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ポストコロナ,祝祭を失った風景の中で続く,終わらない日常を生きること

落合陽一です.日常と祝祭について考えている.ポストコロナの風景を考えていく中で,我々が失ったものは祝祭そのものなのではないかと思いながら.

何度かソーシャルディスタンス下の夏祭りに出向いた.フェイスガードと消毒,ソーシャルディスタンスと三密回避.今年の夏の風景だった.

上のnoteの中で出てくるソーシャルディスタンス下のスーパーボール掬いなんかを眺めていると我々が夏祭りとして消費していたのは密な空間そのものだったのではないか,と思えてくる.

オリンピックや万博といった祝祭への高揚感に満ち溢れていた2019年末を終えて,ソーシャルディスタンスの世界を半年生き抜いてきた今,考え直してみると,社会における祝祭の意味とか,人の持つ享楽への感覚とかが変わった実感が持てるようになってきた.

シルバーウィークを飛騨高山と軽井沢で開疎しながら過ごしたのだけれど,行楽地を通り過ぎれば,車窓から見えるのはビフォアコロナに近づきつつある人出の回復だったりした.これで元どおりか? と思えばそんなこともなく,やはり祝祭の失われた風景が続いているように見える.そんな中,日常の終わらなさについて考えてしまう.

風景を切り取っていくことをライフワークにしている自分にとっては,続く終わらない日常の風景に閉じ込められているような気がしてくる.だから,遠出できるチャンスは重要で,祝祭が作る社会の変容は自分にとっての生きる糧だったのだなぁ,と思うところがある.コンヴィヴィアリティ,民藝,祝祭.

こうやって祝祭を失っていって,日常を続けるしかなくなった.今日はそんなことを考えながら.

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