目指すべき都市の姿「マルチモビリティシティ」とは【最終回】

2020/11/2
これまで、世界中で高速鉄道や飛行機など〈大きい交通〉による大量輸送の整備がされてきた。それが成熟したいま、現代都市の課題を解決するうえで注目を集めるのが個人単位で移動できる〈小さい交通〉だ。そしてこの動きは、コロナ禍を受け加速している。

本連載では書籍『〈小さい交通〉が都市を変える:マルチ・モビリティ・シティをめざして』から全4回に渡ってエッセンスを紹介。いま小型でパーソナルな移動に注目が集まる背景を紐解いていく。

マルチ・モビリティ・シティとは

現代の都市は、先進国でも発展途上国でも、大都市でも中小都市でも〈大きい交通〉が幅をきかせている。
多くの都市や地区、そして、特に交通弱者と呼ばれる子供、身障者、高齢者の移動の選択肢を狭め、時にはそれを奪っている。
そこで公共交通と徒歩交通と自動車交通に続く第4の交通として〈小さい交通〉を加え、多様な交通モードを組み合わせて選択することで、市民の移動の自由を高めることが必要だと考える。
多様な交通手段を誰もが利用できる都市をマルチ・モビリティ・シティ(MMC)と呼ぶことにしよう。
MMCは20世紀の後半に、世界の都市デザインの思潮の主流となった公共交通+徒歩+自動車を進化させたものである。
20世紀の計画者たちは、自動車の横暴を抑えるために公共交通と徒歩を称揚した。
しかし、問題は公共交通であっても〈大きい交通〉としての性格を追求すれば、地域に必ずしも恩恵をもたらさないことがわかってきた。
また、歩行の良さはあるにしても、歩行できる範囲は限られており、歩行だけを強調しすぎると、現実の都市では自動車が走り回る「海」のなかに浮かぶ「島」を作るだけになる。
自動車を利用できない人は、島から出られないか、そもそも島に辿り着けない。
「公共交通+徒歩+自動車」では、買物難民問題は解けないのである。
〈小さい交通〉は、既存の交通手段の不足を補い、都市における移動の選択肢を増やすうえで重要な役割を担う。
MMCは、以下に掲げる8項目の要件を備えた都市である。

①誰もが自由に動き回れる都市

民主主義の国に暮らす市民は、誰もが移動の自由を享受する権利をもっている。
都市計画には、障害者も高齢者も子供も皆、その能力を最大限発揮して動き回れるように環境を整える義務がある。
自分の意志と力で移動できないことほど意気沮喪することはない。
人は移動できることで、選択の自由を満喫でき、誇りをもつことができ、自分で自分を守ることができる。
21世紀の都市は、世界中で高齢化社会が中心になる。高齢化社会とは、ご隠居さんが多い都市ではなく、高齢者も能力に応じて働く社会である。
人口減少社会では、高齢者も女性も今以上に稼がないと豊かな生活を維持できない。だから、高齢化社会になっても人々の移動量は減らない。
タイムシェアリングを含む多様な労働形態、男女が平等に育児や家事を分担することなどが求められ、必然的にきめ細かくかつ機動的な交通が強く求められる。
それゆえ、MMCは〈小さい交通〉を第4の交通として位置づける。

②動く楽しさを満喫できる都市

20世紀の交通技術は、単純化すれば、人が動かなくてすむことを目標にしてきたが、これは確実に人間の身体能力を退化させる。
高齢者の健康管理の目標は健康寿命を長くすることである。20世紀型の技術に依存しすぎると、健康寿命を短くしてしまう。
今日、ジョギングや水泳などをする人が増え、ピクニックや日曜農業の愛好家が増えている。
MMCは、身体を動かすことが楽しく、自然に体を使うような方向を目指すだろう。走ったり、飛んだり、ぐるぐる回ったり、初夏の風をうけて自転車に乗ったり、夏の海を泳いだり、紅葉を求めて秋の高原を歩くなど、体を動かすことは、それ自体が楽しく創造的で、人生への確信を新たにしてくれる。

③環境都市

21世紀の都市は、それぞれの能力の範囲内で地球環境の維持に貢献する必要があることは言うまでもない。
二酸化炭素排出の規制は厳しくなり、再生エネルギーの利用は普通のことになるが、何よりも、エネルギーそのものを使わない生活が称揚されるだろう。
MMCでは、自動車に乗る生活で弱った筋肉をジムに通って強化するようなライフスタイルはカッコいいことだとは考えられない。

④都市の交通空間の再分配

20世紀の都市は自動車が都市の公共空間を使いすぎ、歩行者や自転車を残りの狭い空間に押しやっていた。そして少数派の車椅子を事実上排除していた。
〈小さい交通〉に正当な地位を与えるためには、都市の公共空間のなかで、自動車などの〈大きい交通〉にもう少し遠慮してもらい、歩行者交通と〈小さい交通〉のための空間を広く確保しなければならない。
MMCの建設のために最初にすべきことは、現況の道路など都市の交通空間の再分配である。

⑤フラットな都市からモザイク都市へ

20世紀、特に第二次世界戦後は出生率も高く、子供や青年人口が壮年や高齢者より多いという人口構造が長く続いた。
高齢者や障害者は弱者として少数派を占めるにすぎなかった。それゆえ、バリアフリーのように、強者から弱者を思いやる視線が含まれ、同時に、理念的には標準的な人間がどこにでも行けるという完全にフラットな都市空間を理想とした。
21世紀の中ごろには日本では人口の40%が高齢者になり、市民の身体能力の多様性が拡大する。
今までのように、成年を「標準」として、その他の人を弱者とみる見方が成り立たなくなり、どの身体能力グループが標準ということも言えなくなる。
また、車椅子だけではなく、いろいろな補助具をつけて街に出る人も増え、場合によっては優れた補助具をつけることで、「健常者」より能力の高い障害者も現れるだろう。
もはや完全にフラットな都市などあり得なくなるだろう。MMCはモザイク状になるだろう。

⑥大きい交通と小さい交通の接続

自由に動ける都市を作るために肝心なことは、〈大きい交通〉と〈小さい交通〉を滑らかに接続することである。
自転車や電動スクーターなどを、バスや鉄道やタクシーに載せられれば、2つを組み合わせていろいろなところに行ける。
バス停に自転車置き場があれば、自転車で遠い鉄道駅までは行けない人でもバスと組み合わせて簡単に行くことができるようになる。
〈大きい交通〉と〈小さい交通〉が接続すれば、移動の選択肢は驚異的に増え、人々の移動の自由は拡大する。

⑦乗り物を共有できる都市

いろいろな人が行き来する都市では、すべての乗り物を私有するのは合理的とは言えない。むしろ、共有できる乗り物が多様にあるほうが便利である。
荷物が多いとき、同行者が多いとき、ひとりで急いでいるとき、雨や寒い風が吹いているとき、ゆっくり景色を見て動きたいとき、地理が不案内な土地を旅するときなど、毎回違う移動の目的と状況にそれぞれ適った乗り物をすべて自分で用意することはできない。
共有することでそれが可能になるだけでなく、人々の移動の自由度が増し、道路空間と私有の乗り物を保管する空間を減らすことができる。

⑧小さい流れのための都市基盤

身体の不自由な高齢者が増え、人口減少で買物難民が増えることは確実である。
その数は膨大で対象地区も広いから、それに合わせて施設を整備したり、都市構造を変えることで問題を解決することはできない。
今後は、IT技術の活用などと同時に、御用聞き、宅配サービス、訪問診療、見回り、などの重要性が増す。
〈小さい交通〉は、こうした〈小さい流れ〉を可能にする都市基盤(インフラストラクチャー)となる。
※本連載は今回が最終回です
(バナーデザイン:小鈴キリカ)
本記事は書籍『〈小さい交通〉が都市を変える:マルチ・モビリティ・シティをめざして』(大野秀敏・佐藤和貴子・斎藤せつな〔著〕・NTT出版)の転載である