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エズラ・ボーゲル氏死去、90歳=「ジャパン・アズ・ナンバーワン」

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  • 芦屋市長

    ハーバードのみならずボストンの日本人学生に多大なる影響を与えたボーゲル塾を主宰されていたボーゲル先生。このタイミングでボストンにいないことが残念でなりません……最後にお話を伺いたかったです。RIP.


注目のコメント

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    (株)TOASU特別研究員(経済評論家・コンサルタント)

    ジャパン・アズ・ナンバーワンが出た1979年は私がアメリカのビジネススクールで学んでいた年で、1973年のオイルショックでさしもの高度経済成長は終わったものの、日本はまだ年間10%前後の高い名目成長率を誇り、米国はベトナム戦争の後遺症でなんとなく暗いムードにあったころ。当時の日本は本当に強かった。米国のビジネススクールは競って日本人学生を募り、日本的雇用慣行や日本の産業政策を語らせたものでした。厳しい受験競争でがり勉と揶揄されつつも初等中等教育段階の学力は世界トップクラスを保ち、日本人であることが本当に誇らしかった時代です。
    しかしその3年前に通った慶応ビジネススクールで私の指導教官は、飛びぬけた高成長はその要因を考えればやがて当然に終わること、高度経済成長が終われば日本的雇用慣行は維持できずやがて日本の弱みに変わること、政府主導の産業政策は日本が先進国を追って成長している間は良いけれど、自らブレークスルーしなければならない時代になると却って日本の成長力を落としかねないことを既に語ってくれました。早世されたのが残念ですが、思えば凄い先見の明。
    私も喜んで、そして誇りを感じつつジャパン・アズ・ナンバーワンを読んだけど、そうした教えが事前にあったので、もう外国に学ぶことは無いという当時の風潮に違和感を覚えたのも事実です。残念ながら私の先生の予見と私が感じた違和感は、プラザ合意からバブル経済を経て行き着いた平成の停滞で、残念ながら当たってしまったみたいです。
    ジャパン・アズ・ナンバーワン、この先も忘れることのない懐かしい書名です。ご冥福を祈ります。


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    埼玉大学経済経営系大学院 准教授

    この本が書かれたのは1979年でした。
    この頃のビジネス書の主だったものを挙げると、パスカルとエイソスの『ジャパニーズ・マネジメント』とウィリアム・オオウチの『セオリーZ』が1981年、ディールとケネディの『シンボリック・マネジャー』、ピーターズとウォータマンの『エクセレント・カンパニー』が1983年、でした。考えてみれば、ヴォーゲルの著作はその先駆けとなったものなのだなと思いました。
    いずれも、オイルショック後の日本的経営の台頭、席巻について、日本企業のもつ、独自の企業文化や社会に目を向けて産業全般の制度自体の変革を考察した著作で、いかに当時の日本的経営が企業経営に大きな影響を与えているかがよく分かるものでした。
    約40年が経過して、かつてのこうした日本的経営への注目は完全に消え去りましたが、こうした一連の著作や研究を通じて、アメリカの企業・産業が徐々に変革に取り組んできた成果でもあるとも言えると思います。

    日本の変革はこれからですね。


  • ジャパン・ソサエティー(米国・NY) 理事長

    東アジア研究における米国屈指の研究者で、私のメンターで友人でもあるエズラ・ボーゲル教授の訃報を非常に残念に思う。ボーゲル教授は特に日本と中国研究の第一人者として、日米関係の理解と米中の二国間関係の発展に大きく貢献され、その功績は今後も語り継がれることになるだろう。我々ジャパン・ソサエティーもボーゲル教授とご縁をいただき、スピーカーとしてご登壇いただく機会を頂戴するとともに、1998年にはその功績を称え、ジャパン・ソサエティー賞を授与させていただいた。先週電話でお話した際にボーゲル教授にいただいた、「ジャパン・ソサエティー理事長の役職は、まさしく私が君に取り組んでほしいことだ」というお言葉を胸に、今後も日米関係の相互理解の促進に邁進していきたいと思う。心よりご冥福をお祈りいたします。


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