マイナンバーカードで学校の成績が分かる? 文科省に詳細を聞いた
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昨日の文科省・経産省・総務省・経団連を交えた超教育協会のシンポでも本件が話題になりました。
評価や選抜が一発勝負の入試から日々の学習履歴に移るのは世界的な流れとなります。学習データの蓄積と利用を進めることは、PC一人一台など学校デジタル化の次テーマです。マイナンバーとの紐付けも重要な選択肢。
ただ、それを学校や自治体や国が管理するイメージ(ないし誤解)が広がると、懸念が先に立って動かなくなる。データはあくまで本人のもので、学生・保護者が使い方を管理できるよう設計することがカギです。そうすればムラのある人もムラを有利に使える。
本件への反発・批判を見ていると、10年前にデジタル教科書を唱えた頃に受けた反発を思い出します。
授業が画一的になる。先生が要らなくなる。読まなくなる。少し考えればバカげた意見と気づくはずだが、教育分野の学者や文科大臣などからもそんな意見を受け、この漠然とした不安感を解くための説得に何年もかかりました。それが日本の教育デジタル化を遅らせ後進国に沈めました。
学習データ利用も、仮によい設計がなされたとしても、コンセンサスを得るのに時間がかかる気がします。「現在はデータの伝達方法を考えている段階で、具体的な情報の扱い方などは未定。全ての子供を対象にするものではなく、希望する家庭や学校のみが使えるようにするとしている。」もう、すべてにおいて半端で、結局だれの役にも立たないものになってしまうようで恐ろしいです。エビデンスのベースとなる研究、ひいては国民のウェルビーイング向上に役立つデータを期待しますが、希望者のみではセレクションバイアスがかかるので、そこから得られるエビデンスの有効度もぐっと下がります。
私達は自分が思っている以上にデータバイアスを持ちがちです。中学校の先生が小学校の成績を見て、こいつはできるやつだ、できないやつだと容易に判断できてしまうのはあまりよろしい状態ではありません。
結局データは使い方ですべてが決まるので、学習ログとして残していくことには賛成ですが、それが個人の能力判断に使われてしまうのはちょっと怖い。教師が子どもの限界を無意識的に決めてしまうことを冗長しかねないからです。