【長友佑都】簡単な道を歩んだ物語は、読んだって面白くない

2020/9/16
オリンピック・マルセイユに加入が決まって約2週間。
すでにリーグが開幕しているチームは活気に満ちている。先日には34歳になった。新たな一年に楽しみしかない。
マルセイユはフランスのプロサッカーリーグ・リーグ・アンの名門クラブだ。
昨シーズンをパリ・サンジェルマンに続く2位で終え、今シーズンはチャンピオンズリーグにも出場する。ご存じのように、日本代表でともにプレーをする酒井宏樹も所属し、6万7000人が入るスタジアム「オレンジ・ヴェロドローム」は壮観だった。
コロナウイルスの影響もあってすぐに満員のサポーターの前で、とは簡単にいかないだろうけれど、その日を待ちわびている。聞くところによると、サポーターは熱く、いいプレーをすれば褒めてくれるが、悪いプレーをすれば容赦ないという。
でも、そんなところも含めて、僕の選んだ道だ。
2022年のワールドカップに出る。多くの人に愛と勇気と希望を届けられる存在になる。ずっと言い続けている、全ては自分の描いた「ヒーロー像」に向かうストーリーの一部であるという『ヒーロー思考』が、ブレない僕を作り上げている。
【長友佑都】「成功は約束されなくとも成長は約束されている」

いいプレーをするか、しないか

移籍が決まったとき、日本の報道では「レギュラーが確約されていない」ことが注目されたらしい。
マルセイユには、若くてうまい選手がたくさんいる。僕の主戦場、ジョルダン・アマヴィもそのひとり。マルセイユでは4シーズン目を迎える26歳がレギュラーで僕はそれを奪いに行く立場──そんな論調だったと聞く。
この話を聞いたとき、そもそも「レギュラーに確約なんてあるの?」と驚いた。
いいプレーをすれば使われる、悪いプレーをすれば使われない。サッカーとはそういうものだ。
契約が出場機会に影響を与える、なんて言い方がされることもあるけれど、僕はそんな経験をしたことはない。
いつだって、いいプレーが、サッカー選手であることが、ピッチ上でのパフォーマンスが、すべてだと思っている。だから契約のオファーをもらった段階で、試合に出られる「保証があるかどうか」は一切、気にならなかった。
あのマルセイユが、──これはマルセイユの公式Twitterなどでも紹介されたけど、12年前に明治大学にいた僕は学生選抜としてマルセイユのユースチームと対戦をして「スーパーミドルシュート」を決めている。あれは本当にロベカルみたいだった(笑)──オファーをくれたことに運命を感じ、そして5大リーグに戻ってこられたことに気が引き締まった。
あとは日々の練習で自分の価値を証明していくだけだ、と。
加えて言えば、チャンピオンズリーグに出るような名門は、必ずローテーションで選手起用をしていく。
インテルのときは、僕と同じサイドにサネッティやギブがいて、リーグ戦とカップ戦やチャンピオンズリーグを、それぞれが役割を果たしながら、勝ち進もうとした。
逆に、昨シーズンのガラタサライでは、そのすべてに出場をしていて体がかなりきつかった。途中に日本代表もあり、移動の負担もあったかもしれない。
こうした状況で直面する一番の困難は、過密日程のフィジカル的なつらさもあるが、「100%のパフォーマンス」をピッチで見せられない心理的なストレスと、それによって自分自身が評価を落とす、というジレンマだ。
【長友佑都】ロケットスタートを切る準備はできている
それは年齢による部分もある。変わりゆくものでもある。だから、自分の今を見つめ直したうえで「どういう環境がベスト」かを考える必要があった。
そういう意味で、マルセイユのように同じポジションに複数の選手を置いて、チームを作っていくのはスタンダードな手法であり、僕には最適な環境だ。レギュラーが確約されているかどうかにはまったく興味がない。

なぜマルセイユを選んだのか

7月の上旬にトルコから帰国し、オファーを待っていた僕のところにはありがたいことにたくさんのクラブが興味を示してくれた。詳しくは書けないけれど、スペイン、イタリア、ドイツ、中東のクラブからも打診があった。
どういう決断をするか。
僕の中でははっきりしていた。もっと成長ができるチーム、うまくなれるチーム。僕は「ラテン系」だと自己分析をしているから、スペインやフランス、イタリア、ポルトガルといった同じノリの国がいいなとは思っていたけれど、それもすべては歳を重ねるごとにステップアップできる環境があるか否か。
収入のことだけ考えれば違うクラブだっただろう。
そこで舞い込んだマルセイユは即断だった。チャンピオンズリーグに出られる。ラテン系で、なにより「厳しい道」であることが想像できた。若いチーム、ライバルがたくさんいる。名門パリ・サンジェルマンといった圧倒的な力を持つクラブがある・・・。
さっきも書いたようにサポーターだって目が肥えている。
簡単じゃないぞ、ここでプレーすることは。そう思えたから、すぐに決断できた。
「厳しい道」を泥臭く進み、乗り越えた先にある自分の姿をイメージできたわけだ。
簡単な道を行くことを否定はしない。ただ、僕は迷ったら難しい道を選びたい。
その道を歩み終えたとき、必ず自分自身に成長をもたらしてくれることを経験的に知っているからだ。

内田篤人というヒーロー

ちょうど僕の移籍が決まる3週間ほど前、日本代表で長い間一緒にプレーをした内田篤人が引退を発表した。年齢で言えば、一個下。
いつも自然体で、柔らかな雰囲気を持っているのに、実は芯が通っている。言葉も、さらっと軽く発しているように見えて、ブレないものがある。「周りが見えてるな」と思わされる。
篤人に似合う言葉は「カッコいい」だけど、それは決して外見的なものだけではなくて、そういう立ち居振る舞いに惹きつけられる。忘れられないのは、ブラジルワールドカップだ。
大会数ヶ月前に右膝に大きな怪我を負い、手術を回避して臨んだビッグトーナメント。本当に走れるのか?不安があったと思う。それでも彼は走り続けた。
幾度となくピッチをともにしたけれど、僕が記憶するベストプレーは、ブラジルの右サイドを駆け上がり、ボールを奪い、果敢にゴールを目指す姿だ。
あのとき、本当にすごいと尊敬の念が湧き上がってきたものだ。
「人の姿」は、大きな影響を「人に与える」。
篤人を見て僕が「カッコいい」とか「尊敬に値する」といった思いを抱いたように、こうなりたい、という具体的な形を示してくれるのだ。
僕は、そうやって多くの人に「影響を与える姿」を見せられる存在を目指している。それこそが『ヒーロー』である。
今回のマルセイユ移籍は、サッカーを知っている人からすれば「ステップアップ」に見えるだろう。でも、移籍は移籍。まだピッチに立ってもいない。
厳しい道を選んだことで、壁に直面したり、うまく行かないことも出てくるだろう。でも、そうやってもがいて、その上で乗り越えた姿は人に強い影響を与えられるはずだ。簡単な道を歩んで得た「物語」は、読んだって面白くない。
30を過ぎたあたりから、『ヒーロー思考』は欠かせないものとなった。
僕はアンパンマンのようなヒーローになりたい。そのヒーロー像を強く思い描いている。
そして、そこに向かって、パズルのピースをひとつ一つはめていく。
ピースには、「楽しいこと」「苦しいこと」「ゴール」「ミス」・・・さまざまな感情を含んだものがあって、でもそのどれを欠かしても「ヒーロー像」は完成しない。
そう考えれば、人の決断はいつだって「正解」だ。最後のヒーロー像のためには、どんなストーリー(ピース)だって欠かせないのだから。
ちょうど一年ほど前、チャンピオンズリーグでパリ・サンジェルマンには完膚なきまでにやられた。
週末の試合ではそのパリ・サンジェルマンに勝つことができた。
でも僕はピッチに立っていない。やり返す。──そんなピースが僕のパズルには入っている。
(編集:黒田俊、デザイン:松嶋こよみ、写真:GettyImages)