【藤原和博】史上初、隈研吾が設計した「公立校の新講堂」
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注目のコメント
今回は、学校の講堂を建て替える話。
でも、この物語を読んで、「隈研吾が講堂を建てた」で終わってほしくはないのです。
大事なことは「なんで、公立校の校舎は皆、無表情で無味乾燥な形をしているのか」ということ。たいていが豆腐型の平々凡々さですよね。
それは、校長や教頭と教育委員会の「思考停止」を物語る証拠なんです。
まったく自分の頭で考えずに建設課に任せて基準に沿って建てている。
教室の大きさやスペックはまあ基準通りやっていいかもしれません。
でも、ちょっと工夫すれば、いくらでもその地域社会にとって魅力的な校舎は立つ。奈良・一条高校の新講堂(60年経って耐震基準から著しく外れていたものを改築)はその先例です。
隈研吾が設計したからといって建築費を盛っていないし、設計料も公共建築物基準よりも安い3%で引き受けてもらいました。
全国に3万数千校ある小学校、中学校、高校の体育館を含む10万棟の校舎も、思考停止を止めて、ちょっと考えれば、美しく環境に優しくなり、児童生徒の五感に訴えるものも建築可能だということを知ってください。
地元の若手の建築家に、あの昇降口と呼ばれる入り口(ファサード)部分だけでもデザインコンペでデザインさせれば、自分の地元の学校だったらやる気を出すでしょう。出身校ならなおさらじゃないかな。
それと、自分がお世話になった学校に恩返しする手段としては、いろいろあることも知ってもらいたい。東大の安田講堂とか福武ホールとか、丸ごと校舎を寄付するような篤志家しかできないことばかりじゃなく、地元の出身校に図書を寄付することだってできます。
小中学校なら3万円で価格の高い自然科学の本が10冊買えるし、30万円寄付したら「佐藤文庫」や「藤原文庫」のコーナーを作ってくれるでしょう。
300万円なら図書室の大改革が可能だし、高校なら3000万円出せばメディアセンターにあなたの名を冠せるかもしれませんよ。
校長がこれを嫌がるようなら、その校長は頭が硬いダメ校長。教頭に話してはダメです。教頭先生というのはたいてい、やれない理由を考える「正解至上主義」の鬼(今だったら「刃」かな)ですから(笑)。【既存の常識はクリエイティブで覆そう】
当たり前すぎて、ほとんどの人が疑問を抱くこともない。だから、何十年間も変化していない。でも、改めて考えてみると、今のままがベストなのか大いに疑問が湧いてくる。それが、学校の建築物のデザインだ。
この話は学校の建築物だけに限った話しではないです。
リハビリ界においても例外ではなく、卒前教育から卒後教育まで
【当たり前すぎて、ほとんどの人が疑問を抱くこともない。だから、何十年間も変化していない。でも、改めて考えてみると、今のままがベストなのか大いに疑問が湧いてくる】
状態だと常々感じてます。
変えていかないといけない
今の当たり前をブチ壊す
どの世界にも変化を起こしていってる人達は
当たり前を疑う人ですね。今まさに学区選びの真っ只中ですが、私の基準の一つに「校舎のデザイン性」が入っており、これが中々学校選びの邪魔をしてくれます。
それでも譲れないのは、薄暗くて古いハコの中でどうしてもクリエイティブな発想が育つと思えないからです。
新築でなくて良いんです。子供達が毎日ワクワクする空間であって欲しいのです。
それにしても、隈研吾さんを口説き落とす方法が女性を口説く時のようにロマンティックですね。笑