2021/1/24

【西 和彦】ビル・ゲイツとの出会いと決裂をすべて話そう

NewsPicks エディター
若い読者は知らないかもしれない。あのマイクロソフトがベンチャー企業だった1970年代後半、創業者のビル・ゲイツとポール・アレンの傍らに、ボードメンバーとして一人の日本人がいたことを。その日本人こそ当時まだ20代だった西和彦氏だ。

しかし、西氏は経営方針の相違からビル・ゲイツと決別し帰国。アスキーを上場させ、出版、ソフトウェア、半導体、通信事業を拡大するが、バブル崩壊とともに経営が悪化し、社長の座を追われることになる。

波乱万丈な「半生」とその「反省」を語り尽くす。(全7回)
西 和彦(にし・かずひこ)/アスキー 創業者、東京大学大学院工学系研究科IoTメディアラボラトリー ディレクター、須磨学園 学園長

1956年神戸市生まれ。早稲田大学理工学部在学中の1977年にアスキー出版を創業。ビル・ゲイツ氏と意気投合して草創期のマイクロソフトに参画し、79年米マイクロソフト副社長に就任。ビル・ゲイツ氏と対立し、85年マイクロソフトを退社。帰国してアスキーの資料室専任「窓際」副社長となる。87年アスキー社長に就任。89年、当時史上最年少でアスキーを上場させる。資金難などの問題に直面し、98年アスキー社長を退任。2001年すべての役職から退任。その後、米マサチューセッツ工科大学メディアラボ客員教授などを経て現在、東京大学大学院工学系研究科IoTメディアラボラトリーディレクター、須磨学園学園長。著書『反省記』

還暦祝いの引き出物に60年の歴史

昨年の9月に『反省記~ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと~』(ダイヤモンド社)という本を出したのは、次のようないきさつです。
左から、西和彦氏、ビル・ゲイツ氏、ポール・アレン氏。
僕は1956年生まれで、2016年に還暦を迎えました。そのお祝いのパーティーはテレビで中継され、堀江貴文さんも来てくれることになりました。
会費制にしたのだけれど、300人くらい来てくれる人たちに、何か引き出物を渡さないといけない。でもありきたりなものでは面白くない。それで自分の60年の歴史をまとめた冊子を配ろうと思い、書き始めました。
「私の履歴書」というコラムが日経新聞にあるけれど、あれはお偉い方がお書きになるものだし、それに「私の履歴書」を書くと、すぐ死ぬというし。だから僕は「僕の履歴書」というタイトルにしました。
『僕の履歴書』
完成まで急いで1カ月くらいかかりました。4週間で60年分ということは、単純計算して1週間で15年分を書いたことになります。
たった一人の人間でも60年分となると、けっこういろいろあったし、別に記録が残っているわけではないので、でもウソをいい加減に書くわけにもいかないから、年表を作ったり、事実関係を確認したりと大変でした。
そしてそれを冊子にして配ったところ、パーティーに来てくれた人たちが非常に喜んでくれた。なかには冊子を1万円くらいの値をつけて、メルカリか何かでこっそり売った人もいたようです。
「そんな高値で売れるのか。それならもっと本格的に書いたらいいかな」と思っていたら、昔から友達の週刊ダイヤモンドの編集長が、「食事をしましょ」ということになりました。
当日、週刊ダイヤモンドの編集長は、もう一人、書籍の編集者を連れてきていて、「タダでご飯を食べられると思ったんですか?」と言う。
「ただし、本の出版に応じてくれるんだったら、今日はダイヤモンドのおごりです」
「じゃあ、おごってもらうわ」ということで、出版が急遽決まったというわけです。
ただし、引き出物の冊子をそのまま本にするのではつまらない。僕も出版社をつくって雑誌を出していた経験からいうと、自分の60年間を淡々と書いてもそんなのは面白い本にはなりません。ただの自作自演のドキュメンタリーです。
編集者にとってこんなことは一丁目一番地ですが、どこに光を当て、どこを削るのかを決めなくてはならない。編集とはそういうことです。だから自分の人生を振り返って、どこに光を当てるのか、取捨選択をしました。

実名ノーカット版は香典返しに

この作業は自分による自分に対する評価でもあります。
決して順風満帆ではなかった僕の過去を振り返るのは、非常につらい作業ではありましたが、そうやっていつか生きているうちに自分の評価を自分でしてみたかったというのも、本を書いた動機のひとつです。
原稿を書き始めたら面白くて止まらなくなって、本になった分の1.5倍くらいの量を書いてしまいました。
僕がどうしても許せない奴の名前も、名前を調べ直してフルネームで書いたけれど、ダイヤモンドの編集者が、「実名を挙げて恨み言を書くのは、やめたほうがいいですよ。それにダイヤモンドはそんな本は出しません」と言って全部削ってしまった。
だから僕が死んだら、実名を載せた1000ページくらいのノーカット版を遺言として自費出版しようと思っています。葬式の香典返しに。

人生の幕はまだ降りていない

オペラではないけれど、僕の人生はだいたい三幕に分けられます。
一幕目はビル・ゲイツとともにマイクロソフトの経営に携わり、理想のコンピュータを追求した20代。
二幕目がアスキー出版の経営に尽力し、それが破綻するまでの30~40代の半ば。
三幕目は45歳からの教育者としての時代。