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生きがいじゃなくて、小さな満足をたくさん見つけよう

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

生きがいとかやりがいを見つけなければ生きてはいけないわけでもないし、むしろ、それを目的に生きようとすると達成できないまま終わってしまうのではないかと思っています。自分の生き方なんだから、生き方が"小さくてもいい"よね、なんて思うのです。

##なに書いてる(要約)
・「work-life balance」とか「work as life」って敷居が高いよ
・低い目標をひたすらクリアすることで充実するって思ってます
・生きがいややりがいで自分自身を搾取しないように

仕事も含めての「生活」だけど...

work-life balanceなんて言い方で「生活と仕事のバランスをしっかり保とう」なんて比重の話をされるのって、なんだか切り分けを大切にしようって話なのかな、と思うとまったく賛同できませんでした。

2018年ぐらいだったと記憶していますが、落合陽一さんがwork as lifeって言い方されていて、「生活と仕事を切り離すんじゃなくて...」なんて考え方に根本的に賛同と納得をしています。

ところが、「切り分けることなんて出来ないんだから切り分けずにガシガシやればいい」のかって言ったらそんなこともないだろうと思うわけです。

それって、下手したら研究とか仕事まみれの「生活」で、仕事以外で設けられるはずだった「安寧の時間」をまったく確保できない状態に陥ってしまう危険性すらあるわけです。

どっちの姿勢・態度をとるにしても、literacy(リテラシー。適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現すること。識字率)が必要だといえて、かなり高度なことを求められているのだと気付きます。

おそらく、を高度だと捉えられない人は、work-life balanceやwork as lifeなんてことを、高度なものではなく当然のことであると捉えられている人や行動できている人は優秀な人(平均以上の成果や結果を出せる人)で、自然とできてしまっているか、何のこともなく出来てしまう人です。

それを敷居が高いと感じる人は、work-life balanceやwork as lifeのどちらでもいいのですが、それらを目指す(目標にする)こと自体が目標設定として高すぎることも考えられます。

低い目標で幸福感を高める

ボクはこのnoteでもそうですし、Twitterなんかでも「意識低い系」を標榜しています。さらに辿っていけば「意識高い系にすらなれない系」だったことに気づいてしまった時から、高い目標設定で生きることをやめました。異なる言い方をすると、自分に過度な期待をすることをやめたのです。

社会的にインパクトを与えることなんて、ボク個人でできるわけがありませんし、地域に大きな貢献をしたいわけでもありません。

根本的に、それらがボクの幸福と=なのかなんてことを結構考えたのですが、おそらく少しは寄与するのかもしれませんが、根本的には異なる方向のものだと考えています。

ボクはスティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグのように世界中の人が使ってくれるようなプロダクトを生み出せませんし、それによって大きな社会貢献を為せるなんてことも微塵も思えません。

だったら、日々の生きる中での満足度を高めていくこと、それを見つけられることの方が、よほど大切だと思っています。

ちなみに、一日の中で「よかったこと」「うれしかったこと」を書き出してみた物の一部を紹介すると、こんなことがあります。

・喉が乾いてる中で炭酸水を飲んだらおいしかった
・久しぶりにチョコレートを食べたら甘くておいしかった
・温泉まんじゅうを初めておいしいと感じた
・タスクを細切れにしたら結果的にたくさん仕事をやれた
・長男くんと散歩がてらに話をしてたら思ったよりも深い話ができた

などなど、本当に日常的なものばかりです。

ここにはそれぞれにそう感じた理由だとか、具体的に感じたことや考えたことなどを考えるようにしているのですが、箇条書きで主観的にうれしかったこと、満足したことを書くようにしています。

"生きがい"や"やりがい"に囚われすぎない

低い目標設定によって変わったことは、何よりも日々の「充実」に対する感度が、高い目標設定をしていた頃よりも遥かに高くなったことです。

"生きがい"や"やりがい"を追求するってことを出来る人はいいのですが、出来ない人の中に自分が属しているかもしれないと気づくことも大事です。

出来る人たちから「その方向を共に目指そう」って話をされてワクワクした気持ちを抱くのは共感できるのですが、それは誰にとっての幸せなのかを冷静に考えてみることも必要ではないかな、とボクは思うのです。

だったら、「外を歩いてみたら天気がよくて気持ちがいい」ってことに気付けることや、それを求めて外に出るって行動をできることの方が、多くの人たちにとっては人生を充実させて、幸福感を高める上では重要なのではないかと真剣に考えています。

案外、自分に対して求めすぎなところがあるなって思う人は家族内でもそうですし、職場内でも、自分が所属するコミュニティ内でも結構数いるんじゃないでしょうか。

他人は他人です。

自分の人生に責任を持ってくれるわけではありませんし、他人の充実や幸福を叶えるために生きているわけでもありません。

ってなると、自分が満足できることを小さなことでもいいので積み重ねることの方が、日々の生活が充実することになりますし、それって人生が充実することなんじゃないのかな、なんて戯言を妻さんにしたところです。

で、また言われました。

「で、あんた誰なん?」

それでは、また!

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