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これは米国の特殊事情で、「人種(race)」という特殊なシステムが米国社会の基本になっているためです。米国で生活する人間は全ていずれかの「人種」に分類され、白人、黒人、アジア人、ヒスパニック、といった立場を常に意識して生きていかねばなりません。「人種」は権益でもあり、米国に生きる人々は、全て自分の「人種」にふさわしい行動をすること、自分の「人種」の権益を守ることが求められます。他の「人種」の文化を経済的に活用することは他の「人種」の権益への侵害であり、「文化の盗用」と呼ばれて糾弾されます。
 ヨーロッパでは、この米国の「人種」システムは共有されていません。米国独特の特殊なシステムです。ロシアでも中国でもインドでも、「文化の盗用」が「人種の権益」を侵害する、といったことは問題になりません。そもそも、その前提となる米国特有のシステムが存在していません。米国という、巨大な奴隷制を持ち、一方で人権思想を高らかに掲げてきた国の歪な歴史が無理矢理ひねり出さざるをえなかった特殊なシステムです。
 日本でも、米国のリベラル大学教員などの真似をするのが進んでいる、と思い込んでいる人たちが、同じような「文化の盗用狩り」を試みていますが、日本人にはまずピンとこない話だし、米国とは社会の前提がまるで違います。
 ヨーロッパ人は、文化というのは、1000年以上かけて、数多くの民族や宗教が入り混じってできているもので、これまでも今後もさらに変動していくものであることを知っているので、「人種の権益である文化を盗用している」というようなことを米国人が言っても相手にしません。米国のリベラル知識人の言うことをありがたがるヨーロッパ人もいません。
 当たり前ですが、日本人もヨーロッパらしき場所を舞台にしたアニメをつくるし、ナポリタンのような変なイタリア料理をつくります。そこには誤解も偏見もあります。欧米で『ラスト・サムライ』のような時代考証が変な映画や変な創作スシがつくられたりもしますが、文化とはそうやってできていくもので、グローバル化にも理解にも交流にも必要なことです。
原稿が届いて、ただ驚かされました。

とはいえ、米国にいると、確かにコロナからワクチン、マスク、エンタメにスポーツまであらゆるトピックが政治化して、すべてにおいて両極が激しく応酬を繰り広げています。

これまで、日本のコンテンツというのは、政府主導での輸出というよりは、欧米で「発掘」される形で、英語圏のインターネットを中心に広がって、その独特の美学が徐々に人気を集めてきました。

ですが、逆にいえば、この2020年においては、日本にいる作り手の知らないところで政治化して、分断の新たなフロンティアとして消化されることにつながります。「たかがゲーム・アニメ内の話だから」といった議論は、ますます(国外では)受け入れられなくなるのでしょう。

日本のコンテンツの海外展開に詳しいジャーナリスト、パトリック・セント・ミシェル氏の寄稿をぜひご覧ください。
意図しない解釈のされ方もあることを前提に、コンテンツや情報発信をしなければならない。特に分断社会では。この寄稿を読んでそう思いました。

しかし、八方美人では誰も感動しない。この微妙な味付けが難しいところです。
ghost of Tsushima は素晴らしい作品です。Youtubeでプレイ画面を見ることができます。ストーリーやゲームの素晴らしさを理解する上で有効です。
癒しのあいろんさんで自分は勉強しました。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLO3E3Cv6CpBiBADtldOwfACxWN0zK6O-M

時代考証など突っ込みたいところもありますが、ゲームですので楽しめるかどうかでいいのかと思います。
記事の中で差別的表現の問題が、テレビのコンテンツと同列で述べられてますが、オンデマンドのコンテンツとは多少分けて考えた方がいいとは思います。全く議論の起きないコンテンツを作る時代になってしまうことはないと思います。創造と批判はいつもセットですし。
あまり新しい話には聞こえない。
特に米国では、繰り返し行われてきた事である。
SNSがそれに拍車もしくは、
記事にし易くした側面は有ると思う。

ただそれらの意見がある事は、意識すべき
と思う。

その上で、この議論を避けるのか、
もしくは、メッセージを込めるかは、
それぞれである。

過去にも、日本の歴史小説作家達、
司馬遼太郎や、吉川英治はメッセージを込めてきた。

歌もメッセージを込める人もいれば、
全くのエンタメの人もいる。

ゲームもどちらもあって良いのでは無いか?
表現の自由の範囲と思う。
カルチャーやスポーツなどが政治化されている近年のアメリカ現象を意味する話だと思います。それは日本カルチャーに限らず、世界各国のカルチャーに関してもアメリカ内で同じ現象が起きています。記事にも少し書いていますが、K-POPに関してもアメリカ内で社会的運動の一環のように消費される時も時々あります。

もちろん、どんなコンテンツやカルチャーのものにも色んな見方があって良いと思いますが、作り手と受け手のズレが大きいと作品本来の意図や意味を失ってしまうため、そこは作り手も気を付けなければならないでしょうね。だとしてもグローバル市場でどんな受け方をするのかはなかなか予測付かないところもあり、カルチャーが政治化されているアメリカなどでは色んな論争が起きる可能性が高いことを意識した方が良いのかもしれませんね。
日本のコンテンツが欧米の価値観で批判を受けているのであれば、日本ポップカルチャーがエキゾチシズムや幼児文化を脱して、先方の真ん中に到達したということかもしれない。
近頃は家にいる時間も長いですしねぇ ずっとやってると、イロイロ考えちゃうんでしょうねぇ
メッセージが何か、はっきりと理解できない記事。

そもそも「日本カルチャー」の定義が曖昧だからか?

※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません
Ghost Of Tsushima はゲーム実況動画でずっと見てました。ストーリーや描写を考えると、あの作品が議論を巻き起こすのは感覚的にわかります。

「日本の外側では、あらゆるメディアが政治化しているということだ。」

もはや、ゲームだから…という理屈は通じなくなっているのだと再認識します。