2020/12/6

【島田太郎】東芝が再び輝く時代がやってくる

株式会社 東芝 代表執行役社長 CEO
ドイツの総合テクノロジー企業シーメンスの要職に就き、将来を嘱望されていたにもかかわらず、経営再建の道半ばにある東芝に移籍した島田太郎氏。

最高デジタル責任者としてデジタルトランスフォーメーション(DX)の旗振り役を担うとともに、東芝デジタルソリューションズの社長に任命された。

「なぜか3年ごとに転機が訪れる」というそのキャリアの軌跡と、これからの全産業に共通の、デジタルで生まれる新しい儲け方に迫る。(全7回)
島田太郎(しまだ・たろう)/東芝 執行役上席常務 最高デジタル責任者、東芝デジタルソリューションズ 社長
1990年に新明和工業に入社し、航空機開発に10年間従事。1999年にアメリカのソフトウエア会社であるSDRC(のちにUGSと合併)に入社し、2010年に日本法人社長に就任。同社がドイツの総合テクノロジー企業シーメンスに買収された後、ドイツ本社駐在を経て、2015年シーメンス日本法人の専務執行役員に就任。2018年10月、東芝に入社。2019年執行役常務、最高デジタル責任者、2020年4月に東芝デジタルソリューションズの社長に就任。

なぜ火中の栗を拾ったのか

「ほんまに、辞めなあかんの?」
これは私がシーメンスという会社を辞めて、東芝に移ろうとしていたとき、家内に言われた一言です。
将来がある程度約束されていたシーメンスを辞めて、経営危機の火がまだくすぶっていた東芝に行くわけですから、家内も不安だったのかもしれません。
しかし私は東芝という会社を尊敬していました。なにしろノーベル賞をとってもおかしくないような人が大勢いる会社です。やはり日本の中にあって最も優秀な会社の一つではないか。
ただ、海外の企業にいた私から見ると、企業としてのサスティナビリティ上、足りないなと思うところや、ギャップを感じる部分がある。もちろん僕なんかより優秀な人は山のようにいますが、僕のちょっと変わった経歴やものの見方が、その差を少しでも埋めることができるのであれば、ぜひやりたいと思いました。
そんなとき、僕を東芝のCEOの車谷暢昭さんに紹介してくれる人がいて、車谷さんから電話がかかってきた。
東芝CEOの車谷暢昭氏(写真:時事)
お目にかかって1時間半ぐらい話をして、最後に車谷さんと新橋のガード下でラーメンを食べていたとき、「それで島田くん、いつ来てくれるの?」と言われたときは、「どうやっていまの会社を辞めようか」ということで頭がいっぱいになっていました。
もちろん、すんなりといったわけではありません。家内は僕のすることにほとんど反対しないのですが、冒頭で述べたようにシーメンスを辞めて東芝に行くのは不安だったようです。外資系は給料もいいし、辞めるのは惜しいという気持ちがあったのかもしれません。
一方、そのころの東芝は、メディアの人たちにいろいろなことを書かれていました。僕もいざ東芝に行くとなると、そういう記事に目を通します。本も買ってきて読む。読むと、「はーっ」と深いため息がもれました。家内も僕が読み終わった本を読んで、同じく「はーっ」とため息をついている。
しかし東芝の最高デジタル責任者になり約2年がたちます。今年4月には東芝デジタルソリューションズの社長になり、今、すでに僕には東芝の将来像が見えてきています。