【西 和彦】ビル・ゲイツに対抗したくてアスキー社長になった
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このネクタイの話は本には載ってなかったと思います。「上司は部下のことをわかるのに3年かかるが、部下は上司のことを3日でわかる」なんて言いますが、下が上を見る目の厳しさ、切実さをよく象徴していると思いました。
ベンチマークがMSだとホント辛すぎる勝負
アスキー株は順調に上がっていましたが、それでもあまり素直に喜べなかったのは、マイクロソフトの株価の時価総額と比べていたからです。
マイクロソフトは時価総額何千億円。こちらはたったの300億円。
この焦りが僕をさらに巨額の投資へと駆り立てました。前述した半導体メーカー「ネクスジェン」、インターネット、映画の配給への投資。アスキー創業者・西和彦さんの連載第4回です。
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若い読者は知らないかもしれない。あのマイクロソフトがベンチャー企業だった1970年代後半、創業者のビル・ゲイツとポール・アレンの傍らに、ボードメンバーとして一人の日本人がいたことを。その日本人こそ当時まだ20代だった西和彦氏だ。
しかし、西氏は経営方針の相違からビル・ゲイツと決別し帰国。アスキーを上場させ、出版、ソフトウェア、半導体、通信事業を拡大するが、バブル崩壊とともに経営が悪化し、社長の座を追われることになる。
波乱万丈な「半生」とその「反省」を語り尽くす。(全7回)
■第1回 ビル・ゲイツとの出会いと決裂をすべて話そう
■第2回 ビル・ゲイツに電話「理想のパソコンをつくりたい」
■第3回 「人脈と情報」の2つを持てば、大きな仕事ができる
■第4回 ビル・ゲイツに対抗したくてアスキー社長になった
■第5回 経営悪化の地獄。CSK大川功さんの「奴隷」になる
■第6回 学問の世界に身を置いて、精神の安定を保つ
■第7回 混沌とした時代を生きるには、風と波を感じ取れ