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中動態としての言語

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  • 言語論は刺激的で興味深いのですが、言語を言語を使って説明しているのでいつも難解ですね。この記事も難しいですが「語る行為は中動態的」というのは分かる気がします。今書いているコメントもそうですが、書き始めるGOは自分がコントロールしていますが、そのあとは何かが勝手に書いている感じがあります。蛇口を開けて、コップが溜まったら蛇口を占めている感覚に近い。誰かと話している時も同じで、能動態っぽくないです。話は飛躍しますが、これが「なぜなぜ分析」のようなツールを人間に適用すると難しくなる根本原因なのだろうと思っています。つまり責任の所在を明確にしようとすると、そもそも責任ってなんだっけ、の世界になってしまう。

    ところで、「人間と動物の違い」でいつも思い出すのは、「私は」と言い出したらそれは人間、という誰かのことばです。これに従うなら、白戸家のお父さんは人間、ということになります。つまり、バウリンガルの精度が上がって犬と人のコミュニケーションができて「好き」とか「ごはん」とかは言うだろうけれど、「私は」とは言わないはず、という直感的な話ですが、すごくよく分かります。それは自己意識の話ですが、「私は」と言うとき、話し手は「私」を外から見ているので、もう能動態の枠では捉えられないので、中動態に近いのかもしれません。つまり人はその存在からして中動態的なのでしょう。そういう認識を上手くみんなと共有出来たら、「責任追及は社会として必要だけれど人間本質とは切り離して考えないと」となって、社会はもう少し優しいものになるのかもしれません。


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