます」
山本豊津氏はそう語る。
NewSchoolのある東急プラザ銀座は、銀座・数寄屋橋に位置する。数寄屋とは「好みに任せて作った家」という意味であり、「茶室」を指す言葉だ。
江戸時代、織田信長の弟で茶人として名を馳せた織田有楽斎(おだ うらくさい)が屋敷を拝領したエリアであり、多くの隠居茶坊主の数寄屋造りの屋敷のある場所であったことから「数寄屋町」と呼ばれていた。ここから江戸城に架かる橋が「数寄屋橋」であり、今も残るこの名から茶の湯との深い関わりに思いを馳せられる場所となっている。
この地では、現代においても茶の湯をはじめとする様々な文化発信が行われている。例えば、「銀茶会」。普段は席を同じくすることのない茶道五流派・煎茶道が一堂に会し、銀座の街が野点の会場となる秋の風物詩だ。
また、明治初期の銀座には数多くの寄席があったことを縁に2004年から2008年まで毎年開催された「大銀座落語祭」も、東西の所属団体を超え多くの落語家が出演する豪華な催しとして人々の記憶に新しい。
山本氏は、銀座ギャラリーズの落語会や銀茶会をはじめ銀座での文化発信イベントの多くに様々な形で関わり、支えてきた。同氏にとって、銀座はどんな街なのだろうかー。
写真:TAGSTOCK1/istock.com

文化を発信する街「銀座」

── 銀座という街の特徴を教えてください。
山本 「江戸、近代、現代」この3つの時代の文化が今も重なり合っているのが銀座という街です。江戸時代の銀座は、茶の湯や貨幣鋳造の街でした。明治時代になると、海外から輸入された文化を日本独自のものに変換して発信していく場になっていきます。
その一つが「洋食」です。「とんかつ」はカツレツを日本人がアレンジして作った料理ですが、現在は海外でも「TONKATSU」というそのままの名称で日本料理として販売されています。
洋食の他に「洋服」や「洋画(西洋画)」も同様に近代の日本人が発信してきた文化で、これらがアジアに普及していきました。
現代になると、ソニー、ミキモト、資生堂がフレンチの有名料理人を銀座に呼んでお店を開きました。3つの大企業が抱えるお店がフレンチレストランの始まりであったことは実に興味深いことですよね。
そして本家のフレンチが紹介されたことで、洋食が1つ前の「伝統」へと移り変わりながら共存しています。
現代のフレンチは懐石や寿司の影響を受けて生の魚を扱うようになり、ガラスの器や四角いお皿を使った盛り付けもされるようになりました。
これらは本家のフランス人ではなく日本人が生み出したものです。四角い器の始まりは日本人。四角いお皿はキャンバスになりますよね。それで、一層盛り付けがアーティスティックになりました。

お金の使い方にこそ、「人柄」が表れる

── 銀座で様々な物を見てきた山本さんの考える、お金の使い方についてお聞かせください。
「お金を使う」という行為は高尚なことではないと思われているところもあるのが現代です。例えば、美術大学でもアートがお金に変わることを嫌がる学生は多いものです。
しかし、4年間お金を親から出してもらって通った学校でアートを学んだのであれば、それを元にどう稼ぎ学費を取り返すかを考えることも大切なはずです。
「ものを買うこと」は、一種の表現です。何を買ったか?で、その人の人柄や人生が浮かび上がります。そして、その人の美意識をもあぶり出します。
一昔前の美意識は、持っている方が「どうだ!」と見せて表現する時代でした。「僕は美意識があるだろう?」と。しかし、これからはその美意識を「社会にどう還元するか?」が、問われる時代だと思います。
コレクターは、持っているものをただ人にひけらかすのではなく社会に還元する方法までを考えることが大切なのではないでしょうか。「美意識」というのは神不在の現代社会で道徳を支える存在でもあるのですから。
お金の使い方には「ものを買う」「ことを買う」「人に使う」という3つがあります。銀座の歴史を前近代、近代、現代と3つの時間軸に分けて紹介しましたが、その時間軸とこの3つのお金の使い方をクロスさせて私は「カルチャーマトリクス」と呼んでいます。このマトリクスを土台とすると、自分を育てるお金の使い方やその先の未来が描けます。

世界性を持つ都市の特徴

── 自分を育てる、という言葉がありましたが育成は大切な要素のように感じられますがいかがですか。
人を育てる力があるかどうか?は都市において重要なことです。人を育てられる街でなければ世界性を持たないと私は考えています。アートにおいては1960年代までのパリ、その後はニューヨーク、そして「ベルリンの壁」が崩壊して東西ドイツが統一されベルリンに移りました。残念ながら、高度成長した日本はその立場を担えませんでした。
しかし、戦前は日本も人を育てる場として機能していました。例えば、周恩来が初めてマルクスの資本論を学んだのは神田です。毛沢東はそれを教わり共産主義を始めました。毛沢東は海外に一度も行かなかった人ですが、アジアでの情報発信地であった当時の日本に学んだと言えるのではないでしょうか。
内輪の話をすると、銀座はたくさんの実業家を育ててきました。最初は花柳界です。お茶遊びをし、プロフェッショナルな女性たちから機微を学び交流を通じて情報を得てきました。明治維新を起こした人たちもプロの女性たちからの情報で世の中を動かしましたね。
近代になると、その場はクラブになりました。ママに叱られることで学んでいったのです。現在、銀座は料亭が激減し、2020年はコロナウイルスによる影響でクラブが大打撃を受けています。
これからの時代、どこでどのように、社会に還元できるお金の使い方を学んでいくのか? このCreative Ginzaでの時間がその一つになればいいですね。
(文・構成:小俣荘子、撮影:是枝右恭)
「NewsPicks NewSchool」では、2021年1月から「Creative GINZA」を開講します。

山本氏は、Creative Ginzaのゲスト講師として第三部「銀座の文化経済学」に登壇されます。山本氏考案の「カルチャーマトリクス」を土台に、文化経済学からアートの買い方や絵画を観る眼の育て方までを学び、実践する機会となっています。

詳細はこちらをご確認ください。