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まだティザーイメージのみ。

プラットフォームは現行6代目Z34のキャリーオーバー。
車輪やエンジン、乗員の位置は不変でしょうから、ルーフ形状も大きくは変わらない。

フロントノーズ、テールエンドのディテールのみの変更かと思われます。

この程度の変更なら、搭載予定の名機VR30DDTT北米デビューと同時、2017年に出して欲しかった。

〈何度も再掲〉

Zは不遇の運命を辿った悲しいクルマだろう。

沢村慎太朗氏がどこかで書かれていたが、Zとスカイラインは正に陰と陽だ。

初代S30型Zは当時北米日産社長の片山豊の要望により開発がスタートされ、1969年にリリース。ヒット作となった。
ちょうどこの頃、C10型スカイライン(ハコスカ)も開発され、1968年にリリース。

ご存知のように1966年に日産自動車はプリンス自動車を吸収合併していた。
この当時、立川飛行機出身者が立ち上げたプリンス自動車は技術的に評価が高く、今で言う技術の日産はこのプリンス自動車合併から語られてきたものである。

Zの開発は日産自動車および日産車体のメンバーで進められた。

C10スカイライン開発はプリンス自動車出身メンバー。

つまり、スカイラインは当時の日産のトップガンにより作られた。

対するZは日産プロパーの開発。

更には当初生産計画台数も限られていた為に、当時特殊架装車製作が主体である日産車体での生産となった。

もちろん初代Zは決して劣ってる訳では無かった。
しかし、コレがその後の運命を左右する。

以降トップガン開発のスカイライン、二軍のZと位置づけられた。

陽のスカイライン、陰のZ。

1番わかりやすいのが4代目Z32だろう。

生産だけでなく車体設計も日産車体。日産本体ではない。
V6ツインターボで華々しくデビューするも、すぐ後にR32スカイラインGT-Rを当てられまた陰の存在に。
北米ではZは大人気だったが、スカイラインは当時日本専用車で輸出はしてない。そういう事だ。

この後、この運命が変わる。

2002年登場のZ33はV35スカイラインと同一プラットフォームを採用。漸くタメの位置になった。長年の呪縛から解き放たれたわけだ。

しかし時代はもはやZ33を歓迎するムードではなく、現在も細々とZ34を作り続けてるに過ぎない。
有名どころのハイブランドスポーツカーがどんどん大きくなっているところ。

是非大きくならないで、独自のポジションを獲得してほしい。

粗野で粗削りなスポーツカーは運転すると実に楽しい。
でも、そういう車は売れないんだろうな~
結局ハイブランドの二番煎じの中途半端な・・・なんてならないでね。
わくわく
日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ、英語: Nissan Motor Co., Ltd.)は、神奈川県横浜市に本社を置く日本の大手自動車メーカー。通称とブランド名は日産(Nissan)。北アメリカやヨーロッパなどの50か国では高級車ブランドのインフィニティ(Infiniti)、また新興国向けには低価格ブランドのダットサン(Datsun)を展開する。 ウィキペディア
時価総額
1.59 兆円

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