IT黎明期に日本のみならず世界を舞台に活躍した「伝説の起業家」、西和彦氏の初著作『反省記』(ダイヤモンド社)が出版された。マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。20代から30代にかけて劇的な成功と挫折を経験した「生ける伝説」が、その裏側を明かしつつ、「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴ったのが『反省記』だ。ここでは、アスキー創業後すぐに生み出した、あるイノベーションについて振り返る。

伝説の起業家が「成功のタネはそこらじゅうに転がっている」と断言する理由Photo: Adobe Stock

僕たちは「追い風」の中にいた

 1977年11月、僕が21歳のときに創刊した『月刊アスキー』は、順調に売上を伸ばしていった。

 当時、爆発的に増えていたマイコン・マニアのニーズに応える情報源が『月刊アスキー』しかなかったのだから、当然の結果だと思った。新たなニーズが生まれたときに、最速で市場に参入する。その機動性こそが、ゲリラ部隊「最強の武器」だ。僕たちは、その武器を最大限に活かしたのだ。

 創刊号の5000部も、第二号の5000部も完売。三号目からは8000部へと印刷部数を増やしたが、これも完売。創刊翌年の1978年3月号で、ついに念願だった1万部に到達した。

 8坪の狭いオフィスは戦場のようだった。『月刊アスキー』の制作だけではなく、アメリカのコンピュータ関連の出版物の翻訳出版も手掛けていたので、忙しさに拍車がかかるばかりだった。

 目の前に出さなきゃいけない雑誌や本があり、それを次々出していくのに精一杯だった。しかし、不思議と疲れなかった。若かったせいもあるだろうが、コンピュータのマーケットが劇的に拡大していたこともあっただろう。後ろから風が吹いていた。追い風だったのだ。