ハリー・スタイルズ、VOGUE創刊初の男性単独表紙でドレスやスカート姿を披露。「制限するのは、自分自身」
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注目のコメント
ハリー・スタイルズはグッチのミケーレと出会って、本来持っていた彼独特の感性が解放されていったという印象です。
パール、ドレス、「タッキー」(野暮なのが素敵)、こうした要素を社会的な色眼鏡なしに着こなせる感性が彼の中にあって、それらと響き合っているからこそOKになっている。
こういう要素と響き合う感性が、そもそもない人は、男であれ女であれ、着たってサマにならないものです。ドレスがしっくりこないという女性もいる。スーツがしっくりこないという男性がいるのと同じように。
本当の意味での、個人の多様性に目を向けさせているという意味で、ミケーレやスタイルズの挑戦(というほど力んでいないのがまたいいですが)を評価したい。「男らしい」格好、「女らしい」格好ってそもそもなんだろうと思うようになりました。そんな中、ハリースタイルズが所謂「男女」の枠を超えて、色々なレッドカーペットのイベントで自由にファッションスタイルを楽しんでいてかっこいいな、と思います。
こういった感性が定着するとメンズファッションは更に面白くなりますね。
定着することにより、ミリタリーやワークといった男臭いファッションも逆注目されることになるので、多様性や個性の発揮がより活発になると思っています。
今の西洋流のファッションは歴史もあり、欧米では男性が女性っぽい格好をするのは日本以上にギョッとされます。ピンクを着ただけで”men in pink”というまるで新しい価値観のような言葉すら生まれます。
そういう意味ではハリー氏の装いはある意味勇気の象徴としても捉えられており、ファッションにおいて自己表現をするということを改めて考えさせられるのではないでしょうか。
個人的には記事にもあるアクセサリーからジェンダーの壁が消えていくと思っています。
男性がパールのアクセサリーをつけ始めたのと同時に、女性のアクセサリーデザインの幅が男性物とは比べ物にならないほど豊富に存在するという事実を改めて認識しました。
特に個人的に気になるのは、曲線の多さです。モチーフに意味を持たせようとする男性アクセサリー文化と違い、感覚的な美しさを大事にする女性の物のアクセサリーは、見ていてとても楽しいなと感じています。