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ヤプリとの日々の振り返り

2020年12月22日。YJキャピタル支援先で、私が担当させていただいたヤプリが東証マザーズに上場しました。おめでとうございます。

YJキャピタルの出資先としては、2012年9月の1号ファンド開始から数えて14・15社目のIPO(株式公開)となりました。※同日にカイゼンプラットフォームさんもIPOというダブルでめでたい日になりました。カイゼンさんへのメッセージはまた別の機会に!

今日のnoteでは7年間伴走してきたヤプリさんとの日々について振り返りたいと思います。

ヤプリとの出会い

私は2013年4月にヤフーに転職し、YJキャピタルに2013年7月からジョインしました。ドリームインキュベータ(DI)で投資業務に携わっていましたが、日本のスタートアップ投資実務から6年ほど離れていたこともあり、浦島太郎の状態でコミュニティに戻ってきました。

当然、中途入社でベンチャーキャピタルに入社したわけですから、最初から担当先が無い状態です。なのですが、そこがCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)の良いところ。ひょんなことから、私がヤプリ(当時はファストメディア社)の担当をさせていただくことになりました。

ヤプリはヤフー出身者の庵原さん、佐野さん、黒田さんの3人で共同創業された会社で、2013年3月にYJキャピタルからシード出資を行った先の一つでした。当時、YJキャピタルの代表は小澤さんで、投資の主担当は戸祭さんでした。経緯はよく思い出せないのですが、「コンサル上がりの堀さん、ヤプリのサポートをよろしく頼むよ」みたいな小澤さんの一言で、戸祭さんと一緒に担当させていただくことになりました。

青山一丁目駅に隣接するラティス青山の中の狭い一室を借りていました。狭いワンルームでもっさりしていた記憶があります。初めてお会いした時に議論した内容は今でも覚えていて、Yappliをフリーミアムで拡販するか、それとも最初から月額課金でマネタイズするか、そんな話をしていました。ちなみにこの話題は1年以上、隔週の定例ミーティングでずっと話していた気がします(笑)

出会ってから1年間でお手伝いしたこと

定期的にミーティングでヤプリの経営陣と顔を合わせることになってから、当社が伸び悩んでいる理由に一緒に向き合うようになりました。可能性はなんかうっすらとありそうなんだけど、イマイチ飛び抜けて売れていない。当時はそのような状況でした。営業現場がどうなっているのかも分からなかったので、営業同行もさせてもらいました。

営業同行して驚いたことが一つありました。それは、営業シーンでの顧客への刺さり方が半端なかったことです。Yappliを提案する時は、当時、黒田さんが夜なべしてクライアントのデモアプリを準備していました。初回面談などで、「試しに御社のアプリを作ってきました」(庵原さん)とプレゼンすると、「おお、すごい!もう、このデモアプリで十分です」(お客さん)、とお客さんのウケがメチャクチャ良かったんです。投資時の担当者でなかったので自分の中でヤプリのどこが評価されて出資を受けたのか理解が追いついていなかったのですが、この時に僕も他のメンバーと同じ様にヤプリを信じられるようになりました。

でも、会社の財務諸表を見ると、あまり売上が積み重なっていない。こんな良いプロダクトなのに何故なんだろう。

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売上成長が地味すぎるので、社外の人に集まっていただき、みんなでヤプリをどうやって成長させたら良いか知恵を絞ってもらうイベント「無責任コンサル」を開催しました(上記写真。2014年11月)。スライドに『成長が地味すぎる』って書いてあります(笑)右端にいらっしゃるのはGamewith今泉さん!豪華ゲストでしたね。。。

営業の状況を見える化していくと一つの課題が見えてきました。それは、面倒臭いアウトバウンド営業にそこまでリソースをかけきれていないことでした。商談に至るまでは、コールドコールといって見ず知らずの人に電話でアポを取って、それから商談しないといけません。3人で会社を切り盛りしていましたが、それぞれが忙しく、いわゆるリードジェネレーションに時間を投入する人がいませんでした。誰だって断られるのは嫌ですし、なかなか気持ちが乗らない、といった様子でした。また、俺たちのプロダクトイケてるから顧客が選んでくれるよね、という空気もありました(笑)

そんなことから、気合いをもっと注入しなくちゃいけないと思った私は、友人のクリエイターズマッチの呉さんを共同創業者3人に紹介します。呉さんは営業の鬼です。呉さんは庵原さん達と会うのは初めてでしたが、「あなた達、一日5件以上は商談埋まっていないとアカンのとちゃいます?僕、5件アポが入っていないと会社が潰れるんじゃないかと不安になってしまいます。もっと気合い入れて営業しないと売上なんて作れませんよ」と説教(?)にも聞こえるアドバイスをしてくれました。そこから呉さんにアポ取りを得意とするコールセンターを紹介してもらったりして、チームヤプリの行動量を増やしていくことに着手しました。

上場企業のブイキューブが法人営業でバシバシ導入を決めている、という話も耳にしました。そこで、ネットで調べたり、知人にヒアリングしたりしてブイキューブがどういう営業活動をしているのか聞きました。分かったことは、アウトバウンド営業はしないで自社セミナーを開催して潜在顧客を獲得しているという点でした。これには驚きましたが、早速ヤプリでもヒカリエにあるコワーキングスペースを使って第1回勉強会を開催しました。最初は顧客も絞らなかったので、色々なお客さんが集まったイベントになりました。この2年後に一回のイベントで400名以上集客できるようになりました(笑)

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また、顧客リストを並べて眺めることもしました。残念ながら当時は有料顧客が100社もいなかったので、全部目で追える数でした。DI時代に、『データが1,000以下の時は生データを全部目で見ろ!』と言われたのを思い出しました。どんなお客さんがいるのか生のデータを眺めましたね。(庵原さん達は当然理解していますが、私は新参者だったのでしっかりと支援先を理解する必要があったのです)

ミュージシャン、アパレルブランド、小売業、デジコンなど業種業態が様々でした。企業規模も業種も定まっていない印象でした。「誰でも使える便利なプラットフォームなんです」、「明日は水族館に営業に行きます」と庵原さんが言っていて、どこかに絞らないといけないな、と思っていました。一緒にデータを眺めて、導入に偏りが見えたのがアパレルブランドでした。次に、アパレルブランドの既存顧客さんとの商談にまたもや同行させてもらいました。そこで分かったのは、そのお客さんが業界を代表するほどマーケティングに力を入れているアパレルブランドということでした。とにかく、yappliのプロダクトの価値を分かっていました。飲食店チェーンや商業施設を営業同行した時との反応の違いがビンビンに伝わってきました。そこからはひたすらアパレルブランドだけを向いて営業戦略を一緒に考えていた記憶があります。そこから無風状態に近かった月の売上が僅かながら右肩上がりに増えていきました。ヤプリが立ち上がる手応えを感じました!

シリーズAをオールスター投資家(自称)でクローズ

事業に成長の兆しが見えてきた2015年初頭。小澤さんから「そろそろ資金調達動こうよ」とアドバイスが出ました。どうやって資金調達をバッチリ決めようか。また、良いプロダクトなのに全くヤプリが世間に知られていない、ということにモヤモヤしていました。

メディアに取り上げてもらいたい。その思いでBRIDGE平野さんに「オススメの会社あるので取材してもらえませんか?」という今思うと本当に失礼極まりないお願いを強引にしました。
優しい平野さんはとりあえず話を聞いてくれると言って取材にきてくださりました。ただ、資金調達をしたわけでもないし、凄い提携が決まったわけでもないし、目玉が飛び出る新機能がリリースされたわけではなかったので、記事にはなりませんでした(涙)この時、広報・PRというのは戦略的に動かないと駄目だな、と身を持って感じました。

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この時は六本木のワンルームマンションに引っ越ししていたのですが、当時取材した平野さんからは死んだ魚の目と評されました(笑)

庵原さんにピッチイベント出ましょうよ、と誘っても「以前○○○や△△△に申し込んだけど書類で落ちたんですよねー」と梨のつぶて。そんなある日、世界最大のイベントSLUSHが日本にやって来るという連絡が入ってきました。しかもプレゼンは英語オンリー。2015年当時、グローバルでもiOSとAndroidアプリの両方をプログラミング不要(当時は誰もノーコードとは言っていませんでした笑)で提供できるサービスはyappliとヨーロッパに1社ぐらいでした。庵原さんと僕は当時から世界進出を信じていました。「庵原さん、このイベントは絶対挑戦した方がいいっすよ。まず、英語でプレゼン出来る起業家が国内には少ないし、グローバルデビューが一気に出来るからやりましょう!」とけしかけました。面倒臭がる庵原さんでしたが、書類選考を通過してからは、シティバンク時代の同僚にお願いして英語プレゼンを沢山練習して、ピッチイベント当日を迎えることになりました。

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(👆2015年のイベント会場の様子。https://www.orihalcon.co.jp/news/slush-asia-2015/)

本番当日、予選は余裕で通過して決勝ラウンドに進出しました。しかも予選にはエンジェル投資家として有名なDeNA顧問の川田尚吾さんが審査員として参加してました。予選が終わるや否や川田さんに感想を聞いたら、「やばい。感激した」って仰ってくださったのが本当に嬉しくて、僕もこのまま決勝で優勝間違いなしだと思ってました。が、勝利の女神は味方してくれず。決勝ラウンドでは緊張もあり質疑応答のアドリブが上手くいかず、2位という結果になりました。(それでも凄いことですが)

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しかし、このイベントに登壇して準優勝になったことは、ヤプリの共同創業者全員にとって素晴らしい自信に繋がったことだと僕は思ってます。出場して良かった。起業の構想から会社設立してSLUSH ASIAまで約3年ですかね。ここで初めて、世間にyappliの名を知らしめることができました。

このタイトルを武器に資金調達に動くことになります。目指すは最強の株主構成。シリーズAラウンドを得意として、業界でも有名な三羽烏が率いるGlobis Capital Partnersで組織マネジメントに定評がある今野さん。そして米国市場に明るく、B2B事業に最も精通しているSalesforceで活躍中の浅田さん(現在は独立されて、One Capitalの代表をやられています)。さらに、僕たちに時に厳しい喝を注入してくれる、起業家としての大先輩の川田さん。特に川田さんは、エンジェルラウンド以外は投資しないと言っていたのですが、かなり無理を言って出資をお願いしました。

シリーズAラウンドの投資家集めは最初にお声がけした投資家さんだけでクローズしました。他の投資家さんとの交渉はほとんど発生しませんでした。GCPもSalesforceも川田さんもすぐに決めてくれました(涙)2年前に初めて担当した時から考えると信じられなかったです。

出資していただいてからの月次で開催される経営会議は本当に内容が濃く、僕のキャピタリストのキャリアにおいても沢山のことを勉強させてもらうことになりました。おかげさまで、この3名の投資家に株主として加わっていただいたことを契機に私はほとんど出番がなくなり、お役御免になりました。我ながら、自分の仕事を減らす良い仕事をしたな、と思います(笑)

資金調達が完了してから、BRIDGEさんには素敵な記事を書いていただきました。ふう、良かった、良かった(笑)

シリーズAラウンド後〜今日

シリーズAラウンドをクローズするまで、世間に注目もされず辛い時期を過ごしました。儲かっていないので採用も積極的に出来ず、ずっとマンションの一室で共同創業者3人で黙々と仕事していました。毎日顔合わせるから、コミュニケーション量は足りていると3人とも感じていて、1on1のようなコミュニケーションを取っていませんでした。事業がうまくいかないと喧嘩も増えて仲も険悪になります。

例えば、営業からの要請で新機能を開発チームが実装する。ところが、受注に繋がらない。当然、開発の責任者(佐野さん)は営業の責任者(庵原さん)に対して不満を感じる。また、アプリの納品に際してデザインが想像したものと違ったり納期が遅れたりする。デザインの責任者(黒田さん)に対して不満が募る。。。こんなことの繰り返しでした(滝汗)

小澤さんから「ガス抜きをしてあげてください」とアドバイスを受けた私は、月に1回、3人の内一人をランチに誘って愚痴を聞くという活動をしばらく続けました(1年ぐらいかな?)。

やがて事業が軌道に乗り始め、忙しくなるとお互いの業務に口を挟む余裕は無くなり、仲が悪かった!?(正確にはかける言葉が少なかった)3人も会社が目指す目標に向けて一心不乱に頑張るようになりました。

ビジョンやコーポレートガバナンス的なことは今野さん。今野さんは時に厳しい言葉をずっと投げかけてくれました。SaaS企業としてのThe Modelを注入するのが浅田さん。浅田さんはお兄さんとして、「こうやったら営業チームが上手く機能するよ」というテクニカルなアドバイスを沢山してくれました。佐野さんのエンジニア魂を揺さぶるのが川田さん。川田さんの言葉には重みがあるので、みんなが耳を傾けます。

私は本当にやる仕事が無くなりました(笑)なんか困ったことあったら相談してね、みたいな存在になりました。本当に申し訳ないです。あ、月商がキリ番を刻むタイミングで焼き肉をご馳走する、という役回りを担当していました。

汚いマンションの一室から、日本を代表するSaaSカンパニーに成長したヤプリ。ぐんぐん成長していく姿を最前列で見学させてもらって勉強になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。

庵原さん、佐野さん、黒田さん。本当におめでとうございます。諦めずに頑張ってきて素晴らしかったです。

これからのさらなる成長を草葉の陰から楽しみながら見守っていきます。


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