学術

2020年10月27日

【著者に聞く】和田俊憲教授 刑法学者が語る鉄道

 実際に起きた鉄道関連の刑事事件をもとに刑法について論じた異色の1冊『鉄道と刑法のはなし』。著者は刑法が専門の和田俊憲教授(東大法学政治学研究科)だ。記事では執筆に至った経緯や、鉄道網が衰退する昨今、鉄道と刑法というテーマがどのように変化するのかなどについて和田教授の考えを聞いた。

(取材・中村潤)

『鉄道と刑法のはなし』、和田俊憲著、NHK出版、2013年

 

━━本書は、他大学で「鉄道と刑法」というテーマで実施した演習の授業が基になっているとのことですが、実施に至った経緯は

 

 もともと、日本の裁判所の判例データベースに鉄道と関係のあるキーワードを入れて検索し、鉄道関連の刑事事件を集めていました。それらが蓄積されて400件近くに達したため、体系化してみたのです。すると刑法上重要なポイントが多数含まれていることが分かり、鉄道関連の刑事事件だけで授業が十分成り立つと思いました。

 

 刑法の論点を満遍なくカバーできるわけではありません。しかし、論点が絞られた具体的な事例について犯罪が成立するかどうか検討する授業を実施する分には問題ありませんでした。

 

━━学生からの反応は

 

 法学の授業は論点を抽象化して議論することが多く、事例といっても具体的な場所などが問題になることは多くありません。しかし、路線や日時が明らかになっている鉄道事件を扱うことで、事例の具体性が格段に高くなり、具体的なイメージをもって楽しく学べたという声が聞かれました。履修者の中で、いわゆる鉄道ファンは多くなく、ほとんどが楽しそうだから、という理由で履修したようなのですが、その通り楽しんで参加してくれましたね。

 

━━授業内容を1冊の本としてまとめる際の苦労は

 

 新書という形で社会に出すことで、必ずしも鉄道や刑法に興味のない読者や、鉄道に対してプラスの感情を持たない読者との接点も生まれます。刊行された2013年当時は、JR北海道の不祥事が話題になっていたということもあり、どこまで鉄道というものを肯定的に書くかという点には少し注意しました。

 

━━そもそも、鉄道と刑法を並べて論じる意義は

 

 私個人が鉄道と刑法が好きというだけで、必然的な意義はないのかもしれませんが、両者が似ている部分はあると思います。例えば鉄道は2本のレールが平行に並び、決められたダイヤにのっとって列車が走ります。レールのない場所には進めませんし、ダイヤを無視して列車を運行することもできません。鉄道事業者はこれらの制約の中で列車を運行する必要があります。

 

 一方で刑法は条文に明示された処罰のみが可能で、条文の適用外の行為はそもそも犯罪になりません。犯罪を構成する行為と刑罰は事前に法律で定めなければならないという要請から、柔軟な解釈によって処罰範囲を条文の外側に広げていくことも禁止されています。刑法は条文の言葉の意味の限界の中で解釈論を頑張らなければなりません。

 

 このように両者は厳格に限界が決まっている中での運用を強いられる点が似ていると思うのです。さらに、鉄道も刑法も限界があるからこそ逆に奥が深いものになると考えています。こじつけだと言われたらそれまでですが。

 

━━執筆の中で気付いたことは

 

 意識していたわけではないのですが、明治時代以降の事件を幅広く扱った結果、鉄道の歴史を振り返る要素が強くなりました。鉄道は場所と強く結び付くため、鉄道自体が消えても、場所があり続ける限り、その存在を想像することができるという魅力があります。事件から過去の鉄道を振り返りやすいのも、こうした魅力があるからだと思いますね。

 

━━近年、鉄道網は縮小傾向にありますが、鉄道と刑法というテーマはどのように変化するのでしょうか

 

 鉄道路線が減ることで、鉄道に関係した事件は当然減少するでしょうし、刑事事件における鉄道の存在感も薄くなるでしょう。犯罪が減ること自体は望ましいことです。一方で鉄道路線がゼロにならない限り、今後も鉄道の側から刑法へ新たな話題は提供され続けると思います。

 

 例えば今年、自動改札機を使ったいわゆる「キセル乗車」に無罪判決が出ました。改札業務の自動化に伴い、刑法上議論されてこなかった論点が新たに問題になり始めているのです。技術の変化に伴って、幸か不幸か、今後も鉄道に関連した興味深い事件は起こり続けるでしょう。

 

 加えて、今後存在感が薄くなっても、かつて重要な公共交通機関として、さまざまな議論を提供してきたという歴史は残ります。その意味で、鉄道と刑法というテーマは不滅だと強く思いますね。

鉄道網は縮小傾向にある。写真は2019年に廃止された太平洋石炭販売輸送臨港線(写真は和田教授提供)

 

━━新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行との関連で注目していることは

 

 COVID-19の影響で利用者が減り、鉄道事業者は苦しい状況に追い込まれていると思います。心なしか、自宅から聞こえる鉄道車両の走行音も、乗客が減って軽くなった気がしました。苦しい状況でも走り続けてほしいのはやまやまですが、個人として支えることには限界があります。私は、地図や時刻表を見てあたかも乗車しているかのように想像することにも楽しみを見いだしているので、廃線になってしまったら、心の中を走り続ける鉄道で満足しようという気持ちでいます。

 

 刑法との関連では、COVID-19が鉄道に関して新たな題材を提供する可能性があるのではないかと注目しています。

 

 例えば、鉄道営業法とそれを受けた伝染病患者鉄道乗車規程では、伝染病患者を乗車させる際は事前に申告して貸切車両に乗せなければならず、違反した場合の刑罰として2万円以下の罰金または科料が定められています。鉄道が長距離移動の中心だった明治時代に作られたものですが、COVID-19の流行で、今まで存在感がなかったこうした規程がどのような意味を持つことになるのか、気になります。

 

━━今後の展望は

 

 本書を刊行したところ、これまで鉄道趣味を隠してきた人が多かったのか、多くの方々から「実は私も鉄道が好きで…」という話を聞くようになりました。また、鉄道関連の事件があると、ありがたいことに話を振られることが多くなりました。今後は興味の対象をさらに広げながら、鉄道関連の事件だけで刑法全体を学習できる教科書を執筆することが目標です。

 

 加えて、鉄道でなくても、刑法でなくても、何か特定の観点から法学を楽しく学べる書籍が増えてほしいですね。もっとも、鉄道と刑法以上に相性の良い組み合わせはないと考えていますが。

 

 何事も楽しくなければ身に付かないので、学生のみなさんが、鉄道を一つのきっかけとして、物事を楽しく学べるようになれたらうれしいです。

 

和田 俊憲(わだ・としのり)教授(東京大学法学政治学研究科)  98年東大法学部卒。学士(法学)。北海道大学助教授(当時)、慶應義塾大学教授などを経て20年より現職。時刻表検定1級。好きな路線は五能線。

この記事は2020年9月29日発行号と2020年10月13日発行号に掲載された記事を再編集したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を掲載しています。

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