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それと、男女平等がより進んでいる中国ではもう一つ、両親と一緒に住んで引退した親が子供の面倒を見るというスタイルも有効です。
このスタイルは年配の両親も寂しくないし、子供も寂しくないし、経済的にも合理的なのですが、今の日本では価値観として否定されてしまっており、女性の社会進出の妨げになっている気がします。
結局、社会における役割分担を、どういう形で切り分けるかが問われてますね。
生物学的な性差や老化は存在してしまっているので、ただ単に平等を唱えるのではなく、結果として平等になるように役割分担ができると良いと思います。
https://academic.oup.com/qje/article/130/2/571/2330321
ノルウェーでも、女性を労働市場にプッシュするだけではだめで、男性を家庭内労働にプルする政策が必要なことは充分認識されており、男性の育休クオータ制度などはその例で、現在15週間のパパクオータは父親しか取れない期間となっています(取得率は70パーセント)。
結局自分はシングルファザーになったんだけど、シングルマザーと同じ立場になったわけで、この記事にある家事の分担などの問題に向き合っている稀有な男性だと思う。
家事育児なく働いていたら、キャリアアップはできていたか、という意味では、そうだったかもしれない。
でも子育てもあったからこそ、教育とスポーツコーチングと合わせて、人の成長に携わる軸ができた気もするので結果オーライと思いたい。
まあ、自分は結構いいパートナーかもしれんな。
・日本の男女格差を解決する方法を尋ねた質問への回答は「男女の平等な家事分担を推進する」が53%とトップ
・女性の仕事の機会を妨げているものとして「家庭内でサポートが足りない」の44%が、「組織内でサポートが足りない」の24%を倍近く上回る
→私は子供もいないし、夫も理解があって家事も分担してくれています。「仕事に集中する」という意味では、なんて恵まれた環境だったのかと改めて思いました。
D&I活動のリードをしていても、決して自分が全女性の意見を代弁しているとは思っていませんが、Working motherの皆さんの苦労がここまでだったとは想像出来ていなかったです。
・年齢層に大きな偏りなく、約半数が「個人的な相談をインターネットに投稿するのは抵抗がある」。理由は「プライバシーの懸念」や「嫌がらせ」
→インターネット上でもそうですし、実社会でもそうなんですけど、当事者でもないのに「我慢が足りない」だの「それはおかしい」だの、他者をジャッジしたり否定したりする人がなんて多いんだろう、と思います。
親だろうと夫婦だろうと、他人なので、他人の心を慮ることは出来ても「わかる」ことは不可能じゃないですか。
特にGender系の話だと、当事者でもない男性が「性差のせいにするのはおかしい」とか言ってみたり、お子さんがいない女性が「子どもがいる人ばかり優遇されている」と非難してみたり、と色々ありますが、それも不思議だな、と思ってしまいます。
私は男性ではないので、男性の苦労を想像や慮ることは出来ても、分からないので、そこにジャッジもしなければ否定も出来ないです。
1人ひとり、他人は言えない悩みがあって、どんなに完璧そうな人でも色んな傷を抱えているのに、無責任に人を傷付ける人が多すぎるし、傷付けたことへの責任を問わない(誰かのミスには厳しいくせに)、この歪んだ文化は何なんだろう、と誹謗中傷系の問題などを見ていても最近特に思います。
1人ひとり違うから、それを尊重する。
他人をジャッジしたり、否定する権利もないし、する必要もない。
する時は、自分がその結果の責任を持つ覚悟がある時だけ。
そんな単純なことじゃないのかなぁ。
https://jp.weforum.org/agenda/2020/10/koronauirusu-niyorisarani-rareru-nojenda-wonakusutamenoakushon/
もっとお手伝いさんが普通になるなど家事の外部化が自由にできると言う選択肢が欲しいものだといつも思います。
正直なところ結婚していて今は一人である立場から見ると、今の働き方が夫がいてできるとは思わないのですよ。一人で身軽だから動ける。家事も一人分なのでそこまでは大変じゃない。
2人になった瞬間に、家事とそれで出てくる制約って5倍くらいな感覚になるし、お子さんがいたらもう大変。周りのお母さんたちはみんなホントに身を削ってると思って見ています。
家事できなそう?うん!全くしないけど家事代行とかでライフハックするのすごく得意だよ!とよく答えますが、だいたいの男性は引きますもんね。
女性の昇進を妨げる要因が実は家庭内不平等にあったという、ある意味、多くが感じていたことがアンケートとはいえ、数値で示されたことには価値を感じる。
にもかかわらず、これまでコメントを差し控えてきた理由は、わざわざ私が書かなくても、「だから男性との家事分担とそれを可能にする会社と社会の制度の更なる推進を」というコメントを寄せる人がたくさんいるだろうから。さらにいえば、わざわざ書くには、ちょっと違和感があったからだ。そしてそれを書くことによる反論も大いに予想されたからだ。
違和感のひとつは、全体に、家事と育児を、辛い過重労働ととらえているように感じられる点だ。
そうだろうか?
私は仕事が好きだが、子育ても好きだった。料理も好きだ。保護者会の仕事も嫌いじゃない。
少なくとも、子供が10歳ぐらいになるまでのあの至福の時間は何者にも替えがたかった。その子育ての主導権を夫に渡すなんて!! それこそ女性の既得権!?((^.^)
もちろんお迎えとか重要な会議の日の発熱など、物理的に困ることもある。それらは、信頼できる会社と人を時間をかけて厳選した上で、長年同じシッターさんにお願いしてきた。
家事で嫌いな掃除は、家事代行サービス、これも長年同じチームに依頼してきた(もちろん夫の分担もそれぞれ一部あった)。
収入があるからできることと言われそうだが、シッターさんと家事代行の料金は、まだ小さかったディスカヴァーからとっていた僅かな給料の大半が消えるものだった。
でも、その状態は、永遠に続くものではない。
(幸い、コロナで、リモートワークが広がり、子育て中一番の障害だった夜の付き合い、接待は消滅しつつある)
だから家庭内ジェンダーギャップが今のままでいいと言いたいわけではない。
ただ、子育てを押し付け合うのではなく、奪い合うものだぐらいに思う見方もあるなと。
さらには、家庭内で行えば無料になる育児家事の一部は外注することによって、社会全体としてお金を回す。
そして、そもそも人生とは何か? なんのために生きているのか? 何を幸福だと感じるのか? 私自身はこれまでを振り返っているときである。
特に育児に関しては誰か1人が担当すればいいわけではなくチーム編成が大事なので、妻vs夫ではなく、両親、義両親、保育士、ベビーシッターなども含めていかに外部のリソースも使いながらチームを編成するかという認識が必要だと思います。
子供の学校から電話があれば、やっていることを即終わらせて駆け付けなければならない。夫と調整してやっていましたが、彼が出張が多かったので、私が担うことが圧倒的に多く、私はほとんど出張ができませんでした。
また、子供の学校スケジュールや精神的サポート、送り迎え、家事や修繕の外注先探し・業者管理・・など、「管理・経営」はなんとなく私が担当していました。これが結構、メンタル的にヘビー。
名前のある家事は分業できていましたが、こうした部分は難しい。ヒラリー・クリントンが国務長官だったときの右腕だったアンマリー・スローターさんも、夫の協力は大いに得られていたのに、結局これらの部分で、子供がティーンのときに、それほどの高い地位を手放さざるをえなかったとお話されていました。とてもよく理解できます。
自分の意思で家事育児に比重を置いた道を選ぶのならばそれでいい。
でも見えない鎖で縛られて何かを諦めているのならその壁や鎖は取り払いたい。
わたしは運良く仕事と子育て両立して続けてこられたけれど、確かにいろんな壁がありました。人が助けてくれたことも、お金で解決したことも、自力で乗り越えたことも、夫の理解も、娘の理解もいろいろあって今です。
古い話ですが、娘が保育園時代、仕事の会食に行きたいと言ったら夫にダメだと怒られて、母親だろ、子供を犠牲にしてまでやることか?と。後輩にお願いして変わってもらいましたが、夫は毎日遅いし飲み会にも許可なんて貰わず行く。なぜこの一回がダメなのかと納得できず、でも話し合えずに諦めました。毎日保育園の送迎もし、食事も作り家事もしているのに、仕事の会食一つままならないのかと悲しい思いをしたことを覚えています。
そうなんです、20年経ってもこの悲しみ、不条理をを覚えているんですよ。世の中のお父様方お気をつけください。
そんな夫も今では夕食 ゴミ出し 洗濯 いろいろ やってます。
それぞれのこうありたいという姿を共有できるような社会でありたいですね。
何事も一歩から。一つ一つ。