この連載について
ビジネスや働き方が多様化し、正解がない時代に、自分を信じて一心に仕事をする人たちがいる。そこにあるのは独自の「哲学」だ。仕事人のヒストリーをたどり、道標となった哲学を浮き彫りにしていく。
株式会社ダイヤモンド社(ダイヤモンドしゃ、英語: DIAMOND,Inc.)は、主に経済やビジネスなどの書籍や雑誌等を出版している日本の出版社である。1913年(大正2年)に、『経済雑誌ダイヤモンド』を創刊して設立。本誌は日本初の出版社系週刊誌となる。本社は東京都渋谷区に所在する。 ウィキペディア
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若い読者は知らないかもしれない。あのマイクロソフトがベンチャー企業だった1970年代後半、創業者のビル・ゲイツとポール・アレンの傍らに、ボードメンバーとして一人の日本人がいたことを。その日本人こそ当時まだ20代だった西和彦氏だ。
しかし、西氏は経営方針の相違からビル・ゲイツと決別し帰国。アスキーを上場させ、出版、ソフトウェア、半導体、通信事業を拡大するが、バブル崩壊とともに経営が悪化し、社長の座を追われることになる。
波乱万丈な「半生」とその「反省」を語り尽くす。(全7回)
■第1回 ビル・ゲイツとの出会いと決裂をすべて話そう
■第2回 アスキー創業、ビル・ゲイツに国際電話をかける
■第3回 米国マイクロソフトのボードメンバーになる
■第4回 ビル・ゲイツに対抗したくてアスキー社長になった
■第5回 経営悪化の地獄。CSK大川功さんの「奴隷」になる
■第6回 学問の世界に身を置いて、精神の安定を保つ
■第7回 混沌とした時代を生きるには、風と波を感じ取れ
私の自室の書棚に「アスキー新人類企業の誕生」という本がある。まだイケイケだったころのアスキーのことが書かれた本だ。また、その並びに「パソコン革命の騎手たち」という本もある。こちらはマイクロソフトを取り囲む日本企業の存亡が書かれた本だ。こちらは1995年頃までの話。
読むとわかるがどちらもワクワクする。当時、自分もパソコンビジネスのど真ん中にいて、マイクロソフトでWindowsの開発に携わっていたので、この高揚した時代を昨日のことのように思い出す。当時はマイクロソフトだけでなく、アスキーも、そして日本のパソコンメーカーも輝いていた。
IBM互換機が日本でも発売されるようになり、黒船により鎖国が解かれたように、米国のパソコンメーカーやソフトウェアベンダーが雪崩うつように日本に参入。あれよあれよという間に日本のITベンダーは競争力を失う。これには様々な理由があるが、一番は80年代から90年代にいた、西さんのような暴れん坊がいなくなったことではないかと思っている。
今こそ、日本企業は西さんから学ぶべき。いや、日本企業ではなく、日本の若者は と言ったほうが良いだろう。
が、しばらくは実現しないだろうし、香典返しをいただく関係にないことが残念でなりません。
「僕の人生はだいたい三幕に分けられます。
一幕目はビル・ゲイツとともにマイクロソフトの経営に携わり、理想のコンピュータを追求した20代。
二幕目がアスキー出版の経営に尽力し、それが破綻するまでの30~40代の半ば。
三幕目は45歳からの教育者としての時代。」
90年代前半では、孫さんやゲイツ、ジョブズ以上に輝いていた。
彼が米に生まれていたら、どうだったか。
楽しみな連載!