使う企業と諦める企業、いよいよ本格化するAI格差 AIに対する幻滅がAI拡大を後押しすると考える深い理由
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AIはこれまでも何度か(一般的には今が3回目)ブームが起こってきたわけですが、今回のブームが去り、ジュリアナ東京的な存在に成り下がるのか、今後インターネットのような技術インフラになり、語られずとも使われていくのか。そんなことを気にしてるのは私含むAI業界の人くらいで、多くの人からすれば、使える技術であればそれがAIでも何でも構わないことになっていくのかもしれません。
私が一番危機感を持っているのは、AIがそのポテンシャルを示しながらも、最終的に使われなくなってしまうようなケースです。検証レベルではいい結果が得られ、ビジネスインパクトが明確になっても、予測モデルのデプロイに関わる技術的チャレンジ、実運用化に必要となる人的オペレーションの未定義、現場の信用を得られずに使われず、AIが独り言を言い続ける、などなどで結果を出せずに不完全燃焼してしまうケースが多く見られます。このような機械学習の予測モデルが作られてから実際に価値を生み出すまでのノウハウをMLOps(Machine Learning Operations)と呼んでいます。
そんな危機感もあって、AIの実運用かに関わる人たちのコミュニティーを、先日立ち上げ、定期的に会合を持っているので、興味のある方はぜひご参加ください: https://mlops.connpass.comブームは、どうでもよいことだ。意味のあるものはブームにならなくても伸びるし、そうでないものは廃れる。
世界中で、「データは次の世界のオイルになる」と論じれらてきた。
このような議論は、予測不能な未来を前提にすると見直されなければならない。データの使い方も、これまでの議論はリセットする必要がある。特に、大量のデータを保有する企業や産業競争力で有意な立場に立つという議論は見直さなければならない。
コンビニという生活のインフラを日本に拡げたセブン&アイの鈴木敏文氏が、データ活用に関して重要な発言をしている。
「ビッグデータという言葉がよく使われますよね。私は好きじゃないん
ですよ。(中略) あれは過去に経験したことをまねするということです。」
(日経ビジネス、2020年2月3日号)
この鈴木氏の発言ほど、現在のデータの使い方の問題を的確に指摘した発言を他に知らない。
実は、現在のデータの活用もAIの活用も、まさに「過去の経験をまねする」ことだけを行っているのである。いや、それしかできないのである。
なぜか。それはデータは常に過去のものであり、未来のデータは存在しないからである。データでできることは、過去のデータでうまくいったことを繰り返すことである。これにより、過去のうまくいったことを繰り返し、うまくいかなかったことをやらないようにすることができる。
これは一見正しそうに見える。それの何が問題なのか。まず新しいことをやらなくなる。過去のうまくいったデータや経験を参考に行動することになるので、新しいことはやらなくなる。
このために、変化に弱くなる。ビジネスも社会も常に変化の只中にある。しかも未来は予測できない。だからやってみないとわからないことだらけである。いかに未来に向けて行動を起こすかが最も重要なことなのに、データやAIに頼ると、過去のデータで経験したことの範囲で行動や判断するようになる。これはバックミラーを見ながら運転しているようなものである。
この記事では、このような本質が論じられておらず、ブームばかりが議論されている。それは古人が「時流の乗ろうとするものは、時流とともに滅びる」といった以上のことをいっていない。
このような本質を捉えた、データとAIの使い方が必要だ。そして、それは可能であるし、始まっている。「プリファード・ネットワークスの西川徹CEO(最高経営責任者)は「AIブームはもう終わる」と断言。」
私も数年前から「あと2,3年で終わる」と言い続けてまだ終わらないわけですが、ITの世界は一般的に10年前後で覇者が変わります。というか、10年も経てばインフラとなり、人々に強く意識されなくなります。インターネットも登場して10年は大騒ぎしましたが、今となっては「インターネットってなんだか知らないけどすごいのでしょう?勉強しなくちゃ」という人がいなくなるのと同じ。
DNNの前は2000年頃から2012年までSVMやRFといったバッチ学習型機械学習アルゴリズムの天下でした。
また、企業に目を向けてもIBM→Microsoft→Google→Facebook→Apple/Amazon
のように、だいたい10年ごとにトッププレイヤーは変わりつつあります。
大事なのはAIであっても道具の一つでしかないという認識を持つこと。固執しないこと。次の新しい技術の到来に向けてアンテナの感度をあげておくこと。時代に左右されない確かな知識・技能を身に着けておくこと。