2020/11/27

難聴者にも届く。「超高音質」が実現する音声ビジネスの未来

NewsPicks Brand Design
 「言葉を聞き取りやすくする」という目的に特化し、これまで計6.6億円、現在さらに5億円を資金調達中のハードウェアメーカーがある。

 世界保健機関(WHO)の発表によれば、高齢化やイヤホンの長時間利用によって、聴覚障害に苦しむ人は増加。2050年には全世界で推定9億人に達すると予測されている。

ユニバーサル・サウンドデザインが開発した「comuoon(コミューン)」は、マイクとスピーカーによって、この世界的な社会課題に取り組むデバイスだ。

 開発者であるユニバーサル・サウンドデザイン代表取締役の中石真一路氏に、その仕組みやビジネスの可能性について話を聞いた。

聞き取りやすさを左右したのは「音質」

──comuoonは難聴者にも聞こえやすい音が特徴とのことですが、そもそも難聴の方はなぜ言葉を聞き取りにくいのでしょうか?
中石 耳の穴に指を差し込んでみてください。こもってモヤッとした音ですよね。
 鼓膜の傷や中耳炎など、外耳〜中耳に障害のある伝音難聴者には、音がこんなふうに聞こえています。
 難聴がコミュニケーションを阻害する要因は、言葉の“明瞭度”に関わる高音域を聴く力が弱まることにあります。だから音は聞こえていても、その内容まで認識するのは難しい。
 視覚に置き換えるとわかりやすいのですが、解像度が低くぼやけた文字をいくら拡大してもぼやけたままですよね。それと同じで、明瞭度が低いまま音量をいくら大きくしても、言葉を聞き取りやすくはなりません
 それよりも、音の明瞭度を上げる、つまり音質を良くすることが非常に重要。聞き取りやすい音は、一言で言えば“音質”が良いんです。
──中石さんは元々、Webサイトの構築やコンテンツ開発を手掛けるシステムエンジニアだったそうですね。なぜcomuoonの開発を?
 きっかけは、前職のEMIミュージック・ジャパン(以下、EMI)で、新規事業立ち上げプロジェクトに参加したことです。
 2010年、「音が遠くに届くスピーカー」を研究されていた慶應義塾大学の武藤佳恭(たけふじ・よしやす)教授と出会い、新しいスピーカーを作るための共同研究を始めました。
 当初は武藤先生の技術を、ライブで使うPA(音響機材)へ応用しようと考えていました。ところがあるとき、武藤先生が「このスピーカーの音、難聴の人でも聞こえるんだよ」とおっしゃったんです。
 会社を取り巻く状況が変わり、共同研究はわずか1年でストップしましたが、その直後に起こった東日本大震災で「聴覚障害者はそうでない人と比べて死亡率が2倍」というニュースを目にしたんです。
 音の聞こえの差が、こんなにも大きく生死を左右するのかと衝撃を受けました。
 そこで会社に「個人で研究を続けさせてほしい」と直訴して、NPO法人を立ち上げ、聞き取りやすいスピーカーの研究をスタートしました。
──そのなかで、音質に着目するようになった?
 はい。まずは、難聴者が聞き取りやすい音とそうでない音はどう違うかをリサーチしたところ、ある介護施設に楽器の演奏経験をお持ちの方がいました。
 その方が、聞こえる・聞こえないだけでなく、「高音域がちょっとキンキンするわね」と、初めて音質に言及してくれて、ふと気づいたんです。
 私たちは難聴の人に大声で呼びかけますが、音量よりも音質が重要なのではないか、と。
 その後、全国のメーカーから高精細なマイクやスピーカーを取り寄せてcomuoonの試作機を作り、テストしました。すると数人が「ないほうが聞き取りやすい」と言って補聴器をはずし始めたんです。仮説の正しさを確信した瞬間でした。

「失礼じゃないか」スピーカーを向けて受けたお叱り

──comuoonの音を聞きましたが、たしかに音量は小さくても非常にクリアに聞こえます。いったいどういう仕組みなんでしょうか?
 簡単に言うと、マイクから入った一つひとつの音を細かく分解し、高音域の周波数を細かく出すことで、発声したときの子音にあたる中域から高域の音圧を特に高めているんです。
 スピーカーの入出力の仕組みはアナログです。マイクで捉えた音の振動を電気信号に変換し、スピーカーで再び振動に変えて音を出します。
 多くの場合は、回路設計の段階やソフトウェアで音質を良くしようとするのですが、入口と出口が悪ければ限界があります。
 comuoonは、まず物理的なデバイスに着目したことが強みになっています。
 全国のデバイスメーカーにご協力いただき、特殊な振動板を用いたスピーカーや高級オーディオにしか使われないアンプ、軍事用としても採用されている集音感度に優れたマイクなど、あらゆる部品の最適解を検討し、独自に設計・製造しています。
──中石さんはソフトウェア領域の出身ですよね。ハードウェアを扱う苦労は大きかったのでは?
 開発当初、試作した銀色の四角いスピーカーをとある市役所の窓口で検証したところ、「スピーカーで大きな音を出して話しかけるなんて、失礼じゃないか」とお叱りを受けました。
 機能や利便性だけでは普及しないというのは、ハードウェアを扱って初めての発見でしたね。
 人々が受け入れやすいデザインを、コンパクトでスピーカーに見えないものを、と試行錯誤が続きました。かさみ続ける開発コストに、何度も心が折れかけましたが、最終的に、威圧感を与えない卵型のデザインを採用しました。
 この形状は、心理的な抵抗感を下げるとともに、歪みのない音を出すという意味でも優れているんです。
画像左から順に試作を重ねてブラッシュアップされていったデザイン。一番右のモデルを約17%小型化した現行品で、ようやく発売に至ったという
 2011年に開発と実証実験を始め、発売までに2年かかりました。ゴールが見えない開発中、私たちを奮い立たせてくれたのは、comuoonの製品化を待ち望む人たちの声です。
 例えば、工場の方々と試作機を持って、難聴のお子さんたちを訪問したときのこと。
 お父さんがcomuoonで話しかけたら、娘さんが泣き出してしまった。大慌てのお父さんがどうしたのかと聞くと、「生まれて初めてパパの声を補聴器なしで聞けた」と。
 もう親御さんも私たちも号泣しました。工場のメンバーも「絶対にいいものを作る!」とそれまで以上に奮起してくれましたね。
 ハードウェアは、ある程度のスケールがないと価格を抑えられません。でも、これは間違いなく世の中から必要とされる商品です。「まずは一刻も早く完成させよう。販売努力はこの先できるから」と会社や取引先を説得して、最短で発売に踏み切りました。
ユニバーサル・サウンドデザインのオフィスには、comuoonを使った子どもからの感想の手紙が多数飾られている

人々が難聴者の“痛み”に気づき始めたコロナ禍

──comuoonは今、どういった場所で活用されていますか?
 メインは、難聴者と日常的に接する医療機関や介護施設といったメディカル・福祉領域での導入ですが、騒音下での健聴者のリスニングサポートにも役立っています。
 人が集まる駅のホーム、騒音レベルの高い工場や工事現場、災害時などは、誰もが聞こえにくさを感じるものです。荒れる海の上でも聞こえる漁船用のスピーカーが欲しいというご相談もいただきました。
 特に新型コロナウイルスの感染拡大後はお問い合わせや導入の依頼が格段に増え、対応が追いつかないほどです。
 大きな声や接近を伴うコミュニケーションが憚られる上に、マスクやアクリルパネルといった物理的な障壁も加わって、日常の至るところで“聞こえにくさ”が問題になっています。
 ZoomなどのWeb会議システムの普及も、音質の重要性を再認識する後押しとなりました。
(VisualCommunications/iStock)
──たしかに、対面でもオフラインでも聞き返しや聞き間違いが増えて、コミュニケーションのストレスになっている気がします。
 このコロナ禍は、いわば“一億総難聴者時代”。健聴者はこれまで、難聴者がコミュニケーションにおいて、どんなハンディキャップを抱えているかイメージできていませんでした。
 ところが、コロナによって健聴者の“聞こえ”に対する意識が劇的に変わった
 私たちが先日行った調査でも、マスクやアクリルパネル越しで会話が聞き取りにくいと感じた人、さらに「聞こえたふり」をしたことがある人のいずれも、8割以上に上ることがわかっています。
 また実験結果からは、マスクを着用すると、サ行やハ行といった子音が聞き取りづらくなることがわかりました。
 フェイスシールドとアクリルパネルを設置した場合は、子音の音量は通常の半分程度。もしスーパーやコンビニのレジなど、周りが騒がしい場面なら、軽度難聴者の聞こえと同程度となる可能性が高いのです。
 こうしたコロナによる人々の意識の変化とともに、感染対策の助成金が出ることからも、薬局や介護サービスの現場を中心に、comuoonの導入に拍車がかかっています。

人を泣かせるような仕事をしたい

──今後、さらにcomuoonを普及させるために、必要なことはなんでしょうか。
 1つは、スピーカーサイズのバリエーションを増やすことです。
 雑踏のなかで使うための大型化と、難聴者が持ち運ぶための小型化の要望を多くいただいています。
 特に小型化については、発売当初から外出先でも使いたいという声が多く寄せられていました。今年度中に装着型の「comuoon pocket」を発表できるよう、検証段階に入っています。
持ち運びを実現したポータブルモデル「comuoon mobile」は、スピーカー部にバッテリーとアンプを内蔵した
 2つ目はライセンスアウトです。我々のようなスタートアップが自社だけで普及させようとすると、どうしてもスピードに限界がある。
 comuoonのコア技術「Sonic Brain(ソニックブレイン)※」はさまざまな領域で活用できますから、ライセンスアウトを積極的に進めています。
※超高精細音響によって、音声を脳で認識しやすくする技術。中石氏が九州大学などの大学や医療機関、介護施設と共同で研究し、comuoonに応用されている
──どんな分野でのライセンスアウトが進んでいますか。
 今、導入を進めているのは電話です。自社に大規模なコールセンターを持つ再春館製薬所などと共同研究を進めています。
 日常的な会話でも、聞こえにくさは疲労やストレス、コミュニケーションミスにつながります。今後は、AIを組み合わせたデバイスによる業務の省力化や、耳を守るヒアラブルデバイス開発も考えています。
 若者のヘッドホン難聴も社会問題となっていますが、私自身もEMI時代に、難聴になってしまったアーティストやスタッフを何人も見てきました。音楽を愛する仕事で耳を傷めるなんて、本末転倒です。
 そこで2016年から、国民的なロックバンドGLAYのサポートドラマーであるToshi Nagaiさんと一緒に、聴力の大切さを伝える活動にも取り組んでいます。
 「Save The Ear」と題した耳にやさしいライブを企画したり、音楽関係者や若者の耳を守る「クリアネスイヤホン」を発売したりしています。現在、最新タイプのイヤホンを共同開発中です。
 そもそも、私がITエンジニアからEMIに転職したのは、便利なものを作るだけではなくて、人を泣かせるような仕事がしたかったからです。
 音楽や音響はずっと好きでしたし、アーティストと自分のIT技術を融合させれば、人を感動させる仕事ができるのでは、と考えたんです。
 少し形は違いますが、当時の思いが今、まさに実現しつつあると実感しています。
 “聞こえ”の問題で困っている方や、つらい思いをしている方は世界中にいます。声が伝わる喜びを、もっと多くの方に味わってもらいたい。
 だからこそ、このビジネスをさらにスケールさせるのが私の使命だと思っています。