【高橋尚子】一歩踏み出す人を増やすために、私は走る

2020/12/27
「学ぶ・創る・稼ぐ」をコンセプトとしたプロジェクト型スクールのNewsPicks NewSchool
その中でもひときわ異彩を放ったのが、2020年の10〜11月にかけて実施された「NewsPicks Running Club with ASICS」です。
本プロジェクトはカラダと心の鍛錬を通して公私の生活をより豊かにするためのツールとしての「ランニング」に着目。
日本を代表するスポーツメーカーアシックスの全面協力のもと、2019年11月に豊洲に誕生した世界最大級・低酸素トレーニングジムである「ASICS Sports Complex TOKYO BAY(以下ASC)」と周辺の公園を舞台に全4回で実施しました。
MCには奥井奈々さん、ゲストとしてプロピッカーの田中慎一さんも毎回参加。
コニカミノルタ陸上部副部長/リオ五輪マラソン日本代表コーチの酒井勝充さんなど、特別参加の専門家の指導の下、集った仲間とともに、ポテンシャルを最大限に引き出すための正しいフォームの獲得や科学的なアプローチでのトレーニング、コンディショニングの知識を学び、レースと仕事それぞれで結果を出すためのヒントの獲得を目指しました。
多忙を極める働き盛りのビジネスパーソンは限られた時間のなかで、いかに自らのランニング・トレーニングメニューの効率を向上させることができるのか──。
また、どうすればタイムを伸ばしていき、かつ心身ともに充実した生活を送れるのか──。
参加者は様々な角度から自身と向き合うストイックなプロジェクトとなりました。
プロジェクトの最終回のゲストにはシドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんが登場。
「これまで走ってきて、たくさんの方に応援してもらいました。私が発信することで、一人でも多くの方に走ることの楽しさや意義を伝えたい」との思いを持つ高橋さんに、その「ランニング論」を余すところなく語っていただきました。

どうバランスを保つか

──過去のインタビューで、高橋さんは走る上で大切な要素として「練習、食事、ケア」の3要素があり、その中心に心があると考えていると聞きました。詳しく教えてください。
「速くなりたい」という思いは、トップ選手だけでなく一般ランナーの方も同じだと思います。
しかし、そうなるとトレーニングに比重を置きがちです。私としては、食事とケア、そしてトレーニングのバランスが整うことで速くなると考えています。
トレーニングでは、内容や結果、体重、感覚を毎日日誌につけることで、自分の最もよい状況を把握し、コンディションを調整してきました。
さらに、継続して練習するためには、けがをしない強靭な肉体が必要です。そのためには、栄養豊富な食事を摂らなければなりません。
食事はウェイトコントロールも関係し、オーバーウェイトにならないよう、自分が最も動きやすい体重を知ることが重要です。一方で、体重を軽くし過ぎ、風邪やけがにつながることを何度も経験してきただけに、痩せれば痩せるほどいいとも言えません。
そして、疲労回復できていなければ練習の効果も薄れ、試合で力を出し切れません。
疲労をしっかり抜くリカバリーで大切になるのは、まずは睡眠。睡眠をしっかり取ることで、体の回復を促してもらえます。アイシングや体操も体を動かしやすくしたり、疲労回復にもつながりますから、マッサージも含め、体のケアをしっかりと取り入れることでパフォーマンスは向上していきます。
自分自身、この練習・食事・ケアの3つのバランスを保つことが心の安定にもつながり、精神的に満ち足りた状態で試合に備えられていたと感じています。
──その考え方が確立した時期はいつ頃でしたか。
高温多湿な過酷な条件となった1998年のアジア大会や、けがで欠場した1999年の世界陸上を経験した頃ですね。
1998年のアジア大会は、タイのバンコクでの開催だったので、開催時期は12月なのに気温は35度以上で、湿度は90%以上という条件でした。メディアの方からも大会数カ月前から、「体を壊さないですか?」「どんな準備をしていますか?」と聞かれることが多くありました。
当時は質問されるたびに不安になり、部屋で一人になったときは「大丈夫かな? 体を壊してそのあとに響かないかな」とよく悩んでいました。しかし、よく考えてみたら「天気はその日になってみないとわからないよね」と。
「誰にもわからないことに悩んで気持ちが不安定になるだけもったいない」
「その不安になった瞬間に腹筋を50回やったほうが絶対にプラスになる」
そうやって現実的に考えることで、不安も解消されていきました。
一見すると断崖絶壁のようでも、冷静になるとなだらかな坂に見えたりと、悪い状況も考え方や見方を変えると、チャンスに思えたりします。普段の生活から、何事もポジティブに変換できるようになったのもその頃でした。
一方、セビリアで行われた1999年の世界陸上は、練習や試合でどんどん目標をクリアしていた頃。練習することに考えが行き過ぎ、けがのリスクへの対策も「私には関係ない」とおろそかにしていました。
当時は痩せれば痩せるほど速くなれるという考えにとらわれ、自分の適正体重を下回ったことも3度ありました。ところが、実はその3度ともけがをし、風邪をひいてしまいました。
まさに、自分自身を知る大切さを痛烈に感じた出来事です。自分の適正体重を把握すること、けがをしないための体づくりやケアの大切さに目を向け始めたのも、その経験があったからこそと言えます。
1999年の当時を振り返ると、2000年のシドニー五輪や世界記録を出した2001年のベルリンマラソンのときより、調子が良かったほどです。今でも「どのくらいのタイムで走れたのか」という思いがあるくらいですが、好調なときにこそ落とし穴はあると学びました。
調子がいいからといって何事もうまくいくと考えず、足元をしっかりと見据え、一歩一歩しっかり踏み締めて進まなければいけないなと。
かつては緊張からガチガチでスタートラインに立っていたのに、シドニー五輪では、踊るかのようにスタートを楽しみに感じるようになったのも、アジア大会や世界陸上の経験がメンタル面で生かされた結果だと感じています。

「遊び」の時間をつくる

──高橋さんは今年の24時間テレビでの募金ランでも注目を集めました。現在のトレーニングについて聞かせてください。
現役を引退してからは、なかなかスケジュール通りに練習を積める状況ではありませんでした。
1週間で5日走ったかと思えば、1日か2日しか走れなかったり。ただ、走る時間がない時期はスピードを追うのではなく、体に負荷をかけないようなジョギングで、楽しい時間を過ごすようにしていました。
小出(義雄)監督に師事した現役時代は、世界一ハードと言えるトレーニングを積んできました。プロランナーの仕事としての練習は非常に苦しく、土曜日は朝食前に50キロを走り、朝食後に体のケアと少しの休息を挟んで、昼に30キロという、80キロ走が恒例。もちろん、次の日に休みがあるわけでもなく、翌日も翌々日も毎日40キロ近く走ります。
ただ、だからといって走るのが嫌いになるかといえば、そうでもありませんでした。
大きな理由として、どれほどハードな練習でも、その後にはランニングを始めたときのように楽しく走る、原点に戻る「遊び」の時間をつくっていたからだと思います。
具体的には、練習が終わるとササッと身を隠す監督を「一緒にジョギングに行きましょう」と探し出し、遊びのジョギングを練習後にプラスアルファで1時間ほど必ず入れるようにしていました。
今もキャスターやランニング教室、マラソン大会といった様々な仕事がありますが、ランニングを始めたときの楽しさは、変わらずに持ち続けられていますね。
──世界一ハードなトレーニングでも、リラックスできる部分があると、目標に向けて頑張り続けられるということでしょうか。
陸上だけでなく他競技でも、好きで始めたのにいつしかプレッシャーや義務感にとらわれ、競技を好きでいられなくなる選手は少なくないと思います。
ただ、それは決しておかしいことでもありません。大事な点は、自分に課された目標を乗り越えるモチベーションを持てるかどうか。
有森裕子さんのように、陸上を好きでなくても自分の生きる道を開拓するために結果を求めてもいいはず。また、「妥協したくない」「負けたくない」という思いで突き詰める、鈴木博美さんのような考えもあります。
私自身は、走ることが楽しいというモチベーションを持てたのは、非常に幸運だったと感じています。

環境面も進化している

──現在は「ASICS Sports Complex TOKYO BAY」(以下、ASC)のように、都市型低酸素環境下トレーニング施設も整っています。現役時代と現在を比べて、環境面の進化は感じますか。
実際にASCを訪れたときは驚きましたね。
現役時代は高地トレーニングのために、アメリカのコロラド州にあるボルダーに拠点を構え、標高1600メートルから3500メートル、ときには4300メートルまで上っていくことがありました。しかし、リカバリーをするためには、より効果的な平地まで下りなければなりません。
ASCではハードなトレーニングをするときは低酸素室で追い込める一方、リカバリーに効果のある交代浴が可能な浴室などの設備もあるので、高地トレーニングの短所を補うこともできます。
器具も豊富で、トレーニングとケアがひとつの場所でできるため、生活リズムを崩すことなく、メリハリを持って練習に取り組める環境となっています。多角的な強化やコンディション調整ができることは大きなメリットですから、「現役時代にあれば」と羨むほどですね。
東京オリンピック・パラリンピックが開催されれば、来年は全世界の選手の拠点になるのは間違いなさそうです。
──市民ランナーの大きな課題である、時間の確保とモチベーション維持の方法はありますか。
練習をやめてしまう要因として、まずけがが挙げられます。継続的な練習をするためにも、けがをしない体づくりは重要で、そのためには走りばかりにフォーカスせず、準備と体操を怠らないことです。
市民ランナーの方にお話を聞くと、1時間のお昼休みをフルに活用するために、スーツから着替えてすぐに走り出すこともあるそうです。調子がよければ、ハイペースで走ってしまうことも多いと聞きます。
しかし、ランニングは一歩で体重の3倍近くの衝撃がかかると言われています。もしも1時間あるのであれば、走る時間を10分減らしてでも、走る前にしっかりと体操を入れて体を目覚めさせ、衝撃を吸収できる態勢をつくってもらいたいですね。
私も実践していましたが、リカバリーも含めたケアを怠らないことで、けがをすることなく練習を継続できます。それに、体操は可動域を広げフォームを大きくできますから、タイムを伸ばすことにもつながります。
モチベーション維持のためには、練習をこなした自分を褒めてもらいたいですね。
例えば、走り始めて3日目に練習ができなかったとします。すると、「なんで練習しなかったんだ」と自分を責め、一気にランニングから遠ざかってしまうランナーは少なくありません。
ただ、週に1回でも2回でも、何もやっていないよりも一歩前に前進していることは間違いありません。「やれない自分を責める」のではなく、「やった自分を褒めてあげる」。そんなスタンスで臨んでみてはいかがでしょうか。
私もけがをしたときは気持ちが落ち込み、「みんなから差をつけられたらどうしよう」と不安になることもありました。しかし、ただ不安に思うより、「この期間をどうして過ごそう」「今できることは何か」と考え、室内でできる「補強トレーニング」というものを、いつもよりも多くこなしていました。
実際、けがが癒えて走ってみると、「今までよりも楽になっている」と変化を感じることも多くありました。「できない」と思っていた状況でも、「できること」を探してみると、実はたくさん見つかったりします。
──走る時間が取れないときのオススメの「補強トレーニング」はありますか。
お尻のトレーニングは非常に効果があるので、オススメですね。
腹筋や背筋、腕立ては、補強の代表格なので誰もが経験したことがあるはず。けれど、実はお尻のような大きな筋肉を使って走った方が、より効率的だったりします。体をみても、足首よりもふくらはぎ、ふくらはぎよりも腿、腿よりもお尻と、筋肉は大きくなっていますよね。
私自身、1500メートルから5000メートルに転向する際、お尻のトレーニングが16分の壁を破るきっかけになりました。
当時は、16分から16分10までなら何十回と出せるのに、どうしても16分を切れないという時期が2年ほど続きました。ところが、補強でお尻のトレーニングを入れてみたところ、4カ月で一気に40秒近くタイムが縮まりました。
40秒近いタイムの短縮は、どこにでもいるような大学生レベルの選手が、いきなり日の丸を背負うほどの変化を起こします。当時の私が数段飛ばしで成長できた理由も、大きな筋肉を鍛えたからこそだと感じています。

自分の走りで「何」が伝えられるか

──逆境にあっても前向きに考えられる点についても聞かせてください。2005年の東京国際女子マラソンでは優勝を果たしましたが、当時はアテネ五輪の代表から漏れたりと、決して順風満帆とは言えない時期に見えました。逆境のなかで、どのように自身のメンタルを保っていましたか。
2005年は、私の第二のマラソン人生が始まる転機になりました。
それまでは誰よりも速く、とにかく勝つこと、タイムを縮めること、人間の限界に挑戦することをモチベーションにしていました。実際、シドニー五輪で優勝し、世界記録を出し、史上初の連覇に挑むアテネ五輪に向けて非常にワクワクしていました。
しかし、アテネ五輪への出場が潰えたとき、苦しい練習を乗り越えるためのモチベーションをどこに持っていくべきか考えたとき、実は見つけることができずにいました。
加えて、先輩方からも「ダメになったとき、メディアや応援してくれていた人たちは手のひらを返したようにいなくなるよ」という話も聞いていました。
代表から漏れたことは、やるべきことをやった結果なので納得はできていましたが、当時は一歩も走れないような精神状態でした。
ところが、当時は人生で最もうれし涙を流した時期でもありました。
なぜかと言えば、走れない私に手のひらを返すのではなく、「走るのを楽しみにしているよ」「また取材に行かせてね」という、多くの温かい手紙や声をいただけたから。そういった手紙や声を目にし耳にするたび、涙を流していました。
「私に恩返しできることは何だろう」と考えたとき、頭に浮かんだのが、同じように苦しい思いを抱えながら閉じこもっている人がいるならば、少しでもメッセージを伝えたい、ということでした。
「高橋はこれで終わりだね」と思われているところから、また日の当たるところまで這い上がる。その姿を見ていただくことで、「自分ももう一歩踏み出してみようかな」と感じてもらえたら嬉しいなと。
それが厳しい練習を乗り越えるための、新たなモチベーションになりました。
東京国際女子マラソンは、私のなかの時計が止まった、2003年に出場した大会でもあります。それに、当時負けた相手(エルフィネッシュ・アレム)との対戦。自分自身の時計を再び進めるには、同じところから始めなければいけないと、2005年の出場を決めました。
レースに勝ち、お立ち台で「24時間は平等に与えられたチャンスの時間ですから、どうか今日一日を可能性を持って頑張って進んでほしい」というメッセージを伝えたところで、「このチャレンジは終わった」という気持ちになりましたね。
「自分の走りで何が伝えられるか」という思いは24時間テレビにもつながっていて、私にとって今も非常に大きなモチベーションになっています。
──気持ちが伝わってきます。当時のヒーローインタビューがよみがえってきました。
実はレース後、「自殺を考えていて街をさまよっていたら、街頭テレビで優勝インタビューを見たことで、もう一度頑張ってみようと思った」という手紙が届いたことがあります。
その手紙を読んだとき、「ああ、この人の言葉だけでも私が走る意味はあったんだな」と思えました。
それが、私の前向きに走り続けられている理由ですね。
(取材:上田裕、平岡乾、構成:小谷紘友、撮影:是枝右恭、デザイン:田中貴美恵)
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