いま、移動や社会のあり方が変わろうとしている。ICTによってシームレスな繋がりを目指す「Mobility as a Service(サービスとしてのモビリティ)」という大きな概念が掲げられ、移動や物流だけにとどまらず社会のあり方まで波及する。新時代のMaaSビジネスとは、モビリティと都市の変化とは。

本連載では書籍『Beyond MaaS 日本から始まる新モビリティ革命─移動と都市の未来─』から全4回にわたってエッセンスを紹介する。

前作『MaaS モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ』はこちら

診察効率アップ、「動く診療所」実現まで

超高齢社会が到来した日本において、高齢者の移動、とりわけかかりつけの医療機関への通院や介護センターへの送迎サービスをどのように確保していくかは重要な課題となる。
注目すべきは、高齢者への移動の負担が少ないドアtoドアかつオンデマンドのモビリティサービスになるだろう。
ヘルスケア領域の料金の一部をモビリティサービスの料金に充当する、あるいは病院経営の効率化によるコスト削減や、膨張する医療費の削減といった別軸の狙いを持つことで、過疎地などでも新たなモビリティサービスを導入しやすくなる期待がある。
もちろん、医療機関によっては遠方からの通院もあり得るので、こうした医療×モビリティサービスの取り組みも、いずれは複数の交通モードを組み合わせたMaaSに近づいていくことになるだろう。
医療×モビリティサービスの先行事例としては、米ウーバー・テクノロジーズが分かりやすい。
同社は、緊急性の高くない患者を病院まで運ぶサービス「Uber Health」を18年3月より展開している。
病院やリハビリセンター、高齢者介護施設、理学療法センターなどがウーバーと提携し、米国の個人医療データである「電子健康記録(EHR)」とウーバーの配車システムを接続。患者が診察予約を入れると、提携医療機関がウーバーの配車サービスを手配する仕組みだ。
これにより医療機関は、交通が不便だったことで通院頻度が下がっていた患者を適切なタイミングで病院に迎えられるようになる。
事前予約でかつ到着時間が守られるため、診察を予定通り行える上、これまで以上に多くの患者を診ることも可能になる。
キャンセル率の削減を含めて、効率的な病院経営、収益アップに寄与するだろう。
また、病院へのアクセスが圧倒的に改善されるため、患者のロイヤリティ向上にも役立つ。
ウーバーにとっても、これまで顕在化していなかった移動ニーズを掘り起こすことにつながり、通院客という〝固定層〞を捉えることは収益のベースアップになる。

人とサービス、両方の移動でヘルスケアを充実

こうした医療機関の予約連携を含めた「ヘルスケアモビリティ構想」を19年4月に日本で打ち出したのが、医療機器大手のフィリップス・ジャパンだ。
同社はモネ・テクノロジーズと組み、「人の移動」と「サービスの移動」という大きく2つの軸での事業化を目指している。
まず、「人の移動」では、ウーバーと同様に病院やクリニックなどと患者宅をオンデマンド型乗り合いサービスでつなぐことを想定している。
例えば、MRI(磁気共鳴画像診断装置)やCT(コンピュータ断層撮影装置)といった大きな初期投資が必要な機器を導入している病院にとっては、稼働率の向上が課題だ。
これらを利用する患者に絞ってモビリティサービスを提供することで稼働率が上がれば、病院の収益性が高まる可能性もある。それを原資の一部にして、乗り合いサービスを展開しようというわけだ。
一方、「サービスの移動」で想定されるのは、病院が不足している地域で患者宅を訪問し、遠隔・対面診断をする移動クリニックや、高齢者への外出機会の提供を含む介護サービスの展開だ。
そして、フィリップスが得意とする口腔(こうくう)・睡眠・栄養・運動ケアサービスをモビリティに載せ、適時適所に配車することも検討されている。
ヘルスケアモビリティの第一弾として、フィリップスとモネ・テクノロジーズは19年12月12日から2020年3月31日まで、長野県伊那市を舞台にオンライン診療などが可能な専用車の実証実験を行った。
トヨタ自動車のハイエースをベースに開発した専用車は後席空間を大胆に改造しており、オンライン診療に用いるディスプレーや簡易ベッド、血圧・血糖値測定器、自動体外式除細動器(AED)などに加え、車椅子のリフトも備えた。
実証実験では、この専用車に看護師とドライバーが乗り、患者の自宅を訪問する。
車両内のディスプレーを通じて地元の開業医がオンライン診療を行い、医師の指示に従って看護師が必要な検査などを行った。
これまで医師が行っていた訪問診療をオンラインで置き換えて効率化し、患者にとってはクリニックまで移動する手間を省けるというわけだ。
サービスの流れとしては、患者が病院に診察予約を入れると、病院スタッフがヘルスケアモビリティを手配する仕組みだ。
実証実験はトヨタ・モビリティ基金の助成を受けて行われ、患者は無料でサービスを受けることができた。
また、インターネットイニシアティブの情報共有クラウドシステムを活用し、車内に設置したPCから患者の診察履歴を閲覧したり、訪問記録を入力・管理することもできた。
実証実験が終了した後にも、提供エリアの多様化、幅広い診療領域のカバー、得られたヘルスケアデータを健康に暮らせるまちづくりのために利活用することなども検討されている。
このような医療分野とモビリティを結びつけた「ヘルスケアMaaS」の創出を目指す研究拠点も、今後立ち上がる予定だ。

産学官の連携でよりきめ細やかな施策も

武田薬品工業のオープンイノベーション拠点「湘南ヘルスイノベーションパーク」と横浜国立大学が連携し、同施設に開設する「YNUイノベーションハブ・ヘルス(仮称)」だ。
ここをベースに産学官の連携を進め、ヘルスケア分野の新たなビジネスやスタートアップ、プロジェクトの創出を目指すという。
医療機関への送迎サービスを充実させるとともに、病院機能自体に移動性が担保されていくと、主要駅周辺を核とするコンパクトシティだけではなく、居住エリアをある程度分散させたような地域構造も実現できる可能性があるだろう。
また、モビリティとの融合でよりきめ細かく医療・ヘルスケアサービスを提供できるようになれば、健康寿命を増進することにもつながるはずだ。
今後の自治体の都市計画、および医療費の削減や地域住民のQOL向上に資する話であり、行政にとっても注視するべき市場だ。
介護分野でもモビリティサービスとの新たな融合事例が生まれている。舞台は、群馬県太田市にある「太田デイトレセンター」(運営はエムダブルエス日高)だ。
同所は高齢者を昼間の時間帯に一時的に預かるデイサービス施設で、延べ床面積4056m²と全国有数の広さを誇る。
施設の屋内には100mの歩行レーンやトレーニング機器を備える他、料理教室や陶芸、くもん学習療法などのリハビリ教室が充実。
太田市を中心に遠方からも多くの高齢者が押し寄せ、1日当たり実に200人を超える。
こうした通所介護(地域密着型・認知症対応型含む)を行う施設は、事業者の主たる収益である介護報酬の中に送迎行為が含まれており、通所者の自宅から施設までの送迎サービスを展開している。
太田デイトレセンターの場合は、車椅子リフト付きのワンボックスカーなど、38台の介護送迎車両を保有している。
エリア各地から通所する高齢者を効率的に送迎するため、独自の送迎配車システム「福祉Mover」を開発し、運用してきた。
こうした充実した送迎インフラをベースに展開しているのが、車両の空席部分や朝夕の送迎ピーク時間以外をうまく活用した高齢者の外出支援サービスだ。
デイトレセンターから半径5km圏内を対象にしたオンデマンド型乗り合いサービスで、買い物や外食、病院に出掛けるなど、センターに通所しない日の移動をサポートしている。
エムダブルエス日高にとっては、送迎インフラをそのまま効率的に使うということであり、施設利用者にとっては積極的に外出する〝足〞を得ることでリハビリにもなる。
リアルタイムの配車システムは、未来シェアの「SAVS(スマート・アクセス・ビークル・サービス)」とAPI連携することで実現した。
利用者は、スマートフォンのアプリで病院や市役所、スーパー、子供の家など、よく行く場所を5カ所登録できる。
出掛ける際は、アプリで行き先や利用人数(通常座席1人、車椅子1人など)を指定するだけで、近くを走るデイサービスの送迎車両が〝寄り道〞をしてピックアップ、目的地まで送り届けてくれる。
2019年5月時点では無料サービスだが、もともとの送迎サービスプラスアルファの仕組みなのでタクシーより安い料金設定を実現しやすく、そうなれば多くの需要が見込める。
また、最初に設定する5つの行き先のうち、商業施設をデフォルトの設定にすることで広告収入を得るモデルも考えられるだろう。
こうしたオンデマンド型乗り合いサービスは現状、エムダブルエス日高が直接手がけると「白タク」行為とみなされかねないが、このモデルでは旅行業の免許を持つ一般社団法人ソーシャルアクション機構が事業主体となり、それを回避している。
具体的には、ソーシャルアクション機構がエムダブルエス日高などの登録デイサービス事業者に対し、送迎車両を使った乗り合いサービスの提供を条件にして福祉Moverなどのシステムを貸し出す。
そして乗り合いサービスの利用者が支払う料金は、マッチング手数料としてソーシャルアクション機構が得る。
この仕組みを生かし、太田デイトレセンターだけで運用するのではなく、地域ごとに複数のデイサービス事業者をまとめると、送迎車両の空席活用が最大化でき、マッチングの効率も上がる。
当然、エムダブルエス日高もそれを狙っており、〝太田デイトレモデル〞を全国に横展開するとしている。
デイサービスは全国で4万3000施設を超え、路線バスが撤退したり、タクシーが少なかったりする交通空白地帯でもほぼ確実に介護送迎サービスは存在する。
また、このサービスの利用対象者は「要支援・要介護認定者」に絞られており、福祉車両や介助などの専門ノウハウが求められるため、地域のタクシー会社などとの〝競合〞を避けて共存できる。高齢者の足を確保するソリューションとしては有望だろう。

高齢化に対処する「一大産業」に

以上のように、高齢化の進む日本では医療・介護分野の課題解決が重要であり、それをモビリティサービスと組み合わせて社会インフラをつくり替えていくことで、一大産業が生まれる可能性がある。
駅やビルに当たり前のように設置されているエスカレーターも、当初は福祉的な扱いで導入されていた。
それが、今では誰もが使う〝移動ツール〞になり、エスカレーターの製造や保守運用は1つの産業化している。
このようにユーザーに優しいサービスは特定のユーザー向けを入り口にして、将来的には誰でも使いたくなるサービスとなり得る。
医療・介護分野で始まったモビリティ連携の取り組みについても、社会課題解決から一般化・汎用化の道を歩むことで、大きなイノベーション創出が期待される。
※本連載は今回が最終回です
(バナーデザイン:小鈴キリカ)
本連載は書籍『Beyond MaaS 日本から始まる新モビリティ革命─移動と都市の未来─』(日高洋祐、牧村和彦、井上岳一、井上佳三〔著〕、日経BP)を一部編集したものである