2021/1/11

【鈴木啓太】非エリートが夢との距離を縮める方法

PIVOT エグゼクティブ・エディター
元サッカー日本代表の鈴木啓太氏が立ち上げた、アスリートの腸内細菌を研究するバイオベンチャー「AuB」が企業から熱視線を浴びている。
2019年9月には、大正製薬と三菱UFJキャピタル、個人投資家から総額約3億円の資金調達に成功。2020には、読売ジャイアンツとの選手の栄養サポート分野での取り組み、京セラらとの共同研究をスタートさせている。
サッカー界からビジネスの世界に飛び込み、創業から5年。ゼロから切り開いてきた道のりを支えた、その熱源とは。(全7回)
鈴木啓太(すずき・けいた)/AuB 代表、元サッカー日本代表
1981年7月静岡県生まれ。東海大翔洋高校卒業後、2000年にJリーグの浦和レッドダイヤモンズに加入。2009年からの3年間キャプテンを務め、2016年1月の現役引退まで所属する。2006年に日本代表に初選出され、イビチャ・オシム監督体制下では全試合に先発出場。2015年10月にアスリートの腸を研究するAuB(オーブ)を設立し、現役引退後に代表取締役に就任した。現在は同社で、腸内細菌解析事業やコンディショニングサポート事業、バイオマーカー開発事業、腸内細菌関連製品の開発事業を手掛けている。

幼稚園で「サッカーやりたい」

生まれは、とにかくサッカーが盛んな土地。静岡県清水市(現・静岡市清水区)です。
母方の実家の三軒隣は、セレッソ大阪などで活躍した西澤明訓さんの家。さらに十軒ほど先に行けば、清水エスパルスでプレーした長谷川健太さんの家があったりする地域です。
男の子であれば幼稚園に入る前からサッカーを始めるなか、私も幼稚園の帰り道に「やりたい」と言ったことを覚えています。
ところが、母には「サッカーするの!?」と驚かれてしまいました。
それもそのはず。当時の私は、怖くて犬に触れることも海に入ることもできないような子供。色白で周囲から“もやし”と呼ばれるほど細く、配達に来たおじさんには「お嬢ちゃん、いくつ?」と聞かれることもありました。
しかし、玄関を開けると、家の前では近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちがボールを蹴っていたりします。
楽しそうな姿を羨望のまなざしで眺めていると、あるとき近所のお母さんが「啓太くん、入る?」と声をかけてくれました。
それがサッカーを始めたきっかけ、ではなく、当時の私はそのままガチャっと玄関を閉め、家のなかに戻ってしまいました。それほどの恥ずかしがり屋だったのです。
母が驚いたのも、活発で運動も得意な姉とは対照的な私のことを、「大丈夫かしら」と心配したのだと思います。

私はサッカーの非エリート

ただ、当時は「キャプテン翼」やディエゴ・マラドーナの人気が絶頂の時代。それらの影響や近所でみんなが楽しそうにやっている姿に感化され、周りより少し遅れてサッカーを始めることにしました。
サッカーチームに入った鈴木啓太氏(左)
小学校では、選抜チームの清水FCで全国大会準優勝。進学した私立東海大学第一中学校(現・東海大学付属静岡翔洋中等部)でも、全国優勝を経験しました。
はたから見ればエリートコースに見えるかもしれません。しかし、私自身はエリートという言葉とはほど遠い人間です。
これは謙遜でもなんでもなく、実際に幼稚園でサッカーを始めたときも、周りは上手な子供たちばかり。自分も成長していくことで小学校では選抜チームである清水FCに入れましたが、そこにはもっと上手な子供たちがわんさかいました。
そもそも、清水FCの中で目立つ選手はJリーグクラブの下部組織に進むものです。しかし、体も小さく細かった私は、目立った存在でもなく、準優勝したメンバーの一員でしかありません。
その上、サッカーどころの清水においては、優勝以外は2位でも何位でも同じ扱いです。エリートぞろいだった1学年上と比べられ、「お前らはダメだな」と言われ続けてきました。

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