2021/1/28
【西 和彦】経営悪化の地獄。CSK大川功さんの「奴隷」になる
若い読者は知らないかもしれない。あのマイクロソフトがベンチャー企業だった1970年代後半、創業者のビル・ゲイツとポール・アレンの傍らに、ボードメンバーとして一人の日本人がいたことを。その日本人こそ当時まだ20代だった西和彦氏だ。
しかし、西氏は経営方針の相違からビル・ゲイツと決別し帰国。アスキーを上場させ、出版、ソフトウェア、半導体、通信事業を拡大するが、バブル崩壊とともに経営が悪化し、社長の座を追われることになる。
波乱万丈な「半生」とその「反省」を語り尽くす。(全7回)
しかし、西氏は経営方針の相違からビル・ゲイツと決別し帰国。アスキーを上場させ、出版、ソフトウェア、半導体、通信事業を拡大するが、バブル崩壊とともに経営が悪化し、社長の座を追われることになる。
波乱万丈な「半生」とその「反省」を語り尽くす。(全7回)
大入り袋で販売合戦
アスキーを代表する雑誌が『週刊アスキー』でしたが、当時はパソコンブームで、いろいろな出版社がこのジャンルに参入してきていました。
日経BP社も『週刊パソコン』を創刊して『週刊アスキー』にぶつけてきましたが、3カ月で撤退します。
このとき僕が何をしたかというと、営業部員たちに、「書店に『週刊パソコン』と『週刊アスキー』を並べて置いてもらいなさい」と指示を出しました。
それでこちらは100円を入れた大入り袋を無制限に書店にまく。ところが100円玉は100円玉でも、沖縄海洋博覧会、つくば万博などの記念硬貨の100円玉を入れておく。
これは業者では150円くらいで買い取るけれど、当時の売り値は700円なのです。つまり一般の人にとっては700円の価値がある。
書店員さんたちは現金をもらうことに最初は躊躇していても、何度ももらっているうちにだんだん慣れてきます。
やがてそれを「マクドナルドでも食べてください」と言いながら10枚渡す。額面は1000円だけれど、毎週7000円もらっているのと同じことになります。
そうやって大入り袋を配っていると、やはり書店は『週刊アスキー』のほうに力を入れて売ってくれるようになる。
地下鉄の売店ではもっとすごいことをしました。
売り子さん1人につき1万円配りました。「ここが売り切れないと私はクビです。お願いだから売ってください」といって出版営業マンが頼み込む。
売店の売り子さんは1人ではなく、複数人います。しかし人間というのは、全員が同時に1万円をもらったら、そのことを誰にも言いません。
社運がかかっていたから、こんなこともやりました。必死でした。