ミスコンは「悪」なのか ミス東大候補の不信表明から考える(By のろし)
policy(ポリシー)
6Picks
コメント
注目のコメント
容姿は全能である事が容姿を競う事の虚しさを生みます。ショービジネスの世界はもちろん、結果が全てのビジネスであってもスポーツであっても人が人を判断する要素が少しでも入り込んでいれば、参入、あるいな見方をつけると言う重要な場面で容姿は有利に働く。このどうしようもない厳然たる事実を人は皆認めたくないが、一方で自身の嗜好を含めていみじくも受け入れざるを得ない事が、本能的にミスコンを嫌うのでしょう。
短い記事ですが例がとても印象的で心に響きました。
ミスコンの是非について、のど自慢大会を例に考えてみる。
自分の歌唱力に自信のある人達が大会に応募し、その優劣を競う。これにおいてその人の全てが判断されることはない。あくまでのど自慢大会は、歌の上手さを評価する目的の大会。それ以上でも以下でもない。
わたしたちは無意識にミスコンでその人の人格まで言及している。その起源には可愛い女優がテレビに出て人気を博すこともあるような気がします。当たり前に存在してしまっている環境が創り出している信仰。しかしこの「ルッキズム」は明らかに間違った信仰だと確信させられました。
同様に「学歴至上主義」もそうだと感じます。学歴だけを見て採用不採用を決める、恋愛対象内か外かを決める、人柄を判断する。恐ろしい信仰だと感じます。