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noteでの記事投稿数が1000を超えました

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

noteにはローンチしてからユーザー登録をしていて6年半(2014/04/20~)、毎日記事投稿するようになって2年半(2018/05/08~)経過してます。先日、投稿数が1000を超えましたので、ちょっとした振り返りと、簡単に今後について。

##なに書いたのか(要約)
・誰かのために書くのではなく確認と整理のため
・話すことが苦手なので書くことを
・「これまでの自分」は「誰かのいま」かもしれない

「無理して誰かの役に立たなくていい」

まずはじめに、ボクはnoteを「誰かの役に立たせるため」に書いているわけではありません。これには明確な理由があって、誰かのためになる情報には根拠や事実の列挙が必要だと考えています

ボクがこのnoteで主に書いていることは、できる限り読んでもらえた人と前提を揃えるようにしていることは意識しているものの、基本的にはボクの意見や主張を書いていて、科学的な根拠や論文のような学術的に認められるべきものを書いているわけではありません。

一人のインターネットユーザーとして、観測可能な範囲で揃えられる情報を揃えておき、ボクが書いたnote記事を読んでくれた人が仮に検索などで調べる場合には情報源に当たることができる状態を目指してます。

おそらく、誰かのために役に立とうとする場合には、他の書き手との差別化を意識するのでしょうが、どうも性に合いませんし、それをしたところでボクに還元される「何か」をボク自身が欲しいと思っていません。

残念ながらボクは競争には弱いし、向いていないように思えるのですが、こればかりは仕方ありません。

無理して誰かの役に立とうとすることを目指して書き続けたところで、ボク自身が息切れをしてしまうのは目に見えてますので、ダラダラと意識低く書き続けることが、いつの間にか趣味になっていたような気がします。

話すよりも書く方がいい

ボクは話すのが苦手です。

もしかしたら、ボクと面したことがある方の中では、話すのが苦手だと感じていない方もいらっしゃるかもしれませんが、即時的な質問と回答の応酬は苦手なのです。

ボクは声を出すにしても、こんな風にして何かしらの文章を書くにしろ、自分の中で箇条書きをしてから発するようにしています。

逆にいうと、箇条書きができない・する余裕がない時には追い込まれているように感じることがあるため、可能な限り自分自身が追い込まれないようにすることが日課になってます。

話すことが苦手なので、電話も苦手です。

他人の時間を平気で奪う道具だなんだ、と大きなことを述べていたのですが、よくよく考えてみれば何のこともない自分が苦手なことを否定しているだけの情けない態度でした。

気づいている人は気づいているかもしれませんが、ボクが話す場合、何だか箇条書きっぽくなってしまうのです。特に最近はその傾向が強くなってます。

これ、自分なりにどういうことなのかと解釈というか解説をしてみると、できるかぎり言葉を選んで発しようとしているから、なんてことになります。言い方を変えれば失敗をしないようにしていると言えるのかもしれません。

とはいえ、即時的に判断しなければならないことは生活をする中でも発生しますし、求められることがなくなることはないでしょう。そうなると、どこでどう準備をするのかって話ですが、ボクの場合は常に箇条書きで整理することをし続けてるってことなります。

むつかしいんですけど、そうやって整理するようにしてたら、話すことも少しはマシな気がしていますが、文章にする方が好きではあります。まとまってないかもしれないけど。

主な対象は「こないだの自分」

誰かの役に立たなくてもいいし、書くことの方が得意というか好きなのだとしたら、誰に向けて書くのかといったら自分でしかありません。しかも、「これからの自分」ではなく、「こないだの自分」です。

未来と過去で分類する場合には「過去」ってことになります。

過去の自分が行ってきた主張や判断に向けて振り返りを行うのと同時に、それを改善するような認識です。

ボクは人の意見が変わることなんておかしなことでも何でもないと思っています。前提となる情報や条件が変わることによって、態度や姿勢が変わってしまうことは仕方がないことですから。

それを肯定するために、なんてわけではありませんが、自分自身に過度な期待もしなければ、容易に絶望しないためにも、常に自分自身の思考や主張を確認・整理して改めることを繰り返すことで新たな気づきが増えてます。

冒頭で「無理して役に立たなくていい」としていましたが、過去の自分自身の主張や意見とまったく同じ人はいないでしょうが、似たような意見を持っている人はいるでしょうし、同じようなことで困っている人もいるかもしれません。

5年前のボクが思い悩んでいたことは、誰かにとっての"いま"である可能性があります。そうであれば、「これまでの自分」に向けて書くことで、誰かのいまに役立つ情報にはなるかもしれません。

ならなかったとしても、毎日のnoteを書くことは自分自身の更新作業として必要だと感じていますので、もう少し書き続けていこうと思います。

それでは、また。

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