2020/10/2

【DX新時代】モノのビッグデータを生む新素材「塗布型RFID」がつくる未来

NewsPicks Brand Design / Senior Editor
 工場や倉庫から物流拠点、小売り店舗まで。リアルなモノの情報をデジタルで管理するための次世代管理技術として期待される「RFIDタグ」。国を挙げた推進活動も行われているが、さらなる普及のためには「タグ1枚を1円以内に抑える」というコスト面のハードルがあった。
 そのボトルネックを突破しようとしているのが、今年1月に東レが発表した「塗布型RFID」である。この技術はどのように生まれ、これからの生活やビジネスを変えていくのか。塗布型RFIDの研究メンバーである東レの村瀬清一郎氏と、AIビジネスデザイナーの石角友愛氏との対談から読み解く。

あらゆるモノを、デジタルでタグ付けする

── 今年1月、東レは「塗布型RFID」という新技術を発表しました。この「RFID」を使えば、何ができるようになるんでしょうか。
石角 製造、物流、小売り、カスタマーエクスペリエンスなど、ビジネスの川上から川下までさまざまな変革が起こるでしょうね。ポイントは、非接触で一括読み取りできるデジタル情報を、あらゆるモノに付与できることです。
いしずみ・ともえ/2010年にハーバードビジネススクールでMBAを取得したのち、シリコンバレーのグーグル本社で多数のAIプロジェクトをシニアストラテジストとしてリード。その後HRテックや流通AIベンチャーを経て、シリコンバレーでパロアルトインサイトを起業。データサイエンティストのネットワークを構築し、日本企業に対して最新のAI戦略提案からAI開発まで一貫したAI支援を提供。AI人材育成のためのコンテンツ開発なども手がける。
 まずインパクトが大きいのは、小売りです。たとえばユニクロがRFIDの導入を進めていますが、先日買い物をして驚いたのが、10点ほどのアイテムを入れたカゴを、無人レジのスキャナーが一瞬で読み取ってくれたことです。本当に読み取れたのかと心配になるくらいのスピードでしたが、間違いもなく正確でした。
 この技術が普及すれば、買い物の体験は劇的に変わりますよね。無人レジや無人店舗も増えるでしょうし、人件費はもちろん、スピードなども含めてビジネスの省力化に大きく貢献する技術だと感心しました。
むらせ・せいいちろう/1999年、東レに入社。電子情報材料研究所に配属。有機EL用発光材料の研究を経て、2006年からカーボンナノチューブ(CNT)の研究チームに異動。途中、海外留学や太陽電池用材料、印刷用材料の研究も担当しつつ、一貫してCNT研究に携わる。塗布型RFIDテーマの立ち上げ時からリーダーとして研究を推進している。
村瀬 2017年に経済産業省が「コンビニ電子タグ1000億枚宣言」を発表しました。これは、2025年までにコンビニの全商品にRFIDを貼り付けるという宣言で、人口減少による人手不足を解消するため、小売り・流通システム全体を効率化する手段としてRFIDが注目されたんです。
 バーコードやQRコードといった従来のタグとは異なり、RFIDはUHF帯の電波を使って5m程度離れても情報を読み取れるため、一つひとつのタグをスキャンする必要がありません。だから、石角さんがユニクロで体験したように、複数の商品を一括で、同時に読み取ることができるんです。
 ただ、従来のシリコン製のRFIDは製造コストが高く、1枚10~20円で販売されています。これでは、コンビニが取り扱っている数十円の商品には付けられません。RFIDを普及させるには、コストをいかに下げるかが大きな課題でした。
石角 東レさんの「塗布型RFID」について調べたんですが、従来と比べて5分の1のコスト(※現在の目標値)でRFIDタグを作れるそうですね。そこまで安価になれば、もっと幅広いビジネスに導入できる。本当に革命的な素材だと思います。
 新型コロナウイルスの影響で、私が買い物するのはほぼオンラインになりました。でも、ネットショップ上では「在庫あり」と表示されているのに、実際には在庫がなく商品が期日までに届かないことが何度かあり、残念な思いをしました。
 特に、取り扱い商品が多いリテーラーの場合は、リアルタイムでのインベントリーマネジメント(在庫管理)が非常に困難です。アメリカのウォルマートでは、在庫管理の精度が60%しかなかったのに、RFIDを導入したことで90%までアップしたというデータも出ています。
 店舗内にある商品やトラックから荷下ろししていない商品などをリアルタイムで把握できるようになると、AIを活用するためのデータも格段に増えますよね。元となるデータが不十分だと、需給予測を行おうとしてもバイアスがかかってしまいますから。
村瀬 そうですね。倉庫からトラックに積まれて店舗に届くまでに、人がバーコードを読み取っていてはミスも起こりやすい。RFIDが付いていれば、段ボールやトラックの荷台を通過させるだけで、どの商品が何個あるかを正確に数えられるようになります。
石角 それだけでなく、たとえば製造現場で働く作業員のウェアに装着すれば、工場内の人の動線を正確に把握でき、ワークフローの分析にも活かすことができます。
 これまで起こっていた人的エラーも減るでしょうし、データを集めてAIで解析すれば、労務管理も向上する。こうしたRFIDを使ったスマートファクトリー化は、実際にカナダにあるチョコレート工場で行われています。

シリコンに代わる「新しい半導体」

── 東レでは、いつごろからRFIDの研究を行っていたのですか。
村瀬 塗布型RFIDの研究につながるカーボンナノチューブ(CNT)の研究が始まったのは、2000年ごろです。CNTは軽さや強さなど優れた特徴を多く持ちますが、当初はその中の金属的な「導電性(電気を通す性質)」に着目していました。
 あるとき、私はアングラ研究(勤務時間の20%を自由な研究に使える東レの制度)の一環でCNTを使ったデバイスを作ろうとして、CNTは半導体としてのポテンシャルが高いことに気づいたんです。
 つまり、導体と絶縁体の中間の性質を持ち、コンピューターチップに使われるシリコンのように、電圧によって電流を流したり止めたりするスイッチの役目を果たすことができる、と。
 そこから「半導体CNT」の研究がスタートし、フレキシブルディスプレイなどのいくつかの用途を検討するなかで、「塗布型RFID」へとつながっていきました。
石角 これまでのRFIDと東レさんが開発された塗布型RFIDは、どう違うのですか。
村瀬 従来のRFIDは、シリコンをもとに作られています。コンピューターに使われている半導体と同じような小型の回路を、タグに埋め込んであるんです。
 ただ、シリコンチップの製造は複雑で、300から1000もの工程があります。だから、半導体工場には何百億円という初期投資が必要になる。
 一方、我々が開発した塗布型RFIDの製造工程は20ほど。フィルム上に半導体CNTを含んだ液を垂らして作るので、大規模な工場を新設しなくても効率的に大量生産できます。
 先ほどお話しした経産省の「コンビニ電子タグ1000億枚宣言」では、「タグは1枚1円以下」という付帯条件が付いていました。シリコンではこの価格を実現できませんでしたが、半導体CNTを使うことで実現の可能性が見えてきています。
石角 塗布型にすることで安く作れるのであれば、なぜ他社はその方法を採用しなかったんでしょうか。
村瀬 塗布型であれば安く製造できることは、実は、世界の研究者のあいだでは広く知られていることでした。でも、技術的にできなかった。
 塗布型RFIDでは、半導体であるCNTの分散液を吹き付けることで、従来のシリコンチップの機能を再現します。我々はこの半導体CNTの技術を極限追求して世界最高レベルの半導体性能を達成しており、塗布型実現の鍵と期待されています。
 でも、それだけではだめで、CNTを塗布したフィルムに10μm(マイクロメートル)という間隔で電極を設置しないといけないんです。これを塗布や印刷で行うのは現在のテクノロジーでは難しい。
 ただ我々は、タッチパネルなどに使われる「感光性導電ペースト」という高精細なパターンを描くための別の技術を持っていました。これを融合させることで今回の塗布型RFIDがようやく実現したんです。東レが導電性CNTの研究を始めてから、20年かかりました(笑)。
石角 現場でどう実装できるのかを考えていたんですが、大きさは1cm程度なんですよね。厚みはあるんですか?
村瀬 厚みは100μm以下。つまり、0.1mm以下です。
石角 ほぼないと考えていいですね(笑)。これでシリコンのRFIDと同じことができるんでしょうか?
村瀬 基本的な原理は同じですが、性能面では限界があります。既存のRFIDの通信距離が5mほどあるのに比べて、塗布型では1m。メモリも60bit程度が目標値です。
写真提供:東レ
 もっとも、60bitには、およそ100京桁の数字を格納できます。全世界の商品に割り振っても何百年分かになるので、RFIDタグとしては問題ないでしょう。将来的には、用途に応じて半導体CNTとシリコンが使い分けられていくと思います。
 それに、この技術が世に出れば、さまざまなビジネスプレイヤーがどう使えるかと工夫してくれると思いますので、素材メーカーとしてはしっかり技術を作り上げて、早く出していくことが重要だと考えています。

素材の未来は、モノからコトへ

石角 ビジネスにAIを活用する方法を考えている私にとっては、夢が広がりますね。
 これだけAI活用だ、ビッグデータだと言われている現在でも、アメリカでAIを導入している企業はまだ40%。日本に至っては、たった14%しかありません。
 流通しているデータのほとんどはオンラインやデバイス経由のものなので、オフラインのデータは全然足りていない。データを取っていたとしてもAI開発会社にとって使いにくいものだったり、消費者の情報にひも付いていて使えなかったりします。
 塗布型RFIDは、データのバリューチェーンの一番上流、AI活用の要となるデータソースになる素材なので、ビジネスサイドがしっかり使い方を考えることで、機械学習やデータ解析のブレイクスルーが起こりそうです。
 私が携わったビジネスのなかで似ているのが、ドライブレコーダーです。商品により詳細は変わりますが、あれも秒単位で画像や重力が加わる角度などの情報を取っていて、ビッグデータを生み出すデータソースなんですよね。
 ただ、いざそのデータを解析しようとしたときに浮かび上がった課題が、タグ付け、ラベル付けがされていないこと。
村瀬 なるほど。それは重要ですよね。ラベルやデータのひも付け方が統一されていないと抽出や比較ができない。
石角 そうです。たとえば事故があったときの情報だけを抽出して、事故が起こる要因を探って予測したい。
 そうなったときに少し接触しただけなのか、激しく衝突したのか、どれが事故なのかがタグ付けされていないと使いにくいし、データの項目や粒度が統一されていないと他との比較ができません。
村瀬 我々の塗布型RFIDに入る情報は数字の羅列です。ただ、その桁が大きく、世界に二つとないユニークなIDになる。これは、そこから情報を読み取る「リーダー」とセットになって初めてデータを生み出します。
 そのラベリングや、生のデータをどのようにパソコンやサーバー上にひも付けていくのかは、リーダーやその先のシステムをつくるメーカーさんと協力して構築していかないといけない。そういった話も、少しずつ始めています。
istock/Best Content Production Group
石角 実装に向けて動き始めているんですね。
村瀬 ありがたいことに、今年1月にプレスリリースを出した後、100社以上の企業や組織から問い合わせがありました。
 ただ、まずはこの技術を洗練させ、ものになるということを、しっかりと世の中に示していく。そのために、素材メーカーとしてやらなければならないことがまだまだあります。登山でいえば、3〜4合目くらいでしょうか。
石角 20年も研究を続けてこられて、4合目とはまだ先がありそうですね。
村瀬 確かに、東レはCNTの研究を20年、私自身は15年ほど続けてきましたが、こういった新素材は、研究すればするほど難しさがわかるんです。
 未来に向けて可能性が広がっている分、どんな課題を解決するか、どういった用途に実装すればこの素材のポテンシャルを生かせるのか。最初からわかっていることが何もないので、本当に試行錯誤の連続です。
 ようやくそれなりの技術レベルと、世に出していく道筋が見えてきたかな、というところ。製品として世に送り届けるのは、そんなに簡単ではないと思っています。
 それに、石角さんの著書を読むと、「ことづくり」というキーワードがあるじゃないですか。我々東レは素材メーカーですが、これから先はものづくりを用途や体験につなげて、「ことづくり」をしていかないといけないという話をよくするんです。
 そこまで行って世の中が変わったときに、やっと頂上が見えてくるのかな、と。
石角 本当にそうですね。RFIDとAI、データにおけるポジションは違いますが、目指すところは似ているんだなと感じました。
 今のコロナ下では人の接触や移動が減った分、モノの移動が増えています。RFIDは何がどこにあるかを教えてくれるセンサーのようなもので、それを使ってどんなデータを取り、AIなどの技術と組み合わせてどうビジネスをデザインしていくかを考えるのが、私の仕事ですね。
 一日も早く、この塗布型RFIDがメインストリームになってくれることを願っています。